母親の様子がおかしい。これがいわゆる認知症というやつなのか。母親だけじゃない、父親も年老いた。若い頃のキツイ物言いがさらに先鋭化している。崩れそうな積木のような危うさ。それを支えるのは還暦近いオレしかいない・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家による苦しくも切ない介護小説。
by 金魚屋編集部
十九.
七月初め、父はようやく退院した。
二月の入院から数えてまる四か月、そのあいだに母は死に、ぼくは会社を辞め、季節は真冬から春を通り越し、真夏へと移ろいつつあった。放ったらかしの庭の紫陽花は十本とも開いた花弁のままミイラと化し、芝はいたるところ十薬の白い花に埋め尽くされていた。
待ちに待った退院のはずだった。けれど、ぼくにとっては喜ぶどころではなかった。おそらくは父にとっても。はじめての在宅介護、戸惑うのはとうぜんだ。とはいえいざ一緒に暮らしてみると、入院しているときには想像もしなかったことが次々と起きるのだ。
レンタルした介護ベッドと防水マットレスの上にさらに市販の防水シーツを敷き、夏用の敷パッドを重ね、パジャマ姿の身体の上にタオルケットを掛けた。そのタオルケットをはね除け、ベッドの上で何やらモゾモゾしている。「トイレに行きたいの?」声をかけても黙ったまま降りようとはしない。トイレは二人のいる和室のすぐ隣で、ドアを開閉する煩わしさを避けるため蝶番ごと外し、代わりに暖簾をかけ、自力で立ち座りができるよう手すりを四か所取り付けた。ベッドから足を降ろせば着座まではほんの三歩か四歩である。
ところが見ていると、寝そべったまま身体を横に向け、パジャマのズボンを下ろしオムツを外して性器を引っ張り出すとそこでオシッコをしてしまう。看護師の佐伯さんが教えてくれた通りだった。「ここはベッドだよ。トイレはそこ」と言っても「何だ?」と不審そうな顔である。
その夜、ベッドから起こすと、和室から廊下伝いに玄関の前を横切り、リビングルームを抜け西端のダイニングまで歩かせた。その間、壁づたいに手すりを配してある。背後から腰を支えながら、一〇メートル弱を一歩、また一歩とゆっくり慎重に歩かせる。ダイニングの奥まで誘導すると、オーク材を用いた重厚な北欧風四人掛けテーブルの窓を背にした定席へ自ら腰掛けた。おぼえているのだ。以前のように置いておいた新聞をテーブルに広げ、ページを繰って紙面をじいっと眺めている。その目線から一行も読んでいないのがわかる。リモコンを手に取ってテレビのチャンネルを回し出す。何か番組を観るというわけでもない。その動作だけに意味があるのかもしれない。ああオレはやっとここへ帰って来たんだな、とわが家の感触をしみじみとたしかめたいのか。一時間が経ち「さあもう寝ようか」とベッドへ連れていこうとすると、廊下の途中で足を止めた。目の前には二階へ通じる階段がある。上がった奥にトイレ、その手前を左へ進むと二〇畳ほどの広々としたフローリングの洋間がある。陽当たりも風通しも眺望も広さもこの家で一番のその部屋に、懐かしいじぶんのベッドがあるのだ。
「オヤジ、まだそれは待ってくれ。いまはダメだよ。もし足を滑らせたらどうするんだ」
ぼくの言うことなど聞く父親ではない。一段目に片足を乗せた格好で押し合い引き合いになり、二人で黙って立ったまま三〇分が経ち一時間が過ぎたところで力尽き、自重を支えられなくなった父親を抱きかかえ、やっとの思いでベッドへ寝かせるとたちまちイビキをかいて爆睡した。
帰宅第一日目がこうして過ぎた。
翌朝五時にごそごそと起き出すから、トイレへ行くのかとあわてて背後から身体を支えてやると、通り越して脱衣所まで歩き、洗面台の前で佇んでいる。イスを持って来るとそれに腰掛けてじいっと鏡を眺めている。鏡の中のじぶんの姿に何を思うのか。また立って動き出し、二階へ上ろうと階段の手すりに手をかけた。「危ないからやめてくれ」止めにかかるぼくと立ったまま膠着状態に陥り、前夜と同様、疲れて立っていられなくなるのを待つ。一時間、一時間半……二人でこんなところに黙ってつっ立って何をしているんだろう。立てなくなったらSOSである。足腰の弱ったひとが一たび蹲ってしまったら、自力ではもちろん他人が立たせるのは至難のわざである。高齢者が転倒したり認知症のひとが徘徊して行方不明になるのを防ぐにはベッドより布団がいいと言われることがあるのは、そんな理由からだ。
腰が激しく痛み出した。加齢による脊椎管狭窄症をぼくは患っていた。その夜もダイニングでテレビを観るでもなく点けたり消したり、二人で二時間以上も向かい合ったまま沈黙の時を過ごす。何を話すことがあるだろう。話しかけたってどうせ何も返ってこやしない。ようやく寝かせたのは一一時過ぎだった。眠っている間にぼくはそそくさとシャワーを浴び、買い置きしておいたカップラーメンをかき込んでから熟睡している父の傍らにごろりと横たわった。
ベッドのすぐ脇の下、畳の上にぼくの布団がある。深夜ゴソゴソする音で目が覚めた。一時を回っていた。布団から見上げる視界には、ベッド上の様子が映らない。「起きるの? トイレ?」 返事はない。のぞき込むと、ベッドはすでにびしょ濡れになっていた。防水シーツを重ねてあるとはいえ、その上に敷いた夏用パッドとタオルケット、パジャマから肌着からオムツまでそっくり替えなくてはならない。トイレへ連れて行って後始末をした後、身体拭き用のウエットティッシュで拭い清め、ベッドで右を向かせたり左を向かせたりお尻を持ち上げてまた右を向かせたりしながらなんとかオムツをはめ、替えのパジャマを着せた。汗が頬を伝い、顎からしたたり落ちた。これで眠るかと思ったら今度はベッドへ左向きに寝返ると、何をしたいのかベッドの手すりを両手でがっしと掴み、寝そべった状態で懸垂をするようにギシギシゴソゴソ引いては戻し、戻しては引きをくり返している。「どうしたの」「寝返りがうまく打てなくて眠れない」眠れないのはこっちである。まんじりともせず夜を明かし、こりゃオヤジと共倒れか、と追い込まれたところへインターホンが鳴った。朝の七時半だった。人が来るのをこれほど待ち遠しく思ったことはない。本人はけたたましくイビキをかいて爆睡している。
こうして二日目が過ぎた。
三日目の夜は、さらに困ったことになった。
またしてもダイニングで机をはさんで向かい合い息づまる沈黙の時を過ごした後、「そろそろ戻ろうか」とベッドへ連れて行こうとすると案の定、廊下の途中で身体が右にくるっと旋回し階段へ足をかけた。「危ないって」背後から両肩を押さえ込むようにして止めにかかる。そんなぼくの腕をものともせずラグビー選手のように振りちぎった父は、その勢いでするするすると上がって行く。ふん、支えもなしにどこまで行けるもんかね、お手並み拝見。冷ややかに眺めているぼくに、オレを見くびるなよと言わんばかりの父、踊り場でひと呼吸おいたと思ったのもつかの間、一人で二階まで一気に上り切ってしまった。怒ったり呆れたりを通り越して、ぼくはすっかり感心した。その気迫といい目的を遂げるまではけっして諦めない不撓不屈の意志といい、誰のどこが病人だ。ぼくはもの言わぬこの老人に、じつに久しぶりに父親の姿を見た。しかたねえなあ。今夜はとことん付き合おうじゃないかオヤジ。
ところが四か月ぶりに自力でたどり着いたじぶんのベッドへ腰を降ろすや否や、スイッチがOFFになったロボットのように固まってぴくりとも動かない。どうやらバッテリー切れになってしまったらしい。
「しょうがねえなァ。さあ、ぼちぼち戻るよ」
「それじゃここらで別れるか」
家へ帰ってはじめてぼくに口らしい口をきいた。
「別れる? どういうこと」
「お前は右へ、オレは左だ」
「何言ってるの」
「お前、いつまでも此処におってはいかんだろ」
「ベッドへ戻ろうって言ったんだよ」
「ベッドはここだろ」
「わかったよ。どこでもずっといるよ。傍にいるよ」
「そうか」
ニタリと笑った。
いつもの愛想のいいニコッではない。ニタリ。と不敵な笑みを浮かべた父。「さあて、お前に従いて来れるかな」そう言っているようだった。絶えて無かった父らしい父に再会できたようで、ぼくはちょっぴり嬉しくなった。
どうやら今夜は階下へ降りる気力はなさそうだ。本人ご愛用のベッドを拵え直し、一晩明かすことにした。おんぶしても危ない急階段なのに、抱きかかえて階段を降りるなどぼく一人の力ではとうていできはしない。そもそもぼくに身体を預けてはくれないだろう。さいわいこの家は二世帯住宅として造られているから、二階にもトイレと洗面台とキッチンがある。
ところがこの夜、オシッコを漏らすこと三回。トイレへ連れて行ったときにはすでに遅かった。というより、トイレへ行くつもりなど端からありはしないのだ。ベッドの本体まで浸水していたがそこまではどうしようもなく、新聞紙を敷いた。その上はすべて、シーツから着ているものからそっくり取り替えなくてはならない。下半身を脱がせるだけならまだしも、上半身、しかも濡れたパジャマの上着とU首シャツを寝かせたまま脱がせるのは慣れないぼくには四苦八苦だった。三度目はオムツを外す間もなく出てしまったのか量もすくなかったか、オムツがかなり堰き止めてくれたが替えは尽きた。洗濯機をいくらフル回転させたって干す場所がない。尿洩れした衣類はバケツに入れ、ひと晩は漂白剤に漬け置いてから洗濯機にかけないと臭いが取れない。これ以上漏らされては、と目を凝らして見張っているから眠れない。この三日間合わせてもぼくはせいぜい三時間しか眠っていなかった。
翌朝、来るのをすがるように待っていたヘルパーのIさんに助けを借り、階下へ降りるよううながすがてこでも動こうとしない。おんぶはもちろんのこと、女性のIさんとぼくと、非力な二人が力を合わせて左右から抱えてもこの階段を降りるのはムリだ。今度はケアマネの円地さんに救援を頼み、車イスに乗せて三人で運び降ろすことにした。乗せるだけでも大童だったが、どうやら階段を降りるのが怖いらしい。ぼくが前を持ち、女性二人に後ろを左右で支えてもらいながらせーのっと持ち上げると「危ないッ、何をするんだ」と怒って手を振りかざし抵抗する。「こいつめ」とぼくの手を叩くが有無を言わさず降ろす。何をするもクソもあったものか。昨夜のあの勇ましかったオヤジはどこへ雲隠れしたんだ。朦朧としながら後片づけと洗濯をしているあいだ、父親は拡声器のついた掃除機のような音をたてて眠りこけていた。
医師や看護師やヘルパーたちが訪れている日中のうちは、世間話の相手になってくれるので気がまぎれる。かれらが帰って父親と二人きりになった夜ほど、気づまりな沈黙の帳に覆われる時はない。階段を二階まで駆けるように上がった時はなんてひとだと思いながらも、ぼくは畏敬の念すらおぼえた。しかし駆け上がったはいいものの、怖じ気づいて階下へ降りることが出来ない。そうじゃないよ、さんざんな思いをしてようやっと帰って来たわが家のオレのベッドでゆっくり寝たかったのに、お前たちが無理やり引きずり下ろそうとするから怒ったんじゃないか。そんな声が聴こえてはっと頭を上げたら、声の主は目の前で車イスに腰掛けたまま机に突っ伏していた。なるほど。そうだとしてもトイレに起きるのを面倒がったせいで長年ご愛用のベッドはマットまでオシッコの地図ができるわ、大人三人を相手に暴れるわ悪態はつくわ、やりたい放題好き放題の父。
二十.
ベッドの上に小水をぶちまけてしまわないように、夜通し見張っていなくてはならない。モゾモゾしはじめたら、即座にトイレへ誘導する。しかも用を足すときは、便座へ座ってもらわなくてはならない。いわゆる立ちションの場合、身体とモノとを同時に支えてやらねば一方はフラフラ他方はブラブラ不安定でうっとうしい。それに便器の外へ撒き散らすことなく真っ直ぐ注ぐのは至難のわざである。かといって立ちションの習慣しかない男性に、しかも認知症状の進んだ男性に座ってさせるのはそれ以上に難しい。だいたい愛人同士でもない大の男が二人、一人は下半身丸出しで小便をたれ、もう一人はその身体を背後から抱えるように支えながら右手を相手のイチモツに添えている風景など、気色わるくて見れたものではない。入院中からそうだったことを考えると、看る方も看られる方もお互いに煩わしいと思ったか、病室では夜間放ったらかし状態だったのだろう。トイレに行かずベッドでするのがいつしか常習になっていたのだ。
「トイレへ行くのが面倒くさいなら、尿瓶にする?」
「……」
「それもイヤなら、オムツの中でしてくれないかな。かまわないから」
そう言うと、その場はいったん引き下がるのだが、しばらくするとまたモゾモゾし出す。ガマンして溜めているだけだからとうぜんである。そうこうするうち諦めたか、うざいぼくの存在がブレーキになったか、朝を迎えた時にはオムツがたっぷりと小水を吸い込んでいる。食事のために起きてベッドを離れたとたん、先日の一件を忘れまたぞろ二階へ上ろうとするので押し合いになった。本人は疲れたらベッドへ寝そべればいいから気楽なものだ。爆睡している日中にぼくも仮眠を取るしかない。向こうだってわが家へ帰って来るなり自由を奪われ、こんなはずはないと思っているだろう。こんな日が何週間も何か月も、ひょっとしたら何年も続くのか。
七夕の夜は、恋するパートナー同士ではなく、オシッコをどこでするかという親子の暗闘で更けていった。モゾモゾと手をズボンにかけて下げようとする父親を見るに見かねてその手を押さえ、
「オシッコはオムツの中にしてくれ。ここでするな」と声を荒げると、
「何を情けないことを言う」
渋面を作ってぼくの手を払い除けようとするから、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「何が情けないだあ。情けないのはアンタだろうが。オレは本気でオヤジのことを思って言ってんだよお。 何でわからねェんだあ」
息子のそんな怒鳴り声と憤怒の形相に、父親はおどろいた様子でいったん引き下がった。ところが一時間も経つと、何も起きなかったかのようにそろそろとズボンを脱ぎ出すのだ。
「オムツの中にしてくれと言ったよな。イヤならトイレ行けよ。ベッドの上でチ〇ポ丸出しでオシッコしてんのがわからねえのかよ」
「そんな破廉恥なことをした覚えはない」
「オツム打ったからそうなっちまったんだよお。オムツじゃねえぞ、オ・ツ・ム!」
一歩たりとも引かないぞ。こっちだって身体を張っているんだ。
いったん行動はおさまったが、ベッドの上でモゾモゾ、手すりにつかまってはギシギシと懸垂運動をはじめるから気になってまた一睡もできない。
次の土曜日から隔週でデイサービスへ行くことになった。市の図書館の隣で、家から歩いて一〇分ほどの距離だ。車イスのままワゴン車に乗せ三、四人ごとに家の玄関まで送り迎えしてくれる。ありし日の母が通っていた。利用者という意味では父親もはじめてである。朝から夕方まで主が不在になるという恩恵(?)を活用しない手はない。久々に習志野の元自宅へ戻り、浦和の社宅から引っ越してこのかた、放ったらかしだった段ボールの山をとりあえず開梱し荷物を床に並べ、枯れかけていた鉢植えの観葉植物二本に水をやってあたふたと蜻蛉返りした。わずか二時間足らずの滞在のために往復で四時間弱、それでも十分だった。鎌倉のこの家をいったんすこしでも離れることが肝心なのだ。よく乗り過ごさずに降りられたな、とわれながら感心するほど車中で眠りこけた。
父親も父親で、デイサービスから戻って来るなり翌日曜日いっぱいまで丸々三十六時間ものあいだ、爆睡状態に陥った。飲まず食わずひたすら眠り続け、薬の服用も出来ない。月曜の朝、訪問看護師にコールして来てもらった。「排便はどうなの。え、一週間ない? これは浣腸しないといけないわね」と看護師のTさん。お湯を沸かし、体温まで温めた浣腸液に新聞紙、陰部洗浄ボトル略して陰洗ボトル、石けん、電子レンジでアツアツに蒸らした下用のタオル、トイレットペーパーひと巻き、替えオムツ……言われるがままに用意する。Tさん、手慣れたもので、横を向かせた父親の無防備な肛門へグイッと浣腸液を注ぎ込む。やや置いてから下腹を触る。「あー下りて来てるわねー」携えて来たポリエチレンの使い捨て手袋を二重にはめると、穴の奥へ遠慮なくグイグイ指を捻じ入れる。「ヒギャーッ」眼を剥いて悲鳴を上げる父親。Tさんまったく動じない。「さあウーンして。イキむのよ。はいウーン」すると穴からコチコチの奴がゆっくりと顔を出した。
摘便してもらうとスッキリしたのか、お昼になってようやく動けるようになってきたのはいいが、また二階へ上ろうとして聞かない。いつも押しくら饅頭ではこちとらの腰が持たない。八十七歳の老人にまだこれほどの体力が残っているとはおどろきである。しばらく膠着状態でいるとそのうち車イスにかくっと腰を落とし、首が前に傾げて来るので「ベッドで横になろうか」とすかさず言うとようやく頷いて身をゆだねた。ところが真夜中、またモゾモゾがはじまったと思ったら案の定パジャマのズボンを下げようとする。
「そーら来た」
ぼくはその手を押さえた。
「何でズボン脱ぐの。ここベッドだよ」
「何を言う」
「トイレ行かないなら、オムツの中でしてくれって言ったよね」
「バカなことを言うな」
言いながらズボンを下げ続ける。その手をふたたび押さえた。
「ガマンできないなら、頼むからオムツの中でしてくれよ」
「何を情けないことを言いおって」
怒り出すから、ぼくもそこで倍返しとばかり、
「てめー何だあ。情けないのはどっちだ。何度言ったらわかるんだこのボケがあー」
張り上げた怒声が周囲の空気をびりびりと震わせた。夜中の三時、鎌倉の閑静な住宅地である。連日の熱帯夜だったが、網戸をくぐり抜けてくる由比ヶ浜からの涼風が膚を柔らかく撫でた。
一瞬おどろいた表情で目を見開くと、ぼくを見た。しかし怯むような父ではない。
「親に向かって何て口をきくんだ」
「まだわかんねエのかよお。てめえの○ンチン丸出しでベッドにオシッコぶちまけてんのは誰だあー。こりゃなあオヤジ、アンタの尊厳のために言ってんだぞ」
「そんなことをするわけがない」
譲らない父親。
「じゃこの手は何だよこれは。誰の手だか言ってみろ。何でズボン脱いでんだよこのーッ。オレは身体張って止めるからな」
ぼくも譲らず手を押さえ続けると、愁眉を開くことなく目を瞑って大人しくなった。疲れたか、それともどういうわけか気が触れたらしいこのバカ息子には、何を言ってもムダだから致し方あるまいと諦めたか。
右を向くと、亡母の大きな遺影が目の前の二人を見つめていた。何とかしてくれよお袋。アンタの夫だろ。よりによって実の息子に何もかも押しつけといて黙って見てんのかよ。毒づいているうちに意識がかすれていく。
いつも何を思って生きているのだろう。好きだったプロ野球や相撲もいまは見向きさえしない。中日ドラゴンズの勝敗にも白鵬の調子にも関心なさそうである。テレビも新聞もボーっと眺めているだけだ。あれほど熱心に打ち込んでいた俳句や写真の話に水を向けても反応がない。ダイニングのテーブルにサシで向かい合っていても、看護師やヘルパーたちが来て話しかけても、「今日は暑いですねえ」「暑いナ」「あいにくの雨ですね」「雨か」天気の話題を一言二言交わすだけで終わってしまう。一日の大半はベッドの上にあって華胥の国に遊んでいる。そこはこの忌まわしい現実世界になんぞ二度と戻りたくないと思わせるほどきらびやかで平安にみちた竜宮城みたいな国なのか、それとも混濁した泥沼の底を蚯蚓のようにどこまでもくねくねと這いつくばっているのか、数もしれず出口も零れる光すらもない巨大な下水道の網目を溝鼠と一緒にさまよっているのか。本人の表情からは何ひとつうかがえない。
今夜もまたベッドの上で徐にズボンを脱ぎ出す。
「ヤ・メ・ロ」
「何をする」
ひどく怒り出す。
「オヤジこそ何をするんだ」
「そこにトイレがあるから行くだけじゃないか」
「そこに山があるから登るってか。ふうん。あなたってズボン脱いでからトイレへ行くんだ。じゃ足を下ろすのを手伝うよ」
「いい」
ベッドの手すりに両手で掴まって左向きに、ぼくに背を向けて横たわり、懸垂をするように手すりを引っ張ってはギシギシギシギシ。いったん仰向けになり、静かになったかと思えばまた左を向いてギシギシギシギシ。右側にいるぼくの方を向くことはけっしてない。筋トレかい、勝手にしやがれ。薄明かりのなかで目を凝らしているとやっと疲れたかイビキをかきはじめた。下はすでにオムツだけの状態になっていた。閉じかけた目をこじ開けるとまたギシギシギシギシ。真夏でも裸では肌寒いのか、自らタオルケットを幾度も被り直していた。それくらいは四肢を動かせるのだな。しばらくするとギシギシギシギシ。眠るに眠れないぼくは、ようやく朝の五時頃にうとうとしかけてはっと気づいたら七時過ぎだ。七時半にはヘルパーが来る。あわてて湯を沸かし朝食の支度をはじめ門を開け、出迎えの準備をする。本人は何事もなかったかのようにガーガーゴーゴーと派手な音とともに熟睡していた。入院していた時から朝の寝覚めが悪くて不機嫌で、起こしに来た看護師たちを困らせていたのは、そういうわけだったかコノヤロー。
(第07回 了)
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*『春の墓標』は23日にアップされます。
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