岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『月刊俳句界』の7連投です。岡野さんには『俳句界』と『角川俳句』の詩誌批評をお願いしていますが、『俳句界』の方が書きやすいようです。その理由は『角川俳句』が「俳句は文学である」という実体とはかけ離れた考えに凝り固まっているからだと書いておられます。もっと問題なのは「俳句は文学」だとして、その根拠を俳人が提示できないことにあります。
「五七五に季語」は外形定義であって、俳句が文学であることを保証しません。五七五+季語なら芭蕉「古池」と同質の俳句になるのか? ならないですね。しかし俳壇の長老格の人は、しばしば「同質になる」「五七五+季語なら自動的に文学である」と書いておられます。でもそれを〝俳壇外〟で大声で主張する人は稀です。違うなーと思いながら、自己や俳句界の利益のために身内を騙しているようなものです。
俳人はとにかく視野が狭い。歌人はある年齢から古典文学必須になりますから、自ずと視野が開けてくる。詩人も元々が外来文学ですから、日本の古典には弱くても海外文学に精通していることがある。ずっとネタを集めている小説家の好奇心が旺盛なのは言うまでもありません。しかし俳人の興味は今の俳句と俳壇に固着してしまう。そこが世界だと固く信じ込んでいますね。傲慢で狭量、それが外から見た時の多くの俳人の姿です。
しばしば官庁の縦割りが問題になります。しかしこれは日本社会全般に見られます。文学の世界もまた縦割りです。短歌、俳句、自由詩、小説に縦割りになっていて、個々のメディアもまた縦割り的です。その中でもスタンドアロン化が一番激しいのが俳句でしょうね。外の世界では通用しないいい加減な議論を100年一日で繰り返しています。石川、なんでこんな息苦しい俳壇に俳人が肩寄せ合っているのか、ちっとも理解できません。
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