世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
二〇、『三四郎』第十章 金縁眼鏡の男(中編)
b:団扇をかざして立つ女
やがて、曙町にある原口のアトリエに到着する。玄関に置かれている美禰子の下駄は、なぜか『鼻緒の二本が右左で色が違う』。
「ここはどういうことかしら」
「『それでよく覚えている』とあるから、普段からそういうおしゃれをする人だったというか、そういう他人とは違う目立ち方を好む人だということだろうね」
「バランスが悪い人というイメージも潜んでるのかもしれないわね」
アトリエに入った三四郎は、『団扇をかざしてたった』姿勢で原口のモデルをつとめている美禰子を見る。
「このとき、美禰子は団扇の陰で白い歯を光らせるよね」
「なんなのかしら。歓迎の笑みとも、嘲笑の笑みともとれるわね」
「ややこしい女だから、両方の意味を含んでるのかもしれないね」
「ここで三四郎が奇妙な妄想をするわよね」
「うん、音のしない部屋でじっとしている美禰子を『すでに絵である』と感じるんだよね。モデルがすでに絵なわけで、原口さんは三次元の奥行きを美禰子から廃して、普通の絵、つまり二次元に描きなおしていると、三四郎は感じる。二つの絵は徐々に近づくけれど、もう少しで三次元の美禰子と二次元の美禰子が一体化するという直前まで行くと、それより先には進めなくなる、という妄想だね」
「つまり?」
「つまり、二次元の絵で、三次元の美禰子を完全に描ききることは不可能だと、三四郎が感じてるってことじゃないかな」
「その絵の話と、原口の結婚の不可能性の話はつながってるのかしら?」
「うーん、どうだろうね。原口の話の趣旨はこうだろう? ある男が、妻に離縁を迫るが、妻は決して家から出ていかないと言う。じゃあ、自分がこの家を出るから、勝手に婿でもとればいい、と言い残すという内容だよね」
「つまり、家という入れ物と妻はそのままで、夫が入れ替わる。一見すると同じ家だけど、中身は違うものになるってことよね。本物の美禰子を絵で置き換えると、美禰子なのは同じだけど中身は違ってる。つまり本物の美禰子を二次元に納めきることはできないってことかしらね」
そこから、原口は野々宮や里見恭助の名をあげて、女性が強くなりすぎると自分たちのような独身者が増えるという話をする。すると美禰子が、兄は近々結婚するという。そうなると、あなたはどうなるのか、という原口の問いに、美禰子は『「存じません」』と答える。
「ここは、すごい逆説的な展開だね」
「どういうこと?」
「だって、女性が強くなりすぎたという話をしている流れの中で、その強い女性の典型と思われている美禰子が、実のところは社会的な弱者にすぎないということが露呈する場面だからだよ」
「つまり?」
「名刺や、色違いの鼻緒や、英語の知識などでどんなに新しい女を演じて見せても、しょせんそれは絵であって、現実ではないということ。さっきの絵の話の逆だね。現実の美禰子の自己演出こそが絵であって、生身の美禰子は極めてヴァルネラブルだってことだ。実のところは家長である恭助の結婚とともに美禰子は里見家から追い出されることになる。親のない兄妹二人きりからなる里見家は、家長である恭助が結婚すればそちらが里見家となるからだ。美禰子は里見家の者ではなくなる、つまり所属する家を失うということになる。どこかの家に所属して社会に居場所を得るためには、嫁に行って他家に入るしかなくなる。そうしない限り、何者でもない存在に堕してしまうしかないんだからね」
「かわいそうに。・・・でも、三四郎はそういう美禰子の窮状に無頓着よね」
「だから、美禰子も楽なのかもしれないわね」
三四郎は、美禰子に近づき、彼女を子細に観察する。『美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える』。
「やっぱり、三四郎の女性を見る目は執拗、っていうかねちっこいわよね」
「さっきの話の流れで言えば、三四郎は絵の中の女を鑑賞するかのように美禰子を見ている。つまり、三四郎には生身の美禰子ではなく、彼女が演出している絵としての美禰子しか見えていないということだ。だから、三四郎の想いが、現実の美禰子に届くことはないし、現実の美彌子の救済者ともなりえない。でも、他方で、絵としての自分に対する無条件の賛美者として、美禰子にとって三四郎は重要な人物でもあることになる」
三四郎は懐の三十円のことを思う。その三十円が、二人の間にある『説明しにくいものを代表している』と思う。
「資本主義社会の紐帯よね」
「貸借関係という絆。いまの三四郎には、それしか確かだと感じられるものがないってことだよね」
「だから、『返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいてくるか』試したいとおもっているわけね」
でも、美禰子は『「今くだすってもしかたがないわ」』と受け取りを拒む。
「美彌子にはわかっているのよね。お金の貸借関係がなくなるときが、二人の関係性が終わるときだってことが」
c:原口の絵画論
原口は絵を描きながら、自分なりの絵画論を披瀝する。
「モデルを描く絵画というものは、実のところは一瞬を写真のように切り取るものではないという話だよね」
「そうね、毎日描くことで一定の気分ができてくる、そして『絵の中の気分がこっちへ乗り移る』っていってるわね。毎日の積み重ね、つまり反復の中から一つの共通項、っていうかエッセンスみたいなものが浮かび上がってくるっていうことよねきっと」
「でも、エッセンスっていってもそれはあくまで表層のものだって、原口はいうよね。その人の心的な本質じゃないって。『画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世をだしているところを描くんだ』『見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる』って」
「漱石のすごいところは、科学者の野々宮には科学的世界観を、文学者の広田には文学的世界観を、そして画家の原口には画家の世界観をきちんと語らせているところね。ちゃんといろんな分野のことをわかって人物造形まで含めて描き分けている」
「でも逆に言うと、男性はみんなそういう『役割』として描き出されているともいえるよね。逆に女性だけが、何者にも分類不可能な、なにやら得体のしれない『他者』として浮かび上がる仕組みになってる」
「そうかもね。実際世の中がそういう風にできていたっていうことでもあるだろうし、漱石が世界をそう見ていたっていうことでもあるでしょうね」
「そして、女性が謎だというのは、まさに三四郎の世界観そのものなわけだよね。『三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた』ってあるように、男性のキャラクターは『理解』可能なんだね。でも、原口の話を聞きながらも『三四郎の注意の焦点は、(中略)美禰子に集まっている』。モデルとなって一幅の絵として静止している美禰子はその意味で、三四郎の理想像である。それは、『移りやすい美しさを、移さずにすえおく手段』と三四郎には感じられる。つまり、三四郎は『意味』とか『理解』とかが不在のままで、ただただ美禰子に魅せられている。男は女に惹きつけられる。だけど、どうしても正体が見えてこない。そんな風に三四郎を通して漱石は告げているように思うけど」
(第34回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月13日に更新されます。
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