佐藤知恵子さんの大衆文芸誌時評『No.008 矢樹純「魂疫」』(小説新潮 2021年08月号)、『No.009 東山彰良「わたしはわたしで」』(小説新潮 2021年09月号)、『No.008 宇佐美まこと「沈下橋渡ろ」』(小説すばる 2021年08月号)をアップしましたぁ。
佐藤知恵子さんには大衆文芸誌批評をお願いしているわけですが、大衆文学は純文学より劣っているというステレオタイプの常識はあんまし正しくないです。もちろん大衆文芸誌に掲載されている作品の90パーセント近くは「むー」と脱力してしまうような作品です。決してレベルは高くない。もそっと正確に言うとかるーく楽しませ、かるーく読者を楽しませる大衆文学のセオリーは踏まえていますが文学的価値はほぼありません。これは明治時代くらいから変わっていない。当時の新聞や雑誌を読めばわかります。漱石ら今読まれている傑作小説の方が例外で、90パーセント以上の誌面は今と質的に変わりのない大衆小説で埋められています。
ただ筆力、構成力ともにずば抜けた能力を持つ作家は大衆文学の世界にいらっしゃることが多いのです。特に現代ではその傾向が強い。その原因は純文学のステレオタイプ化にあります。杓子定規に言えば純文学とは文学の中の最も純な部分を表現している小説です。しかしそれが見当たらない。書いても的に当たらない。そのため純文学的な外皮で純文学のアトモスフィアを糊塗する作品がひじょーに増えている。でも包装紙は立派でも中身がしょぼければ読者はつかない。読者を強く意識した大衆文学の方が勢いがある理由です。
■ 佐藤知恵子 大衆文芸誌時評『No.008 矢樹純「魂疫」』(小説新潮 2021年08月号)■
■ 佐藤知恵子 大衆文芸誌時評『No.009 東山彰良「わたしはわたしで」』(小説新潮 2021年09月号)■
■ 佐藤知恵子 大衆文芸誌時評『No.008 宇佐美まこと「沈下橋渡ろ」』(小説すばる 2021年08月号)■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■