鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『憲法普及会編『新しい憲法 明るい生活』』(第62回)をアップしましたぁ。金魚屋から『夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の鶴山さんの骨董エッセイです。
高度情報化社会になって書くのが難しくなった文学ジャンルに映画批評と骨董批評があります。映画を映画館やレンタルショップで借りなければ見られなかった時代、映画好きは情報に飢えていました。様々な映画批評から情報を仕入れていたわけです。しかし現在ではオンデマンドでたいていの映画を見られます。映画批評を読むより実際に映画を見た方が早い。番宣的映画批評は不滅ですが、シリアスな映画批評はなかなか読者を獲得できなくなっています。
骨董批評も同様です。情報が少なかった時代にはいわゆる骨董自慢をしていればよかった。しかし映像と情報があふれかえっている今は難しくなっています。もちろん骨董の場合、人間が本物である人のところには本物が集まり、偽物の人のところには贋作が集まるというセオリーは今も健在です。骨董は人を試すのです。しかし単なる骨董自慢ではもはや通用しない。物と同じくらい作家の思想が強烈にモノ化して、対等に渡り合っていかなければエッセイとして成立しません。
井筒の東洋哲学は本質的に無の哲学である。井筒は地球上のあらゆる文化は根源的エネルギー総体としての無を基盤に言語を含む現実存在を生み出すと考えた。それを禅や密教などの仏教はもちろん、ヒンドゥー教、イスラーム神秘主義、ユダヤのカバラ、キリスト教神秘主義などにも見出した。井筒の無の哲学はユングの深層心理学をも援用した人間精神の根幹に迫る原理的なものである。
井筒は自らの東洋哲学について、それは東洋思想の共時的構造化なのだとも語った。井筒の東洋哲学は極東日本から中国、インド、中東、ヨーロッパのユーラシア大陸全域を視野に入れている。それは――極端なことを言うと思われるかもしれないが、井筒による知の大東亜共栄圏構想である。間近で見た大川の失脚や敗戦の衝撃が、無謀とも言えるユーラシア大陸全域の知の共時的構造化というアイディアを井筒に与えた。
(鶴山裕司『言葉と骨董』)
今回鶴山さんは、露天商から買った終戦直後に刊行された4冊の古い本でエッセイを書いておられます。前回から引き続き大川周明を論じているのですが、その流れでイスラーム哲学者の井筒俊彦についても書いておられます。井筒さんの「東洋思想の共時的構造化」は『井筒による知の大東亜共栄圏構想である』というのは大胆ですが卓見です。このThinkerの読解力は尋常じゃないですね。
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『憲法普及会編『新しい憲法 明るい生活』』(第62回) ■
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