岡野隆さんの『句誌時評』『2018年05、06月号』をアップしましたぁ。『特集「句集をつくろう!~俳句の魅力、句集の魅力」』(05月号)、『特集「文人たちの忌日」』(06月号)を取り上げておられます。
岡野さんは『詩はほんとうに難しい』と書いておられますが、まったくですね。経済的面で恵まれないのはもちろん評価の面でも厳しい。それに耐えて高いレベルで仕事を続けてゆくのは至難の業です。もちろん詩人といっても個々に立場は違い十把一絡げにはできませんが、上から下まで苦しんでいるのは確か。人の田んぼは青く見えると言いますが、短歌や俳句の宗匠たちだってそんなに呑気に構えてるわけぢゃない。
石川は歌誌も句誌も詩誌も読みますが、一番精神的に健康を保てるジャンルは短歌だと思います。馬場あき子さんが、『短歌は難しいと思っている人が多いけど、実は俳句より詠むのが簡単だ』とどこかでおっしゃっていました。そう思いますね。短歌は自我意識表現です。嬉しい悲しい空しい怒ってるなどの感情をストレートに表現できます。しかし俳句や自由詩では難しいんだな。
俳句では〝俳句を詠む〟ことと〝俳句である〟ことの間に絶対的飛躍があります。自由詩も同様で〝詩を書く〟ことと〝詩であること〟は違います。芭蕉「古池」の句に代表されるように俳句の詩の要件は非常に難しいものです。単なる風景描写がなぜ詩なのかを考えないと、俳句への飛躍は安定して起こらない。自由詩も同様で、現代詩的な修辞を取り除けばたいていの詩は散文と変わらない。むしろほぼ完全な散文を書いてそれが詩だと読者に納得させる方が、原理を捉えられるかもしれない。小説を見ればわかりますが自我意識の苦悩は文学的要件を満たしやすい。しかし俳句や自由詩ではその道筋がストレートではないのです。
俳句は自由詩のように難しいジャンルに手をつけるなら、それなりの努力が必要だと思います。短いから簡単ということは絶対にない。もちろん俳句の現実はお遊び文芸であり、自由詩にもそういったサークル的娯楽の面はあります。それはそれで人間社会には必要でしょうが、突出した知性を持つ頑固な詩人が現れて原理的に考えなければ、この難しいジャンルは活気づかないでせうね。
■ 岡野隆『句誌時評』『No.100 特集「句集をつくろう!~俳句の魅力、句集の魅力」(月刊俳句界 2018年05月号)』 ■
■ 岡野隆『句誌時評』『No.101 特集「文人たちの忌日」(月刊俳句界 2018年06月号)』 ■
■ 第6、7回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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