佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』の3連投です。『No.136 榛原浩「母喰鳥」(オール讀物 2018年11月号)』、『No.137 北村薫「菊池寛はアメリカなのか」(オール讀物 2018年12月号)』、『No.138 東山彰良「小さな場所」(オール讀物 2019年01月号)』です。
オール讀物さんについては気になるコトがありますねぇ。今年(2019年)に入ってからすでに2回、合併号が出ています。つまり今年は最大でも10冊しか雑誌が刊行されないといふことです。んーんーひじょーに書きにくいですが、以前、紙媒体の雑誌編集もやっていた石川の経験から言うと、雑誌が売れてるなら合併号は出さないだろうなぁ。景気が良ければ通常号に加えて臨時増刊号を出すでせうね。オール讀物さん、大衆小説誌の王様です。んーんー困ったもんだ。
あんまし不景気なことは書きたくないのですが、文学不況は相当なものでして、石川はだいぶ前からこの不況の底がどの辺にあるのか探っています。株式なんかで言うと〝底〟は直近のどん底を指すことが多い。リーマンショックの時の株価とかですね。ですが現在進行形の文学不況の底は、とうに戦後の底を割り込みました。明治時代くらいまで遡るんぢゃなかろか。もち現代と明治時代はやっぱり違いますから、何十万部も売れる本や作家は一握りは残るでしょうが、1万部売れたらベストセラーの感覚になりつつあるんぢゃなかろか。つまりたいていの本は1~2,000部くらいで採算を考えなくちゃならないかも。
どの版元も営利団体なわけですから、収支にはとても非常に敏感です。版元が雑誌で稿料を払って、それプラス、本を出版して印税を払えるのは、本が相当部数、売れるという前提があってのことです。当たり前ですよね。でも本が売れなければ雑誌システムは崩壊していきます。大衆小説誌は売れっ子作家のペースメーカー&囲い込みのための雑誌という面があるわけですから。しかしもしこのシステムが大衆文学誌で崩れ始めているなら、純文学誌はさらに厳しいでしょうね。
しかしそういう厳しい状況は、悪いことばかりではないと思います。まず作家が強い危機感を抱かなければ、今の厳しい状況からは脱却できないでしょうね。漠然とした言い方しかできませんが、文学の質を上げるしか方法はないように思います。ただ今は純文学はもちろん、大衆文学であろうと相当に厳しいのだという覚悟を持った方がよさそうです。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.136 榛原浩「母喰鳥」(オール讀物 2018年11月号)』 ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.137 北村薫「菊池寛はアメリカなのか」(オール讀物 2018年12月号)』 ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.138 東山彰良「小さな場所」(オール讀物 2019年01月号)』 ■
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