金魚屋編集部では『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍を編集するにあたって、安井浩司氏から氏が参加した若い頃の同人誌をお借りした。巻末の年譜に写真掲載する目的でお借りしたわけだから、もう安井氏にお返しなければならないのだが、雑誌は当たり前だが読むために作られている。ましてや安井氏からお借りした同人誌には、寺山修司主宰の『牧羊神』や、加藤郁乎らと一緒に刊行した『Unicorn』などが含まれている。このままお返しするのは惜しいという気持ちが湧いてくる。
詩の同人誌に詳しい方には説明するまでもないことだが、優れた文学者が若い頃に刊行した同人誌は資料的価値が高い。単なる若書きじゃないか、と思われるかもしれないが、自発的に、身銭を切って刊行した雑誌だからこそ、作家の本質が鮮やかに表現されていることが多いのである。ましてや半世紀近く前に刊行された少部数刊行の同人誌を、まとめて読むことができる機会など滅多にない。そこで安井参加初期同人誌について数回に渡って書いてみたい。
ただ安井さんにはこういう文章を書くとお伝えしていないので、バレたら怒られそうだなぁ。僕も十代の終わり頃から大学の仲間と一緒に同人誌を刊行したが、どこかの物好きがそれについて文章を書き、自分の作品なんかを引用したら、『今すぐやめろ、でないとぶっ殺す』(もちろん言葉だけです)と言いそうだ。若い頃の作品は、当人にとっては超恥ずかしいものなのである。
詩人・吉岡実は予備役と本出征に際して、遺書のつもりで慌ただしく『昏睡季節』と『液体』の二冊の詩集を出版した。『昏睡季節』には詩と短歌が収録されているが、お世辞にも出来がいいとは言えない。その反省があったのか、『液体』にはすっきりと詩のみ収録されていて作品のレベルも及第点である。短期間で作品集のレベルを修正してくるところなど、さすが吉岡である。『液体』には北園克衛や瀧口修造らのモダニズム・シュルレアリスムの影響が色濃く表れているが、もし吉岡が戦争で戦没していても、詩史にその名がひっそり記されるくらいの出来である。
吉岡さんは、戦後、詩集『静物』によって再デビューというか、本当の意味での独自の詩作を始められたのだが、長い間、『液体』が処女詩集であると言い張って『昏睡季節』の存在を秘匿されていた。しかし晩年になって、徐々に『昏睡季節』所収作品を、折に触れて公開されるようになった。吉岡は七十一歳で亡くなったが、安井さんは今年で七十六歳である。もう生涯年齢は吉岡さんより年上である。ここは大人(『おとな』ではなく『たいじん』ね)の風格を示していただくことにして(と勝手に決めつけて)、どんどん安井参加初期同人誌を紹介していきたい。第一回目は『牧羊神』第一号(創刊号)である。
『牧羊神』は当時、青森県立青森高等学校の三年生だった寺山修司が、中学時代からの親友・京武久美と一緒に創刊した俳誌である。表紙には『牧羊神 VOL.1 NO.1 十代の俳句研究誌』と印刷されている。『VOL.1』は刊行年数を指し、『NO.1』は雑誌通巻ナンバーを指す。雑誌刊行二年目で通巻七号なら、『VOL.2 NO.7』となるわけである(創刊号以降、厳密には守られていないが)。ガリ版刷りだが活版と遜色ない出来である。『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍では、ガリ版版下は専門の職人が作ったと記述したが、どうも違うようだ。そんな金はなく、寺山とその仲間がガリ版書きしていたらしい。器用なものだ。『牧羊神』第一号(創刊号)の書誌的データは本稿の最後にまとめておくので、ここではその内容を簡単に紹介したい。
寺山主宰とはいえ、『牧羊神』創刊号で彼が前面に出てイニシアチブを発揮しているわけではない。むしろ編集者兼仕掛け人として活躍している。巻頭は秋元不死男の寄稿『子規忌』七句である。秋元は当時五十三歳の壮年。昭和十六年(一九四一年)に治安維持法違反で逮捕され、戦後は山口誓子の『天狼』に参加した当時の俳壇の大物である。十八歳の青森の高校生のジャーナリスティックなセンスには驚くほかない。『牧羊神』創刊号を手にした高校生たちは度肝を抜かれたことだろう。
子規忌 秋元不死男
歯を借りて繃帯むすぶ子規忌かな
冷やされて牛の貫禄静かなり
目刺みな眼をくもらせて聖夜なり
燕(つばくろ)や人が笛吹く生きるため
すいすいと電線よろこび野へ蝌蚪
梅雨の沖寒し雨具に女透く
友蟻の死体くわえて水際(みぎわ)■し
(* ■は読み取れなかった)
寺山は香西照雄選の『種まく人』に三句採られ、『ある手紙』九句、それに『特別作品』としてくくられた欄に八句作品を発表している。
(青森高)寺山修司(『種まく人』より)
崖上のオルガン仰ぎ種まく人
種まく人おのれはづみて日あたれる
麦の芽に日当るごとくに父が欲し
ある手紙 寺山修司
――雪のない思ひ出に
一帰燕家系に詩人などなからむ
口開けて虹見る煙突工の友よ
街はもう童話ではない
いまは床屋となりたる友の落ち葉の詩
石垣よせに頬うつ飛雪詩(うた)成れよ
卒業歌鍛冶の谺も遠からずよ
詩人死して舞台は閉じぬ冬の鼻
母に「待ってください」
詩を読まむ籠の小鳥は恩知らず
従弟は船にのったので
青む林檎水兵帽に髪あまる
小鳥来る襤褸はしあわせ色ならずや
(青森高)寺山修司(『特別作品』より)
山の虹教師尿まりしあとも仰ぐ
夏手袋いつも横顔さみしきひと
訛り強き父の高帽ひばりの天
大揚羽教師ひとりのときは優し
母は息もて竈火創るチエホフ忌
便所より青空見えて啄木忌
鵞鳥の列は川沿ひがちに冬の旅
草笛吹く髪の長さも母系にて
香西照雄選の『種まく人』には二十三人の高校生の作品が選ばれているが、『種まく人』を詠み込んだ俳句を発表しているのは寺山だけである。意地悪な言い方をすれば、選者の足元を見たような投句である。また寺山は戦争で父を失っている。『麦の芽に日当るごとくに父が欲し』が選ばれるのは当然のことだろう。
また寺山が俳句を作りながら、はっきりと『詩』(自由詩)の表現を意識していたことがわかる。こういう言い方をすると怒られるかもしれないが、俳壇は外からの視線に弱い。結社が群雄割拠していて、人間関係も思考も固着しがちになるからではないかと勝手に想像している。また外からの視線というのは、俳壇以外の詩人や小説家、文芸批評家らから寄せられる俳句評価だけではない。俳人はヨーロッパ思想などを積極的に、時にはあまりにも無邪気に、その俳句理論に取り入れようとする傾向がある。
寺山はそれを見透かしたように『詩』を持ち出してくる。『俳句読まむ』ではなく、『詩を読まむ籠の小鳥は恩知らず』なのである。モダンな自由詩を読み耽る青年の姿が浮かび出る。また作品に『チエホフ』が表れる。寺山が後年劇作家になることを預言している句ではない。『チエホフ』という言葉の異国情調、そのバタ臭さが問題なのだ。寺山の作品にはある特定の単語に対する思い入れといったものは見当たらない。ただ抜群の言葉選びのセンス、古くさい俳句を刷新する言葉の異化作用に対する優れたセンスがある。『母は息もて竈火創るチエホフ忌』『便所より青空見えて啄木忌』は秀句である。
『牧羊神』には確かに一種独特の空気感のようなものが流れている。皆文学少年・少女だったのだろうが、背伸びをしている気配がまったくない。十八歳くらいの文学青年・少女が、背伸びをしなことの方が一種異様なのだ。秋元潔は『少年が世覗く時冬バラの棘』『アメリカが何だ氷雨にうたふ義足兵』という、素直だが印象的な句を発表している。大人の俳句を真似るのではなく、等身大の十代の感性を最大限に活用した句が多いのである。
『牧羊神』は青色のインクで印刷されている。それは青臭さ、青春という言葉を連想させる。それがこの雑誌によく合っている。寺山が刷り色まで計算して『牧羊神』を作ったのなら、そのセンスは驚くべきものである。
ここに「牧羊神」の創刊を諸君と共にお喜びする。思えば青高俳句界が「青い森」で不死男先生を囲んで若い情熱をあたため、県の学生俳句大会や会誌の発行などに力をそそぎ始めてからわずかに三年。早くも各地に「三ツ葉」「谺」「柏」「青年俳句」「三八俳句会」などten-ageの俳誌やグループの活動が見られるようになったのも僕らの小さな感激の一つである。
僕らの俳句革新運動は本誌三号あたりからpan宣言として僕や京武君などが交代で毎号の巻頭にその理論を体系づけてゆくつもりであるが、古い言い方を借りれば「論より実行」。諸君の実作がペンの余滴の何行にも勝るようになることを信じて疑わない。
本グループ結成早々で誠にうれしいような申し訳ないような話であるが近く本誌同人の京武久美、丸谷タキ子、近藤昭一、石野佳世子、松井寿男、僕で卒業記念の合同句集『雲上律』を出すことになった。題字は山口誓子先生の予定で美術謄写製一部百円である。希望者は編集部宛申しこまれたい。
産業経済新聞社では俳壇の芥川賞としてサンケイ俳句賞とサンケイ俳壇をもうけたが、後者は毎週一人宛入選者に二千円宛の賞金(あるいは奨学金とでもいうか)を下さるとのことである。そこで紹介という訳ではないが本誌同人が入賞したら半額金一千円を本誌発行費に是非共寄贈あてられたいのである。月一人だれか入賞すると本誌は決して遅刊も欠刊もなくて済む訳だから。
本誌の俳壇月評は主として若いゼネレーションのものにポイントを置きたいと思う。さしあたり「谺」と「三ツ葉」が寄贈されてあるが、この種のものは大いに編集部まで送られたい。そして月並であるが会員同人の倍加に協力あられたい。
創刊号早々「鯛」づくしでは食欲旺盛の諸君もやや食傷気味という所か。
北の町は雪が少なく、海鳴りが大へんしづかに胸の中まで寄せてくる日日、同人諸君の無事卒業を心からお祈りする。
誌名はいつのまにやら牧羊神と決ってしまった。牧羊神とは髭の濃い醜男の音楽の神様でPANといいその詩的な性とふんいきは永く愛と親しみの対称となっていたものである。
寺山修司 『post』 『牧羊神』創刊号後記
いささか長いが寺山の『牧羊神』創刊号後記全文を引用した。良くも悪くも寺山修司という作家の資質がはっきりと表れた文章である。今でも詩人は詩壇・俳壇以外では絶対に通用しない、わけのわからない散文を書きがちだが、寺山の文章はすっきりしている。そのうえ率直に感情を表現する巧みな技術を持っている。十八歳でこのくらいの文章を書ける少年が、プロの物書きにならない方がおかしい。また寺山は、秋元不死男を足がかりに山口誓子にまで接近している。東京の中央俳壇も見据えている。この文章にこれ以上コメントする必要があるだろうか。読めば誰でも寺山がどういう作家であるかわかると思う。
ちなみに安井氏は巻末の『同人MEMBER』には名前があるが、『牧羊神』創刊号に寄稿していない。『牧羊神』創刊号を受け取って、そのできばえに口をあんぐりと開けた高校生の一人だったのではないかと思う。
鶴山裕司
■『牧羊神 VOL.1 NO.1 十代の俳句研究誌』書誌データ ■
・判型 B5版変形 縦24センチ×横17.5センチ(実寸)
・ページ数 16ページ
・刷色 青、表紙『牧羊神』のみ赤色
・奥付
昭和29年2月1日印刷
昭和29年2月1日発行
牧羊神俳句会
発行所 青森市外筒井新奥野
・印刷所 創造社
・同人MEMBER 総数24人
京武久美、秋元潔、松井寿男、田中明、近藤照一、鈴木栄昌、寺山修司、種市つとむ、丸谷タキ子、林俊雄、伊藤レイ子、後藤好子、田辺未知男、松岡耕作、阿南文吉、川島一夫、橘川護、野呂田稔、中西久男、安井浩司、福島ゆたか、工藤春男、大阪幸四郎、井畑寔
* 人名表記はオリジナルテキスト通り。第2、3号とは若干漢字表記等が異なるが、恐らく創刊号の方がいわゆる誤植なのではないかと思う。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■