佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』2021年03・04合併号、05月号、06月号をアップしましたぁ。来月あたりから佐藤さんにはオール讀物以外の大衆小説の時評もやっていただく予定ですが、今月は先月いただいたオール讀物時評の続きです。
小説はどんな書き方をしてもいいわけですが、自由詩のように本当になんでもアリというわけにはいきません。むしろ短歌や俳句と同じように一定の書き方のルールがあると言っていい。そのルールを最もよく飲み込んでいるのがいわゆる大衆作家と呼ばれる方たちです。スラリと読める小説の名手揃いです。
純文学作家は当然のことながら大衆作家と差別化を図らなければならないので、いろんな書き方をします。もっと言えば、無理のある書き方で小説を書きたがる。ラッキーならそれが前衛小説ともてはやされたりするわけですが、前衛小説、見てりゃわかりますが、たいてい一過性の評価でその後が続かない。要するに持続的な話題性を持たない。これでは作家としてやっていけないのは当然です。
前衛がいけないと言っているわけではありません。しかし小説のセオリーを外そうとする小説はまず間違いなく失敗すると言っていいです。短歌や俳句で形式の枠を外そうとする前衛が必敗になるのと同じですね。
ではどうすればいいのか。大衆小説的な小説のセオリーをきっちり踏まえた上で前衛を目指すことですね。過去の前衛小説の傑作を読めば、ほとんどの作品がそうしていることがわかるはずです。前衛小説しか書けない作家などいない。大衆小説も前衛小説の書けるということは、小説のセオリーの原則を作家が把握していることを意味します。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.160 西條奈加「心淋し川」』(2021年03・04合併号) ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.161 カツセマサヒコ「名前がありすぎる」』(2021年05月号)』 ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.161 額賀澪「星の盤側」』(2021年06月号)』 ■
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