高嶋秋穂 歌誌時評『角川短歌』2021年09月~2022年01月号をアップしましたぁ。俳句は短歌から分かれたのですが、両者は今ではまったく違う文学ジャンルになっています。高島さんが書いておられますが俳人は概して勉強不足。とにかく俳句を詠むことばかり考えている作家が多く、芭蕉、蕪村、子規、虚子すらちゃんと読んでいない。自由詩の作家も同様で、石川が見ていても詩のような詩を見よう見まねで書いている作家が多い。これじゃあ自由詩が衰退するわけだ。〝自由詩とはなんぞや?〟と聞かれて答えられる詩人はほとんどいないでしょうね。答えたとしてもうにゃむにゃの主観論で論理的に人を納得させられないでしょうな。
これに対して短歌は碩学と呼べる作家が多いです。たとえば馬場あき子さんは能楽と王朝文学の碩学です。最近全歌集も出版されましたが1万首を超えます。馬場さんなら〝短歌とはなんぞや?〟の問いに明確に答えられる。プロ歌人ということです。プロとは素人が及びもつかない力を持っている者のこと。歌壇外からの厳しい視線――どれだけスラスラと歌を詠めるのか、百人一首を始めいわゆる短歌和歌の知識をどのくらい持っているのか等々――のハードルをクリアしなければプロとは呼べません。特に情報化社会ではちょっとした情報を誰でも入手できるのでプロのハードルが上がっています。
もちろん歌人といえども最初からそんなプロのレベルをクリアしているわけではないでしょうね。ただ口語短歌以降、短歌を小説や自由詩のような自我意識発露のためのツールとして使う作家が増えているように思います。でも続かないでしょうね。歌壇外の人(読者)がそれではプロと認めてくれない。高島さんが書いておられるように歌人は「背負っている(歌の)歴史が長すぎる」。いや、そんなの関係ねぇで進んでもいいのですが間違いなく頓挫する。性根を決めてプロ歌人として時間をかけた基盤作りをする方がいいと思いますよ。
■No.092 高嶋秋穂 歌誌時評―坂井修一 連載「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩― 第二十一回 夕暮の豹変」(角川短歌 2021年09月号)■
■No.093 高嶋秋穂 歌誌時評―坂井修一 連載「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩― 第二十二回 朔太郎の歌壇批判」(角川短歌 2021年10月号)■
■No.094 高嶋秋穂 歌誌時評―「第六十七回 角川短歌賞発表」(角川短歌 2021年11月号)■
■No.095 高嶋秋穂 歌誌時評―小島なお 歌壇時評「描写という物語」(角川短歌 2021年12月号)■
■No.096 高嶋秋穂 歌誌時評―田中翠香 歌壇時評「第一歌集という呪縛」(角川短歌 2022年01月号)■
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