今号の特集は「近代俳句は一茶から始まった?」なのだが「?」が付いている。僕も「?」である。これを議論するためにはまず「近代」を定義しなければならない。一般的な日本史の区分では近代は明治維新以降であり、江戸時代は近世と区分される。もちろんこれは後世になってからの句分けであり、実際の時間の流れは地続きである。だから明治になっていきなり近代が始まったとは必ずしも言えない。
となると、近代の本質は何か? ということになる。幕末から欧米の工業技術が流入していたが、それが解禁になったのは明治維新以降である。産業革命以降の工業化、つまり日本が国を挙げて殖産興業に邁進するようになったのは明治維新以降だと言っていい。これは比較的わかりやすい区分だ。現代まで続く日本の工業テクノロジー文化はほぼ明治維新以降の近代から始まったと定義できる。
曖昧なのは人間の心の問題である。江戸封建社会は厳格な身分制であり、幕末には緩くなっていたとはいえ身分差を越えるのは難しかった。戊辰戦争で幕府と尊皇派が闘ったわけだが、町民や農民が兵隊として自由に参加できたわけではない。半農の下級武士だろうと、どちらの側でも武士の肩書きが必要だった。また江戸封建社会の社会規範は滅私であり、殿様から身分制度の一番下とされた農民に至るまで目に余るような身勝手は許されなかった。これは明治になっても一定の社会規範として残った。
ただ明治維新とともに四民平等となり、欧米から個人主義思想が流入したことですぐに立身出世主義、強烈な拝金主義などが生まれた。つまり現代と同様に、個人は出自などに囚われずにどこまでもその能力を伸ばしてゆくことができる権利を与えられたわけである。社会的制約はいつの時代にもあるが、それと鋭く対立しようとも個の自我意識を主張して何かを成し遂げることができる世の中になったわけだ。いわゆる近代的自我意識である。
この近代的自我意識――唯一無二の個の自我意識を是とする思想――をどこまで遡ることができるのかはしばしば議論の種となる。特に幕末天保頃になると江戸中期頃とは比較にならないほど大量の文書資料が残っているので、極めて強い自我意識を持った人たちが大勢いたことがわかる(読み取れる)。それが明治維新という政権交代(一種の革命)を、比較的スムーズに日本人が受け容れられた大きな要因だという議論は説得力がある。ただそれをもって近代を幕末までズレ込ませるのはやはり無理がある。
明治維新は日本が中国から欧米に文化規範を転換した約1500年に一度の大変革期である。すべてが変わった。「文化的普遍者」という言い方をしたりするが、現代では世界中に普及している厳密な用語定義と論理的思考方法が絶対的社会基盤になった。欧米的思考方法=文化的普遍者は明治維新以降に採用されたのである。言文一致体などの書き文字の変革は欧米的思考方法の採用と深く関わっている。大義のない個の身勝であっても、決して諦めることなく激しく他者や社会と抗う文学が生まれたのも明治維新以降である。中国から欧米への文化規範の大転換に伴う社会全体の変化を見れば、江戸と明治の間には一本の断絶線があると言えるほどである。戦前と戦後の違いよりそれは大きく深い。
またカウンター・カルチャーだった欧米的思考方法は、家元芸や宗匠制度、あるいは勧善懲悪など、それまでの文学の常識的なあり方に激しく揺さぶりをかけた。日本文学(文化)を欧米的論理で再定義する必要が生じたわけである。俳句で言えばその近代的基盤を作ったのは正岡子規である。小説で近代的自我意識を探求したのは子規親友の漱石ということになる。彼らが今に至るまで近代文学の祖とみなされているわけだが、それは簡単にはひっくり返せないだろう。
確かに幕末には強い自我意識を持った人間が多く存在していた。しかしその自我意識は封建社会の中での自己主張だった。明治維新以降の個の自我意識を是とする社会の中での自我意識、それを基盤とした文学の再定義とはやはり質が違う。近代的自我意識の底流は幕末にある、と言える程度だろう。
近代俳句の創始者はだれかと問われれば、正岡子規と答える人が多いだろう。ところが長谷川櫂氏は、徳川家斉の大御所時代に広まった大衆文化とともに俳句が近代化し、その時代の大衆俳句の申し子は一茶であると断言している。その考え方に立つと子規や高濱虚子は近代俳句の中間点に立つ俳人ということになるだろう。革命的な俳壇史の見直しと言ってもよい。大胆な説である。
この説を明らかにしている長谷川櫂氏と大谷弘至の論考を詳しく紹介、さらに「近代俳句はどこから始まったか」をテーマに、大輪靖宏、井上泰至両氏の考えも述べていただいた。
「〈特集〉近代俳句は一茶から始まった?」編集部リード
どうやら特集を組む背景になったのは、長谷川櫂さんと大谷弘至さんの論考のようだ。特集にはお二人も書いておられるが、大谷さんの論はともかく、長谷川さんの論は、うーん、ちょっと話にならない。いくら俳壇の大物だからと言って、なぜこんな杜撰が論がまかり通るのか本当に頭をひねってしまう。
近代俳句は小林一茶(一七六三~一八二八)から始まる。今までは明治の正岡子規(一八六七~一九〇二)以降を近代俳句としてきたが、その百年も前に近代俳句は産声をあげていた。日本の近代自体が江戸時代半ば、一茶の時代にはじまっていたからである。
日本史は従来、日本の近代化は明治時代からとしてきた。その理由は明治政府の指導者たちが文明開化の明治を江戸時代と違う新しい時代と考えたからである。彼らにとって近代とは西洋化の時代のことだった。しかし近代のこの定義は誤りである。西洋の近代化は西洋化かと考えてみればいい。
では近代とは何か、それは大衆化する時代のことである。近代は十八世紀後半のアメリカ独立戦争、フランス革命という二つの市民革命からはじまった。それによって政治の主権者(支配者)が国王から有産市民階級(ブルジョアジー)に広がった。一人の支配から多数の支配へ。この政治の大衆化のはじまりが政治の近代のはじまりだった。
当時、政治だけでなく経済、文化、生活など社会のあらゆる分野で大衆化がはじまっていた。西洋化ではなく、この大衆化こそ近代の指標なのである。
長谷川櫂「近代俳句は一茶からはじまる」
長谷川さんの論の出だしだが、例によってすり替えが多い。「西洋の近代化は西洋化かと考えてみればいい」といった箇所が典型的で、思わず笑ってしまった。問題になっているのは日本の近代化である。西洋の近代化とは問題の審級が違う。日本はある時期まで西洋の近代化を模倣している。今現在の皮膚感覚で日本と西洋文化を同列に論じるのは意味がない。
またアメリカ独立戦争とフランス革命をいっしょくたに論じるのは乱暴だ。平和な時代の大衆文化と政変が鋭く対立するのは言うまでもない。日本の明治維新は北斎や広重や馬琴が起こしたとでも言いたいのだろうか。長谷川さんの評論は論理の審級を混同させて、自分に都合のいい方向に論旨を導いていることが非常に多い。
もうちょっと長谷川さんの無謀な論を検証しようかと思ったのだが、あまりにもヒドイのでやめる。「俳句の近代性(大衆性)とは何か。一言でいえば古典を踏まえないことである。なぜなら数多くの大衆にわかるものでなくてはならないからである。これが一茶にはじまり子規、高濱虚子を経て現代までつづく近代大衆俳句の基本的な特徴である」という文を読んで匙を投げた。
一茶、子規、虚子の俳句はわかりやすいから大衆俳句としてひとくくりにできるという論なのだが彼らは勉強家だ。それなら芭蕉だって俳句はほとんど平明だ。また彼らは「古典を踏まえ」て確信を持って表面的にはわかりやすい句を書いた。それをガン無視してどうする。それでも俳句のプロかと毒づきたくなりますな。
夕桜家ある人はとくかへる
我星はどこに旅寝や天の川
梅がゝやどなたが来ても欠茶碗
木つゝきの死ねとて敲く柱哉
心からしなのゝ雪に降られけり
白魚のどつと生るゝおぼろ哉
是がまあつひの栖か雪五尺
いうぜんとして山を見る蛙哉
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
雪とけて村一ぱいの子ども哉
大根引大根で道を教へけり
ふしぎ也生た家でけふの月
目出度さもちう位也おらが春
蟻の道雲の峰よりつゞきけん
露の世は露の世ながらさりながら
ともかくもあなた任せのとしの暮れ
花の陰寝まじ未来が恐しき
「一茶俳句50句」(抄出・大谷弘至)より
お口直しに一茶の代表句を。蕪村も一茶も明治維新時には全国区の俳人ではなかった。明治初期まで俳句は一貫して蕉門の強い影響下にあった。一茶の俳句が同時代を席捲して俳句の大衆化に寄与したというのは事実ではない。また天保時代くらいになると芭蕉を神格化しながら貞徳・檀林派かいなといった弛緩した句が増える。それが当時の俳句の大衆化であり、子規派は幕末点取俳句を激しく批判したのだった。作品に即した俳句史の常識である。一茶に興味を持ったら歴史や文化をすべて一茶中心に書き換えてしまうのはあまりにも短絡的で幼稚である。
蕪村再評価を主導したのは明治20年代の子規派。文のない蕪村俳句の独自な自在性を高く評価して、発句のみで独立した近代俳句の基礎を作った。一茶評価が高まるのは明治後期。自然主義作家たちが『おらが春』などの文を通して一茶に近代的自我意識の源流を見た。
また一茶は芭蕉や山頭火と同様に、文とセットで読み継がれてきた俳人である(山頭火は俳文ではなく日記だが)。剣呑な一茶の俳文と平明な句、骨格が漢文で哲学的な芭蕉の俳文と平明句の関係を考察するのは意味がある。しかし俳句が平明だからといっしょくたにしてどうする。蕪村的な一句独立の俳句と文とセットの俳句、どちらも重要な俳句の遺産である。俳句は大衆のもので、わかりやすい俳句は皆大衆俳句で済ませられるのなら世話はない。
こどもらはしぶきへと爲り変はり夏
どこからを旅と呼ばうか南風
ゆふぐれを祭囃子のぬける家
いわし雲くづれるまでを草のうへ
歩くこと歌ふに似たり小六月
神降ろしまなこ冷たくなつてくる
鈴の音の夜を開きたる神楽かな
人々の真ん中にをり笑初
藁の香や春の神様編み上がる
甲斐はいま燕の国よ風吹いて
藤原暢子 受賞作「からだから」より 自選30句(よりさらに抜粋)
今号は「俳句界」の新人賞である第十回北斗賞の発表号だった。藤原暢子さんが「からだから」で受賞された。清新な句である。ただいつも思うのだが、俳人は初吟に近いほど自在で、句歴を重ねるほど作風が重苦しくなってゆくことが多い。なんとか清新さを失わずに突っ走っていただきたい。
岡野隆
■ 小林一茶の本 ■
■ 金魚屋の本 ■