佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』の3連投です。芦沢央さんの「お蔵入り」、井上荒野さんの「名前」、馳星周さんの『少年と犬』を取り上げておられます。このお三人のお名前が並ぶとやっぱオールさんは豪華だなぁと思います。ただ毎回佐藤さんの好みでほぼ一作ずつ小説を取り上げて批評しておられるのですが、今回は時代小説がありませんね。オールさんのウリはなんと言っても時代小説なのですから。雑誌によっていろんなカラーがあるのです。
また作品が掲載されると、これもほぼ必ず井上荒野さんの作品を取り上げておられます。佐藤さんが以前書いておられたと思いますが、石川も井上さんは実質的に純文学作家だと思います。ただ日本の文壇という場所では、芥川賞、直木賞を受賞すると、自ずと作家の役割分担を決められてしまうところがあります。たいていは40代くらいまでに受賞するわけで、そこから文壇の人になってゆくわけですね。芥川賞・直木賞作家になればなおさらのことです。
そういう不文律的進路を決定してしまう日本の文壇システムの中では、純文学の賞とされている芥川賞よりも、大衆文学の賞とされている直木賞を受賞した方が作家の未来は明るいかもしれません。乱暴な言い方になりますが、だいぶ前から芥川賞受賞作家の8、9割が、芥川賞受賞作のみそのネームバリューで本が売れるようになっています。つまり次作以降は苦労している。下手をすると芥川賞受賞作だけ残して人々の記憶から消えてゆく。芥川賞を受賞して文壇的にも本人的にも自分は純文学作家だと思い込むと、面白い物語を書いちゃいけないような所に身を置くことになるからです。ホントに馬鹿馬鹿しい話ですが、〝文壇制度〟が〝制度〟として機能しているとはそういうことです。継続的に芥川賞受賞作を読んでみればすぐにわかりますが、受賞作の大半は一種独特の指向に偏っています。とてもじゃないけどあれじゃあポピュラリティは得られない。
ですから日本の文壇に所属するにしても、純文学の芥川賞より、読者を楽しませなければならないという不文律のある大衆文学の直木賞をもらった方がずっと作家の未来は明るいと思います。芥川賞受賞作家のその後を見ていると、名誉はあるけど売れない作家というレッテルを貼られたようなところがあります。もち作家次第ですが、これがまた難しいところで、芥川賞受賞作家は、芥川賞が欲しくて欲しくてたまらない作家さんたちばっかりなんだな(笑)。下手すりゃたっぷり十年以上は芥川賞受賞のために悪銭苦闘することになる。純文学のお題目の下に大冒険や大恋愛といった読者を惹きつける物語要素をどんどん排除していき、読者に苦行を強いるようなつまんない小説を書くのが普通になってしまう。文壇ではそれでOKが出るんですが、読者はやんわりNOと反応する。どっぷり制度にはまって身動き取れなくなるのです。
もちろん芥川・直木賞に限らず作家は賞を欲しいと思います。話題にならなければ話になりませんからね。ただ賞を含む戦後的文脈を引きずる文壇システムと世の中の大勢が、じょじょにズレて来ているのも確かです。また石川は芥川・直木賞などを否定しているわけではなく、伝統を活かしながらモディファイする必要があるだろうなと考えているだけです。そうしなければメディアも作家も益々苦しくなる。文学の世界もまた色々なメディアや作家たちが網の目のように交叉し合っています。老舗には老舗の、新興メディアには新興メディアの役割のようなものがあり、それが有効に機能すれば文学の未来は明るくなると思うのです。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.153 芦沢央「お蔵入り」』(2020年07月号) ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.154 井上荒野「名前」』(2020年08月号)』 ■
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評『大衆文芸誌』『オール讀物』『No.155 馳星周『少年と犬』』(2020年09-10月合併号) ■
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