遠藤徹 連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第34回)をアップしましたぁ。小説をバーチャルリアリティとして生きるのは面白いですね。小説の読み方には大別して二種類あって、文字の修辞的技術として読む場合と映像的に読む場合があります。どちらも小説の楽しみ方ですが、映像に変換して読むと修辞的技術として読んだ場合にはわからなかった様々な機微が浮かび出てくることがあります。
遠藤さんは『三四郎は絵の中の女を鑑賞するかのように美禰子を見ている。つまり、三四郎には生身の美禰子ではなく、彼女が演出している絵としての美禰子しか見えていないということだ』と書いておられますがその通りですね。三四郎は純な青年で社会的経験値が低いですから表面しか見ていない。見えない。しかしその奥と言いますか底流にあるものは感受している。登場人物の視線を映像的に追ってゆくとそれがよくわかります。
このような映像的小説の流れはもちろん作家が作り出しているものです。これを俯瞰して捉えるためには文字の修辞的技術として小説を読む必要があります。物語の世界に映像的にどっぷり浸かってしまうとそれが捉えにくい。『虚構探偵』の探偵は男性と女性ですが、修辞的読解と映像的読解を二人三脚のように分担しています。
■遠藤徹 連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第34回)縦書版■
■遠藤徹 連載小説『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』(第34回)横書版■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■