ラモーナ・ツァラヌさんの『青い目で観る日本伝統芸能』『No.018 毒の入った子守唄――万有引力『身毒丸』』をアップしましたぁ。世田谷パブリックシアターで行われた演劇実験室・万有引力の『身毒丸』公演を取り上げておられます。原作は寺山修司、演出は万有引力主宰で天井桟敷の元メンバーJ.A. シーザーさんです。
寺山さんの名前は、なぜか文学金魚のインタビューでもよく登場するんですね。俳句作家の安井浩司さんは、寺山さんが青森高校から早稲田大学時代に実質的に主宰していた俳句同人誌『牧羊神』の同人で、若き日の寺山さんをよくご存知です。詩人の谷川俊太郎さんは、阿佐ヶ谷の河北病院で寺山さんの臨終を看取った友人です。脚本家・小説家の山田太一さんは早稲田大学時代の寺山さんの親友でした。
不肖・石川が一番印象深く読んだのは山田太一さんの金魚屋インタビューです。山田さんは『はっきり言うと、寺山はお母さんがいなければどんなにいいだろうと思っていた。でも実際にはお母さんの方が長生きしちゃったわけです。これは悲しいことだけど、お母さんの存在が寺山の創作力の原点になっていたのも確かだと思います。彼は芝居で心ゆくまで母親を殺していますが、最後までお母さんを呪うというテーマを手放せなかった。それはお母さんが、根源的なところから彼を揺さぶって創作に導く存在だったからだと思います。それ以外のテーマには、そこまでの深みはなかったんじゃないでしょうか』と語っておられます。寺山文学の核心を衝いた言葉でしょうね。
寺山と仲の良かった文学関係者はたくさんいますが、寺山がお母さんといっしょにいるところを長時間〝見た〟のは山田太一さんだけです。山田さんの批評はもちろん寺山文学の読解に基づいていますが、親友ならではの実体験に裏付けられています。
ラモーナさんが取り上げた『身毒丸』でも母-子の主題が設定されています。ラモーナさんはこの主題の他に、『身毒丸』には「日本文化における、既成の秩序や制度に対する抵抗」があると読み解いておられます。「寺山演劇における既成概念転覆の仕掛けは、古い昔から日本文化に潜んでいる抵抗的な衝動に裏付けられているのである。現代を含めていつの時代でも、物語、歌、絵や芸能などの芸術作品には、抵抗や転覆を象徴する異形のモノたちが、陰影の世界の住人たちとして勢いよく生きている」といふことです。卓見ですね。
ただラモーナさんは、「この公演に集った観客たちには多少の異和感を覚えた。・・・かつての天井桟敷の『身毒丸』にできるだけ近い雰囲気の公演を見たいという期待を抱いていたようなのだ。しかし・・・『身毒丸』は現代を生きる人々の抵抗力、反発力を呼び覚ますためにに作られたのであり、過去の名作として鑑賞されるのは決して望ましいことではない」と批判しておられます。
石川もこの批判に賛成です。寺山の魅力はうさん臭さにありまふ(爆)。彼のテキストや舞台を既成権威として捉えると、寺山の魅力は消し飛んでしまう。寺山のテキストは悪く言えば未完成、良く言えばオープンな可能性の坩堝です。寺山文学から何かを吸収しやうとすれば、可能性としての寺山文学を引き出すのが一番正しいと思いまふ。
■ ラモーナ・ツァラヌ 『青い目で観る日本伝統芸能』『『No.018 毒の入った子守唄――万有引力『身毒丸』』 ■