鶴山裕司 連載エッセイ『言葉と骨董』『暗黒舞踏の想い出(スーブニール)』(第74回)をアップしましたぁ。今回はあの土方巽舞踏公演『土方巽と日本人―肉体の叛乱』のチケットを題材にしておられます。書くための依り代といったところかな。しっかしこんなもの、どっから見つけ出してくるんだぁ。不思議なお方です。
鶴山さんのエッセイを組んでいてamazonで書籍を検索したら、土方関係の書籍はもんのすごい量が刊行されているんですねぇ。びっくり。まあそれだけ土方さんが古典になったということでしょうか。でもま、どんな場合でも作家の神格化はよろしくない。ろくなことになりません。要するに天才なんてこの世にいない。新たな才能は必然として世の中に現れてくるものです。
鶴山さんは「一つの文化動向の中でNextを示唆する試みは常に(当時の)遅れてやって来た青年によって担われる」と書いておられます。これはその通りでしょうね。渦中にいた作家はNextを創出できない。過去を神格化するお気楽な作家にはさらにムリです。肉体的に過去の文化動向を捉えられる人にしかNextは見えないと思います。
■鶴山裕司 連載エッセイ『言葉と骨董』『暗黒舞踏の想い出(スーブニール)』(第74回)■
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