辻原登奨励小説賞 佳作
井上志津「先生とぼく」(小説)
紫雲「クローンスクール」(小説)
西田剛「宝石を纏ったドレッドノート」(小説)
松原和音「海月」(小説)
文学金魚奨励賞
萩野篤人「アブラハムの末裔」(評論)
【総評-辻原登】
■ 文学金魚奨励賞 ■
萩野篤人「アブラハムの末裔」(評論)
【著者略歴】
1961年(昭和36年)、埼玉県所沢市に生まれる。
両親は愛知県出身。農家を継ぐはずだった父は、何を思ったか大学の英文科へ進学、銀行員となって上京。四畳半のアパート暮らしから一転、鎌倉の山あいに一軒家を構える。小学生の時、瑞泉寺の境内を父と散策中、顔の半分はあろうかという巨きな眼をぎょろりと光らせ、水仙の群れを視ている和服姿の小柄な老人がいた。「あれが川端康成だよ。」と父。
二人兄妹、九つ下の妹が重度の自閉症と判明。母は、日蓮宗系の某新興宗教団体に勧誘され入信。
1985年、慶應義塾大学仏文科卒。同年、富士通株式会社へ入社。文学にまったく縁もゆかりもない業界で生きようと考えたのは、吉本隆明の〝25時間目〟の影響。
1989年、結婚。一女をもうける。
1991年、妹が急逝(21歳)。
営業の体育会的気風になじめず、配置転換を要求。灰皿を投げつけられる。このため自らコンプラ事件を起こし左遷されるも、配転先のボスになぜか気に入られ管理職に。
2016年、津久井やまゆり園事件。
2018年、父が倒れ、介護のため会社を離職。介護中に母が急逝。その逝き方が妹とまったくシンクロしているのにめまいを覚える。翌年、父が死去。そこから遡ること約15年前、ママチャリ6段から始めて出世魚のように変貌を遂げた自転車(ロードバイク)へ日々またがっては、筆を執る生活に。かつての体育会的経験が、いまは自転車人生と言っても過言でない趣味に、はからずも役立つ結果となった。
【受賞の言葉】
モノ書きの真似事をはじめたのは、10代のころだった。
半世紀近くも、お前は何を書いてきたのかと問われたら困ってしまうが、ぼくの中にいつしか奇態な考えがぽつぽつと浮かぶようになった。それを誰かに打ち明ければ、お前は一度医者に診てもらった方がいい、と白い眼で見られそうな気がして、誰にも言えずひたすらノートへ書きつけてきたのだった。比較的無難なものを挙げれば、「〝変化(なる)〟は世界の中に存在しない」「死は存在しない。が一方、死は〝公正さ〟の概念の故郷である」「ひとり自分にしか聴こえない音楽がある。モーツァルトのピアノ協奏曲第19番ヘ長調はその一例」等々である。
しかし誰が何と言おうと、たとえ世界が漆黒の闇へ没しようと、ぼくの考えが真理であることは疑えない。それをことばにする、そのさいのことばの水準だけが問題なのだ。ぼくは書いては直し、直しては書いた。
公にするつもりはなかった。遺稿を焼却しようとしたカフカのように、ぼくに宿った奇態な考えも、それを書きつけた原稿もこのまま埋もれてぼくは逝き、しばらくしてぼくの遺品を整理しようとした家族だか誰かが、たまたまパソコンの中にぼくの書き溜めたデータがあるのを見つけ、「何これ。わけわかんねー。気持ちわりィ!」と消されて終わりになるはずだった。
それがなぜか還暦を過ぎてから、ぼくをうながす声があって、一部を世の中へ送り出そうという心持ちになった。縁あって拾われた。それがこの作品だ。ぼくの背中を押した声の正体は分かっている。いまから32年前に亡くなった妹である。ときにぼくは思った。ぼくのことばは妹、妹はぼくのことばである、と。その妹が「声を上げて!」とぼくに訴えたのである。個人的には、ぼくはこの作品を7年前、「津久井やまゆり園」で犠牲になった19名のひとたちと、誰よりも妹にささげるために書いた。
だから、ぼくではなくて、この作品を拾ってくれた「文学金魚」とご関係の方々にはどんなに感謝しても感謝しきれない。ぼくは、ものを書くこと、モーツァルトの音楽を誰よりも愛すること、自転車に乗ること、この三つ以外まったく何ひとつ満足にできない人間で、世間で30年以上もサラリーマンを続けてこられたこと自体、奇蹟というしかない(という程度の自覚くらいは持っている)。
長くなって恐縮だが、モーツァルトと自転車にまつわるエピソードをひとつだけ紹介させていただきたい。数年前の秋、愛車のロードバイクで埼玉県越生(おごせ)の黒山という山道を下っている途中、15番のディヴェルティメント (変ロ長調, K二八七) のアダージョ楽章が出し抜けに頭の中で鳴りひびいた。音楽が頭の中で鳴るのはよくあることだが、このときは周囲の音がまったく耳に入らなくなった。クルマと同じ速度で疾走している最中だから命が危なかったのだが、聴きながらああ、この宇宙と自分とは、同じ一(いつ)なるものなんだという強い確信におそわれた。続いて、誰も独りぼっちじゃない、生きとし生けるものはみなさいごの死にぎわに、必ずこの真実を深い安らぎとともに悟るだろうとの思いがぼくを優しく包み込んだ。汗に混じって涙がポタポタと滴り落ちた。走りながらぼくは泣いていた。曲から考えると5~6分ほどの間だったろうか。こんな経験はぼくだってそうそうないが(しょっちゅうあったら二重の意味で危ない。ひとつは身の危険であり、もうひとつはアブナイ奴という意味でだ)、おそらくそれは、モーツァルトという音楽に宿る特異な性格によるのだ。
∴
モノ書きというのは、業(ごう)の深いおこないだと思う。
他人には「ワタシなんてまだまだ未熟で……」なんてへりくだってはいるけれど、ホンネは自分の書くモノが一番だと思っているのである。いや、じっさい他人に訊いてみたわけではないから本当のところはわからないが、裏を返せば、それくらいの思いをもって書かなくて何になる、という意味である。あたりまえと言えばあたりまえの話なのだけど、それは世界中で自分ひとりにしか書けない文章でなくてはならない。〝余文〟をもって代えがたい文章、それまで誰も目にしたことのない景色を見せられるような文章が、いつだって目指されなくてはならない。そのことにベテランも新人もなく、プロも素人もないはずだ。
自戒をこめてそう思う。
どうもありがとうございました。
萩野篤人
【受賞者一覧】
■第1回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
大野露井「故郷-エル・ポアル-」
小松剛生「切れ端に書く」
三澤楓 「教室のアトピー」
【文学金魚奨励賞】
該当作なし
■第2回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
寅間心閑 「再開発騒ぎ」
【文学金魚奨励賞】
星隆弘 「アリス失踪!」
■第3回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
原 里実 『レプリカ』
【文学金魚奨励賞 】
青山YURI子 『ショッキングピンクの時代の痰壷』
■第4回受賞者■
【辻原登奨励小説賞・文学金魚奨励賞】
受賞該当作なし
【辻原登奨励小説賞佳作】
松原和音『学生だった』
■第5回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第6回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
片島麦子『ふうらり、ゆれる』
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第7回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
高津敬三『つつくら』(俳句五十句)
■第8回受賞者■
【辻原登奨励小説賞・文学金魚奨励賞 同時受賞】
松岡里奈『モナリザとセックスする夢』(『スーパーヒーローズ』に改題)
■第9回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第10回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第11回受賞者■
【辻原登奨励小説賞 佳作】
松原和音『1月のレモネード』
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第12回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第13回受賞者■
【辻原登奨励小説賞】
受賞該当作なし
【文学金魚奨励賞 】
受賞該当作なし
■第14回受賞者■
【辻原登奨励小説賞 佳作】
井上志津「先生とぼく」(小説)
紫雲「クローンスクール」(小説)
西田剛「宝石を纏ったドレッドノート」(小説)
松原和音「海月」(小説)
【文学金魚奨励賞 】
萩野篤人「アブラハムの末裔」(評論)
* 金魚屋新人賞関連情報は「編集後記」にも随時掲載されます。
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