小原眞紀子さんの連載エセー『詩人のための投資術』『第二十九回 テクニカルとファンダメンタルI―言語派それとも人生派』をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの経済エッセイです。
小原さんは詩の世界の〈言語派〉と〈人生派〉の対立になぞらえて、投資の世界の〈テクニカル分析〉と〈ファンダメンタル分析〉を論じておられます。『テクニカル分析というのはいわゆるチャート至上主義』で、『ファンダメンタル分析は、その対象の実態、たとえば会社であればその業績であるとか、開発した新商品の評価とかを株価の上昇や下落の予測の基本とする』方法です。
小原さんは基本的に〈テクニカル分析〉派です。文学金魚全体の批評スタンスもそうですね。文学作品を読んで「うんうんそうだよなぁ、共感しますぅ、ほんでわたしの感想を付け加えれば・・・」といった批評は基本的にありません。
投資の〈人生派・ファンダメンタル分析〉の人たちは『自分の人生とその会社の成功とを重ね合わせ、喜んだり哀しんだりしながら生きているわけ』ですが、『情報は、我々のところに降りてくる段階ですでに株価に織り込まれている。だから情報を待って動くのは常に手遅れだし、そもそもその情報が直接株価に影響するとはかぎらない』。文学批評も同様で、テキストにわたしの感想を重ねても、たいていは既に書かれていることの上塗りになります。頑張っても高度な感想文にしかならない。ファン心理のような批評ではダメということです。
小原さんは文学の世界での〈言語派・テクニカル分析〉を〈テキスト原理主義〉とも言い換えておられます。「テキストにはすべてが表れている」という前提で、それを精緻に分析していく」方法です。投資のチャートにすべてが表れているという手法に似ています。茫漠とした感想ではなく、具体的には文学作品に構造を読むような方法です。また構造をもたらす核となる思想を探る方法です。
ただ小原さんは〈テキスト原理主義者〉の姿勢について、『それは「テキストにすべてが表れている」と信じるところからしか始まらない、という宣言である。正しいとか正しくないとか以前に、宣言しないと何も始まらないのである』とも書いておられます。これもその通り。『テクニカル分析はテクニカル分析なりに、深く〈人生派〉でもある』わけですが、そもそも作家の思想的核が定まっていなければ、〈人生派・ファンダメンタル分析〉と〈言語派・テクニカル分析〉という対立自体、無意味です。
■ 小原眞紀子連載エセー『詩人のための投資術』『第二十九回 テクニカルとファンダメンタルI―言語派それとも人生派』 ■
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