連載「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩」で坂井修一さんが萩原朔太郎の歌壇批判を取り上げておられます。全集には収録されていますが朔太郎の歌論はめったに言及されることがありません。それもそのはずで朔太郎と短歌の取合せはどうもピンと来ないですよね。
彼等(=現時歌壇の知名な人々)の後進に警めてゐる所をきくに、常に次のやうな言葉が繰返されてゐる。「歌は實感でなければいけない。」「情緒的であつてはならない。」(中略)「歌の道に生命を捧げよ。」その他。いかにそれが前代自然主義の唱へた美學を忠實に――むしろ忠實すぎる位忠實に――踏襲してゐるかを見よ。(中略)人心は旣に自然主義の時代を通過し、むしろそれに對する反動的感情によつて燃えあがつてゐる。言ひ代へれば今日の青年の心には、常に自然主義美學への反對が絕叫されて居るのである。時代の感情は、それらの客観的寫實主義を離れて、情緒的な主観主義に熱してゐる。時代は安易な樂天主義を捨てて、むしろ啓蒙自然主義の叛逆的態度にかえつてゐる。
萩原朔太郎「現歌壇への公開狀」「歌壇は時世に遅れて居る」大正十一年(一九二一年)
まあ例によってわかったようなわからないような朔太郎の評論です。とはいえ朔太郎は偉大な詩人です。大正六年(一九一七年)に上梓された第一詩集『月に吠える』によって日本の自由詩はその存在理由を確立したと言ってよいほどです。
『月に吠える』最大の特徴は叙景でも抒情でもなくストレートに作家の心象を表現したことにあります。奇怪といっていいイメージなのですが鬼面人を威す態のものではなく作家の世界観(思想)から生み出されています。それを朔太郎は「感情」や「象徴」といった用語で説明してゆくことになります。
朔太郎の歌壇批判は自らの詩風の援護射撃でしょうね。現実世界の裏面までをも残酷に描く自然主義文学は既に役割を終えていて新しい世代の文学は「情緒的な主観主義」に移っていると論じています。この「情緒的な主観主義」と最も相容れない詩の表現が短歌だという主張です。自然主義に短歌の写生を含めればそうなる。ではこの時期の歌壇はどんなふうだったのでしょう。
当時の歌壇は、たしかに低調な過渡期であった。「明星」は復刊されたが以前の勢いはなく、北原白秋はやっとの思いで『雀の卵』を刊行したばかり。斎藤茂吉は西洋留学に旅立ち、前田夕暮は沈黙の中だった(中略)。島木赤彦は「アララギ」を大結社に成長させるとともに『氷魚』によって初めて自分の文芸を手にしていたが、反面で狭隘なドグマが目立ってもいた。朔太郎の批評は、陽に記してはいなくても、当時の「アララギ」と赤彦に対するのが中心であることは明白だ。
坂井修一 連載「かなしみの歌びとたち―近代の感傷、現代の苦悩― 第二十二回 朔太郎の歌壇批判」
当時の歌壇の状況は坂井さんがまとめておられるとおりだと思います。朔太郎が赤彦「アララギ」を念頭において歌壇批判を書いたのも確かでしょう。朔太郎は白秋門です。そこからもわかるように「アララギ」というか子規以来の写生派とは相容れない文学観を持っていました。
また朔太郎はたくさん散文を書いていますが決して論客ではありませんでした。しかし恐ろしく勘が良かった。朔太郎の評論代表作は『詩の原理』で「自分はこの書物に於て、詩に関する根本の問題を解明した」「読者は、すくなくともこの書物から、詩という観念が意味するところの、真の根本の定義を知り得るだろう」と自信に満ちた言葉を書いています。しかし『詩の原理』を読んで〝詩の根本の定義〟がわかった人はいないと断言できます。詩の定義を巡る問題点を列挙はしていますがそこから導き出される結論は牽強付会と言わざるを得ません。
にも関わらず『詩の原理』が重要なのは詩史において詩を原理的に考えようとした詩人は朔太郎が初めてだからです。この業績は現代まで不動です。現代に至るまで詩の原理を本気で探求した詩人は朔太郎の他に入沢康夫と岩成達也しかいません。入沢・岩成は現代詩の創始者です。それは偶然ではありません。詩では原理を探った詩人が新たな文学潮流の創始者になっている。
朔太郎は明治維新以来欧米詩と短歌との折衷で推移してきた自由詩をそこから切り離し独り立ちさせた詩人です。そして自分が自由詩の創業者であることを自覚していた節がある。それが詩の原理的探求『詩の原理』に向かわせたのでしょう。決して論客ではなかったですが勘がいいというのはそういうことです。
朔太郎の師の北原白秋第一詩集は『邪宗門』ですが朔太郎第一詩集『月に吠える』は『邪宗門』の(当時の)現代版といった雰囲気があります。『邪宗門』はまだ短歌と地続きでしたが『月に吠える』は完全に切れています。短歌だけではなく俳句とも無縁でした。そして『月に吠える』の奇怪な表現は日本伝統文学と比較すればまさしく〝邪宗〟です。
朔太郎は晩年に文語詩に回帰しますが『月に吠える』から『青猫』(第三詩集、大正十二年[一九二三年]刊)時代は強固な結社や師弟制度を持つ短歌俳句の日本伝統文学に否定的だったでしょうね。日本で初めての実質を備えた〈個〉の前衛作家だったのです。では朔太郎は正しいのか。もちろんコトはそう単純ではありません。
坂井さんは上田三四二の「島木赤彦は二流の文学者である。(中略)だからといって、赤彦を茂吉(一流の文学者)の下流に置こうというのではない。(中略)いま、この文学者の範囲をせまく歌人に限定するとき、矛盾は矛盾でなくなるという気が私にはしている。すなわち二流の文学者は一流の歌人たることを妨げない。人はそこに短歌の迷妄をよむだろう。しかし私はむしろそこに短歌の冥加を見たい」(『島木赤彦』)を引用した上で「『短歌の冥加』。それは萩原朔太郎によって全否定されるはずのものだ。歌人が「冥加」に浸るかぎり、それは同時代の文化芸術から脱落した化石の芸を成すに過ぎない。そんなふうに朔太郎は断言するのではないか」と書いておられます。
しかし朔太郎は否定的でもこの上田三四二・坂井修一が肯う「短歌の冥加」が短歌や俳句といった日本伝統詩型文学最大の強みです。自由詩は形式・内容面でまったく制約のない表現ですがそれが強さと魅力を発するためには新しい時代に対応した新しい書き方(表現)を持っている必要があります。それが見出せなければ自由詩は一気に力を喪失してしまう。実際今の自由詩はかつての勢いを完全に失っています。朔太郎『月に吠える』以来の日本前衛文学という存在理由を見失ってしまったのです。
これに対して極論を言えば短歌俳句の伝統文学の作家はすべからく伝統の継承に奉仕しています。なるほど口語短歌やニューウエーブといった新しい動きは出て来ましたがそれらはゆっくり短歌伝統に吸収されてゆくはずです。
坂井さんは朔太郎の批評に「ちょっと油断すると伝統と様式の心地よさで居眠りしがちな私たちを目覚めさせるアラームクロックの役割」があると書いておられます。ただ短歌俳句は眠っているようで生きていてある時パッと花開くことがあります。それに対して自由詩は新たな表現が見出せなければ死に絶えてしまうかもしれません。なにせ明治維新以来一五〇年ちょっとの歴史しかないのですから。
高嶋秋穂
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