コロナが少し落ち着いて出勤することになって、ひっさびさで同僚たちとカラオケに行ってきましたの。アテクシの十八番、大塚愛ちゃんのCHU-LIPも歌ってきましたわ。
チューリップの恋模様
19やハタチでガタガタ言うなよ♪
チューリップの恋模様
19やハタチでガタガタ言うなーよーーーー♪♪♪
新入社員がいたら青ざめたかもしれませんが、今回は中堅社員ばっかでしたわね。中堅社員といっても新入社員というか、出戻り社員もいっしょでしたの。アテクシの会社は日本ドメドメ会社じゃありませんから、退職した社員が出戻ってくることがありますの。転職して合わなければまた転職ってことになるわけですが、その際、元いた会社も就職先になるわけね。仕事内容飲み込んでいるからけっこう便利よ。日本企業は終身雇用制が崩れかけてますけど、社員は一定の能力があってどの会社でも働ける、そんで会社側は転職の際に能力に応じて採用する形にならないと終身雇用は廃止できないわよね。
だけどビックリしたことに、カラオケ屋さんの一フロアにアテクシたちだけだったのよ。奥のボックスだったから中覗いて歩いていったんですが、お客さんは入ってなかったわ。トイレなんかに行った時も後からお客さんが来た気配はなかったわねぇ。これはコロナの影響なのかしら、それとも日本が不景気だからかしら。恐らく両方なんでしょうけど、お店経営しておられる方たちは大変ねぇ。
日本が不景気になってるのは本当のことで、大学生の奨学金申請率が50パーセント超えたって聞くとビックリしてしまいますわ。時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、アテクシたちの時代にはそれはあんまりなかったわねぇ。しっかり者の知恵子様ですら、大学の学費は親が出すものって決めてかかってましたもの。思えばいい時代だったのねぇ。日本企業の終身雇用制度が安定してて、給与が上がり続けたのは終戦から50年くらいの間だけだったのね。この戦後の50年がいつまでも続くと考えるのは今や自殺行為かもしれませんわ。社会全体について言えることよ。文学の世界だって多分例外じゃないわね。
で、今現在、若い方たちはアテクシたちの時代よりも先に、19歳くらいから苦労し始めてるってことになるわね。そういう声はもちろんTwitterなんかにも溢れています。まあ若い方たちだけじゃありませんけどね。でもある程度年齢を重ねた人たちは、それまでしてきたことの積み重ねの今ですから、そのラインに沿ってなんとかしてゆくしかありませんわ。若い方の方が問題は深刻ね。はっきり言ってほとんどの方がたいした能力もないしツテもないわけですから深く悩んじゃうわよね。
それぞれ考えや立場が違うでしょうから簡単な解決方法はないわけですけど、アテクシのささやかなアドバイスとしては、勉強しながらバイトしながら暗号通貨(仮想通貨)やNFT、株でもいいですけど、そういった投資について真剣に勉強して実践なさってみた方がいいと思いますわ。もちそう簡単には儲かりませんわ。でもトライ&エラーを重ねていけばそこそこの成功が得られると思います。また投資の知識はその後も非常に役に立ちます。お金さえあればいいって言ってるんじゃないのよ。アテクシが一番カッコイイと思う生き方は、お金はそこそこあるけど地味にコツコツ働くことよ。お金はあるけどやることない大金持ちが増えてますけどあれはかっこ悪いわ。生きがいのない人生なんてダメよ。
「ミミはね、斜向かいの西澤さんちでは、タマなのよ」
父がミミを連れてきてから、一年が経った日のことだ。縁側で気持ちよさそうに日向ぼっこしているミミを見ながら、母が言った。中学の制服姿のまま、リビングでおかきを頬ばっていた私は、母の言っていることを理解するのに、時間がかかった。(中略)
「まあ、帰ってきてくれるんだから、どこにいてもいいんじゃない? それでね、この前、西澤さんの奥さんと話してたんだけど、最近、西澤さんも外猫を飼い始めたって言うの。外猫っていいよねー、みたいな話をしてたら、ちょうどミミが、路地裏から出てきたのね。そしたら、西澤さんが『あ、タマ!』って言ったの。本当にびっくりして、笑っちゃった」
楽しそうに話す母の思考が、理解できなかった。
カツセマサヒコ「名前がありすぎる」
カツセマサヒコ先生の「名前がありすぎる」の主人公は大学四年生の麗亜。就活中ですがなかなか内定が決まらず、おまけにコロナでバイトもままなりません。半年くらいは就活に集中していたのですが、バイトなしでは生活が苦しくなる。かといって昼間は就活で面接があったり呼び出しがかかる可能性もある。麗亜はとりあえず夜ガールズバーで働くことにしたのでした。コロナで営業規制がかかっていますが、水商売の店はそれを破ったり無視している店が多かったのですね。苦肉の策のバイトです。
面接に行くとエリアマネジャーの男が源氏名を決めた方がいいと言う。「キミ、耳がちょっと尖ってるし、ミミちゃんでどう?」でミミに決まってしまいました。麗亜はミミという源氏名で昔実家で飼っていた猫のことを思い出します。今のように家の中から出さない家猫ではなく、自由に外に遊びに行かせる外猫でした。そのミミが斜向かいの西澤さんの家ではタマ、裏の内田さんの家ではメグと呼ばれてエサをもらったりしていたのでした。
美容院で登録した名前は「秋山莉保」。行きつけの飲み屋での予約名は「戸川あかね」。一年近く行けてないカラオケ店の会員名は「橋本美佐」。いずれも私であるのに、清水麗亜ではない。それぞれの場所で、それぞれの生き方を演じて、その場限りの人間になりきる。それが、ミミの死を聞いた途端に身に付けた、誰にも打ち明けない私の処世術だった。
*
幼少期の苛酷な原体験、学生時代に成し遂げた偉業、壮大なスケールの将来の夢、他人の人生なら、それこそ、秋山莉保や橋本美佐なら、いくらでもストーリーが描けるのに。「清水麗亜」の名前を出されると、途端に夢も希望もない、地味で面白味のない人間が露呈する。自分が何をしたいとか、何になりたいとか、全くイメージが湧かない。就職したことが一度もない学生に、入社後の自分をイメージさせるなんて行為が、そもそも無理強いに感じる。私はどうにか頭を回転させて、清水麗亜を動かした。
同
飼い猫(外猫)のミミが死んでから、麗亜はちょっとした秘密の遊びを始めます。複数の人格を作り出して美容院やカラオケ屋など、トラブルになりそうにない場所で架空の人格を演じ始めたのです。これはけっこうよくあることですね。ただ素の麗亜になると、ぺらぺらと口から溢れ出てくる嘘というか妄想がすっかり影を潜めてしまいます。
コロナ禍ですから麗亜はzoomかなにかでリモートで就職面接を受けます。面接官はけっこう手厳しい。意地悪と感じてしまう質問も投げかけます。麗亜として面接を受けているとそれにうまく対応できないんですね。面接官が志望者に厳しく意地の悪い質問を投げかけるのはその人が本当に嫌な人なわけではなく、わざとやっている場合もあります。志望者がしどろもどろになっても低い評価に繋がるわけでもない。それは置いといて、麗亜はなぜ素の自分に戻るとダメダメなのか悩んでしまうのでした。
この後の、麗亜が源氏名でガールズバーで働いた顛末は実際にお作品を読んで楽しんでいただくとして、設定はとぉっても面白いですわね。面接官が本当に意地悪なのかどうか振り幅がありますし、麗亜の一種の憑依が本物の能力なのか付け焼き刃なのか、付け焼き刃だとしてもけっこう通用してしまうものなのかどうか、展開の仕方はいろいろあります。こういったアイディアは大衆小説のツカミには必須ですわ。
問題はつかんだ後の次の一歩ですわね。一直線に進んでしまっては面白くなりません。一回外して円を描くように元の場所に戻ってくると、ある本質のようなものが現れることが多い。麗亜のママは「まあ、帰ってきてくれるんだから、どこにいてもいいんじゃない」と言い、麗亜は源氏名を使うのは「私の処世術」だと言っています。読者の記憶に残るスリップ的な言葉はあるわけで、すり抜けて元に戻ればお見事! ということになるでしょうね。
佐藤知恵子
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