萩野篤人 文芸誌批評 No.002 待川匙「光のそこで白くねむる」(文藝二〇二四年冬季号)、連載小説『春の墓標』(第07回)、連載評論『人生の梯子』(第04回)をアップしましたぁ。文芸誌批評では文藝新人賞を受賞された待川匙さんの「光のそこで白くねむる」を取り上げておられます。150枚ほどの小説で内面描写中心の純文学作品のようです。「文体だけでずるずると引き入れていくような磁気が待川さんの魅力だと思います」と評しておられます。
『人生の梯子』は新約聖書「マタイ伝」からハンナ・アートレの『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』を題材に進みます。萩野さんはキリスト者ではないと思いますが、人間存在の本質について考える時、聖書は非常に重要な指針になります。理不尽なまでの神の教え(命令)があり、それは人間存在の矛盾を傷口として開く。そしてこの傷口は閉じることがない。ジクジクと痛み血を流し続ける。神は沈黙し続けますが人間は傷口を見つめ神の意志(意図)を解釈することはできる。
『春の墓標』は孝行息子の物語でもあります。彼は父親を施設に預けっぱなしにせずに自宅介護することを決心します。認知症が始まっている父親は上れるけど自分一人では決して降りられない二階に強引に行こうとし、ベッドの上で小便をしてしまう。父親はどんどん生きた、混乱した、漆黒の渦巻く謎のようになってゆく。彼は声を荒げ父親を叱責する。父親の介護をする孝行息子なぞ全く無意味になる。でも介護し続ける。「愛も善悪も正義も偽りも何もかも節操なく呑み込んで、その向こう側へ突き抜けるという途」(『人生の梯子』第04回)を模索している、というより微かに信じているからでしょうね。それが精神的アポリアなので小説や評論がこの作家には必須の表現になっています。
■萩野篤人 文芸誌批評 No.002 待川匙「光のそこで白くねむる」(文藝二〇二四年冬季号)■
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