歌人で短歌文学の碩学・坂井修一さんの連作「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩」第二十一回は前田夕暮です。明治十六年(一八八三年)生まれ昭和二十六年(一九五一年)没ですから北原白秋や石川啄木と同世代ですね(白秋は二歳啄木は三歳年下)。夕暮はあまり真剣に読んだことがなく広義の「明星」派だと思っていたのですがそうでもないようです。坂井さんが前田透さんの『評伝 前田夕暮』によってまとめた概観によるとその文学は四期に分けられます。
第Ⅰ期 明星浪漫主義時代
第Ⅱ期 自然主義時代
第Ⅲ期 外光派時代
第Ⅳ 「天然更新」の歌風
第Ⅴ期 自由律短歌
第Ⅵ期 定型復帰
こうしてみると夕暮さんはあちこちに寄り道しながら歌業を続けた作家なんですねぇ。意外でした。
坂井さんは「これらのうち、第Ⅰ期は同世代の若者たちの多くが通る道であって、短歌史的意義に乏しい」と書いておられます。それはそのとおりで夕暮はもちろん同世代の白秋や啄木も「明星」派としてキャリアをスタートさせました。「明星」派と同時期に正岡子規「根岸」派写生短歌や佐佐木信綱の「竹柏会」などがあったわけですがなんといっても「明星」派が歌壇の華でした。
あまり論じられることがないですが「明星」は明治維新とともに大量流入した欧米文学の受け皿になっています。いわゆる欧米自我意識文学を無防備なほど正面から受け入れたのが「明星」派でした。与謝野鉄幹は「自我は即我が儘なり」と書きました。子規派の伊藤左千夫がそれに反発して激烈な批判を書いたのはよく知られています。
鉄幹の言葉は親分肌で唯我独尊の彼らしいですが小説に先立って短歌が真っ先に欧米自我意識文学を受け入れたのは確かです。「明星」派からは白秋が出て彼が実質的な自由詩の祖になりました。白秋の弟子の双璧が萩原朔太郎と三好達治で朔太郎が現代まで続く自由詩(口語自由詩)の創始者です。形式的にも内容的にもまったく制約がなく作家の個性(自我意識)で表現のすべてを作り上げるいわば日本版自我意識文学の粋である自由詩は「明星」派から生まれたわけです。
左千夫は子規写生派でありながら晩年に「叫びの短歌」を唱え絶唱をその表現の軸としました。じゃあ左千夫は「明星」派に飲み込まれたのかというとそうではありません。左千夫叫びの短歌は平安和歌以来の私と他者との関係性の中での相聞歌です。それに対して詩人として出発し短歌で評価された石川啄木の歌は徹底して〝私〟を詠んでいます。意味的には痛切で残酷でもある私の心情告白はどこか甘美ですよね。
で夕暮は「明星」派から出発しながら自然主義に行った。これは面白いですね。自然主義は言うまでもなく小説界を一世風靡した文学運動です。小説ももちろん欧米自我意識文学の絶大な影響を受けましたが短歌のような甘美な自我意識に閉じることなく自他の関係性のリアルを描く方向に向かいました。単純化して言えばそれが自然主義文学です。残酷で冷淡で身勝手な自己と他者の関係を描いたのですね。
魂よいづくへ行くや見のこししうら若き日の夢に別れて
風暗き都會の冬は来りけり歸りて牛乳のつめたきを飲む
夕暮の自然主義時代の歌です。「明星」派時代と比べれば自然主義的かなとは思います。しかし当然のことながら子規派写生短歌とは一線を画していますから感情の起伏の乏しい私の日常を詠んだ歌という感じです。では外光時代はどうでしょう。
腹白き巨口の魚を脊に負ひて汐川口をいゆくわかもの
向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
「外光」派は絵画の流派として知られています。初期洋画の立役者・高橋由一の絵は暗くヤニ派と揶揄されていました。それが洋行帰りで初期印象派の画家ラファエル・コランに師事した黒田清輝が帰国して絵画活動を始めるとその明るい画風が外光派と呼ばれるようになったのでした。ただ夕暮の短歌は絵画的写生ではありますが明るい外界の写生という以上の接点はないようです。「腹白き」は純写生ですが「向日葵は」は「ゆらりと高し」とあるように風景の内面化です。次の「天然更新」の歌風はどうでしょう。
馬夫の妻は足洗ふことの物うくて泥足を犬に舐らせにけり
わが友はいまだ醉ひたりひつたりと石佛いだきてくちづけにけり
坂井さんは「この期の作品は、Ⅲ期の〈外光〉に加えて労働(者)へのまなざしが強く入り、さらに口語発想が多くなってくる」と書いておられます。確かにそうですが写生に生活が入り込んだとも言えます。主題が天然風光から生活に変わったわけです。
自然がずんずん體のなかを通過する――山、山、山
空はるかに、いつか夜あけた。木の花しろじろ咲きみちてゐた
ところが「第Ⅴ期 自由律短歌」時代の変化は劇的です。自由律は河東碧梧桐の新傾向俳句から生まれた五七五の韻律と季語を排した口語俳句です。代表は中塚一碧楼と荻原井泉水ですが夕暮自由律短歌は一碧楼に近いですね。井泉水は内在律を唱え韻律と季語は排しましたが季感は重視しました。それに対して一碧楼は完全自由律で自由詩まであと一歩といった感じの俳句です。
短歌で本格的に自由律を試みた歌人は夕暮くらいでしょうから思いきった試みをしたもんだと思います。第Ⅰ期 明星浪漫主義時代から第Ⅳ期「天然更新」の歌風は表現主題が変わっただけだとも捉えることができますが自由律短歌に移ったことを考えると夕暮は確かに意識的に歌風を変化させていたのだと思います。自由律時代は長く続き夕暮は十年以上自由律短歌の作家でした。
自由律時代を中心に見ると夕暮はいささか節操なしに見えます。その時々の新しげな芸術界のトレンドに乗っかっている。ではその新機軸の中で優れた仕事を残したのかと言えばそうとは言えません。最晩年は「第Ⅵ期 定型復帰」の時代でいわば普通の短歌に戻っています。
雪あらぬ富士の全面に翳はなし粗放膨大にして立ちはばけれり
雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は
「粗放膨大」という言葉が自由律の名残だとは言えますが「雪の上に」などは写生的内面描写です。それほどの新し味はありません。では夕暮文学はどう捉えればよいのか。
こうした夕暮の性格を、私は、芸術家的なネオテニー(幼児成熟)とみている。彼の芸術は、「悟りを深める」タイプではなく、形において成熟しながら中身に幼い子供のような純粋さを留めるゆえに、このような形になったのではないかと。
坂井修一 連載「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩― 第二十一回 夕暮の豹変」
坂井さんのレジュメは必要十分だと思います。夕暮がある意味節操なしで子供っぽかったのは確かでしょう。しかしその表現には一貫したところがある。そして邪気がない。芸術トレンドに振り回されたというより嬉々としてそれに戯れたという雰囲気です。楽しかったのでしょうね。
こういう作家の本質的資質のようなものは芸術運動より強力だと思います。口語短歌は俵万智さんから始まり穂村弘さんによって理論的にも作品的にも拡大整備されニューウエーブ短歌となって現在まで続いています。ただ俵さんと穂村さんには抜き難く感覚欠落的な面があります。それを「芸術家的なネオテニー(幼児成熟)」と言ってもいいのではないかと思います。
まあこれはとっても書きにくいのですがニューウエーブ短歌の後継者の皆さんはその意味でかなり危うい橋を渡っているのではないかと常日頃から思っています。俵さんと穂村さんには口語短歌・ニューウエーブ短歌とならざるを得ない肉体的資質がある。そんな資質のない作家たちは幼児成熟ではなく大人成熟を求めざるを得ないのではないか。そしてそれをやるとどうなるのか。口語短歌・ニューウエーブ短歌が持っている幼児的な向日性や楽しさが失われるでしょうね。夕暮さんのよたよた歩きの一貫した歩みについはいろいろ考えさせられます。
高嶋秋穂
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