片島麦子さんの連載小説『ふうらり、ゆれる』(第10回)をアップしましたぁ。詩音の受難(?)の回です。「かわいそうなのは吉之助で、実験動物で、卯喰さんである筈だった。あるいはリサであったり、ある時は古羊さんであったり、するのだ。自分以外のモノすべてに詩音はそういう愛情と憐憫の情をもって接してきたつもりだった」といった箇所に、詩音だけでなく作家の男に対するある思想が表現されています。
これをジェンダー(社会学的男女性差)などに還元してしまうと小説は途端につまらなくなります。現実社会にコミットする主張をしたいのなら小説ではなくフェミニズム論などを書いた方がよい。男性中心社会=その通り、男尊女卑思想を持った男は多い=その通りと、現実社会を受けとめそこからはみ出してゆく人間の感情や思想を明らかにしてゆくのが小説です。『ふうらり、ゆれる』の場合、作家の対男性思想が弟で表現されているのがミソでしょうね。血縁者である以上、好き嫌いといった二項対立では済まない。
『ふうらり、ゆれる』は天上から小説世界を冷たく眺めるような文体で書かれていますが、思想的に言えば〝満たされながら空虚な者たち〟と〝空虚そうで満たされた者〟の物語でもあります。そして後者が世界を支えている。そこに現世を完全に相対化しようという作家の思想があるわけで、この物語が〝じんとくる女の人の物語〟である理由です。
■ 片島麦子 連載小説『ふうらり、ゆれる』(第10回)縦書版 ■
■ 片島麦子 連載小説『ふうらり、ゆれる』(第10回)横書版 ■
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