遠藤徹さんの連載マンガ『キノコの森』(第24回)&『えくすぽえめんたる』(第10回)&連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第10回)をアップしましたぁ。快調に3本の連載を続けておられます。で、今回は遠藤さんの新刊『幸福のゾンビ ゾンビ短編集』の予告です。
『幸福のゾンビ ゾンビ短編集』は、まだ出版されていないので石川も内容を把握していませんが、『ゾンビと資本主義—主体/ネオリベ/人種/ジェンダーを超えて』(工作社、10月28日刊行予定)とセットのようです。予告文には「アフリカの民間信仰を源流とし、19世紀にハイチのヴードゥー教の「生ける死者」となった「ゾンビ」。1932年にアメリカ映画で吸血鬼に次ぐモンスターとして登場後は、またたくまにスクリーンを席捲し、やがては社会のさまざまな事象を代弁し、刻印できる便利な「表象/隠喩」として定着した。理性も知性ももたず人を襲い、嚙まれた者も同類になっていく。本書はこうしたゾンビのあり方に、この世/主体/資本主義/人種/ジェンダーの枠組みから逃避する道の可能性を見出す。多彩な現代思想の手法を駆使して、現代社会でゾンビ表象が担う意味をあぶりだした知的冒険の書」とあります。
遠藤さんは小説家であり文明批評家でもあります。プラス文学金魚でお馴染みのようにマンガもお描きになりますし音楽も制作なさる。マルチに活躍なさっている、いわゆるマルチジャンル作家です。
文学金魚には小原眞紀子さんや鶴山裕司さんなどマルチジャンル作家が多いですが(彼らの本も遠藤さんの本と同時に刊行されます)、文学金魚ではマルチジャンル、綜合文学的志向を持つ作家を重視しています。それには様々な理由があります。
文学を詩、小説、批評などのジャンル別に捉えるのはバカげています。官庁的な硬直した縦割り文学ジャンルがほとんど制度として成立しているのは世界でも日本くらいのものです。またサブカルと呼ばれていますが実質的に日本のメインコンテンツであるマンガやアニメを単なるエンタメとして排除するのもバカげています。これだけ情報化時代になっているのに作家が一つのジャンルに固執するのは自殺行為です。また文化を綜合的に捉えるのは各ジャンルのアイデンティティを再定義するためにも必要です。戦後文学が完全終焉しNextの文化パラダイムがまだ見えない過渡期の現在において、急がれるのは21世紀的なジャンルの再定義でありそのために綜合文学的視点が必須だということです。
さらに言えば文学市場は急速に縮小しています。縮小し続けている。たいていの作家の卵は最短でも2、30年遅れの文学書を読んで作家志望の夢を膨らませています。多額の原稿料や印税、カンヅメ、取材旅行など今では影を潜めてしまった景気がよかった頃の文学幻想を抱いている人も多い。しかしリアルタイムで文学状況を見れば芥川賞作家といえども文筆で生計を立ててゆくのは非常に難しくなっている。いわんや詩をやで詩では短歌俳句の新聞投稿欄選者にでもならない限り、まとまった収入は得られない。こんな状況の中で自費出版で作品集を出し続けても必ず息切れする。いつか絶望にさいなまれて詩を放り出すことになる。若い頃ちょっとちやほやされてもそれはプチバブルで、人生の終わりまで自費出版と紙一重の創作活動が続くからです。詩人はよほどの信念を持っていなければそれに耐えられない。またはこの苦しい状況をなんとしてでも変える努力をした詩人だけが生き残れる。
作家はなりふりかまわず足掻く必要があります。小説家は小説家で、詩人は小説家よりさらに激しく足掻かないと理念面でも実生活面でも絶対に活路は拓けない。もちろん足掻いても現在の厳しい文学状況で活路を見出せるのは一握りの作家しかいないはずです。しかしその一握りの作家になりたいのなら激しく足掻く必要がある。足掻く先駆者にならなければならない。特に純文学作家はそうです。文学の中で最も純な現代的要素を作品化するはずの純文学作家が、情報錯綜し毎日毎日大量の情報にさらされる現代において、一つジャンルに視線を固着化させていて現代社会を捉えられるわけがない。
昨日と今日の状況で大騒ぎする文学ジャーナリズムもまたどんどん息切れし始めています。実際文芸誌の置かれている状況も厳しい。情報化社会との対比で文学には実は短期の状況など存在しないことが露わになり始めている。誰ももう文学者を特権的知性や感性を持っているなどとは考えていない現代に、文壇詩壇の毎月毎年のささやかな出来事を針小棒大に喧伝して状況を作り出す文学ジャーナリズムには限界がある。文学界全体を相対化しなければ文学の活性化は望めない。
文学の世界を変えるのはいつだって腰を据えて仕事をした作家だけです。文学金魚は既存文学ジャーナリズムに乗り切れない、あるいは意識的に乗らない作家による本質的文学ジャーナリズムです。文学金魚が安井浩司さんの仕事を高く評価して3冊同時に本を出すのもそれゆえです。遠藤さんも然り。遠藤さんは、まあはっきり言えば、既存の文学ジャーナリズムに乗り切れない(小原さんや鶴山さんもそうですが)。しかし文学金魚は彼の作家能力を高く評価しています。遠藤さんは既存の文学の枠組みに決して納まらないスケールの大きな作家さんです。文学を本質的に変える力を持った作家さんのお一人だということですね。
■ 遠藤徹 連載マンガ『えくすぽえめんたる』(第10回) ■
■ 遠藤徹 連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第10回)縦書版 ■
■ 遠藤徹 連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第10回)横書版 ■
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