萩野篤人 新連載評論『アブラハムの末裔』(第01回)をアップしましたぁ。金魚屋初の評論での新人賞受賞です。選考委員の辻原登先生が選評で「その真の価値は作家の〝肉体的思想〟が表現されていることにある。個人的な思いは進むにつれて普遍化されてゆくが、その過程に緩みはない。抽象性を獲得しながら切迫感がむしろ高まってゆく光景は極めてめずらしい。思想が深く、嘘がない証左である。薄っぺらな概念いじりが横行する昨今これは何としても世に出すべき、そう思えなければ節穴の誹りを受けよう」とお書きになっている通りです。
今の文学界で文芸評論は概して低調です。小説文芸誌を読んでいても文芸評論の数はとても少ない。詩誌(歌誌、句誌、詩誌)では毎号のように評論が半分くらいを占めますが、さほどインパクトはありません。どのジャンルでもこれといった論点がないのですね。多くの作家が共通して興味を抱く論点が見当たらない。パラダイム喪失といったところでしょうか。
こういった時代には原点に帰るのが遠回りのようで一番確実なのではないかと思います。詩も小説も単に目新しい作品を書けばいいという時代は終わったと思います。高度情報化のネット時代になって文学という古色蒼然とした表現のアイデンティティが揺れています。全ジャンルでアイデンティティが問い直されていると言ってもいいかな。情報化時代は今後も加速度的に進行するわけですから、各文学の役割を再定義・再認識する必要があると思います。
萩野さんの『アブラハムの末裔』は「津久井やまゆり園」事件を題材としています。また夭折した妹さんが重度の自閉症でもありました。それがこの評論に〝肉体的思想〟を与えている最大の要因です。もちろん文芸評論ですから単純な社会批判や犯人断罪には赴きません。事は思想の問題です。「全人類が心の隅に隠した想い」は何かということです。それが旧約聖書にある、神の命令によるアブラハムの息子殺し(未遂ですが)を元に掘り下げられていきます。
このテーマは根源的です。また再び同じ主題で書くことはできないでしょうが、萩野さんという作家にとって、この決して解けないアポリアが今後も表現の核になってゆくと予想されます。物書きさんとしてはここからが勝負ですね。今の時代、肉体に食い込むような思想、とても大切です。
■萩野篤人 新連載評論『アブラハムの末裔』(第01回)縦書版■
■萩野篤人 新連載評論『アブラハムの末裔』(第01回)横書版■
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