大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『文學界 2019年04、05、06月号』をアップしましたぁ。04月号は平田健太郎さんの「兎」、05月号は奥野紗世子さんの「逃げ水は街の血潮」と田村広済さんの「レンファント」、06月号は李琴峰さんの「五つ数えれば三日月が」を取り上げておられます。
大篠さんは新人の作品を取り上げることが多いですね。まー気持ちはわからんことはないなぁ。1990年から2000年を境にして文学状況は大きく変わりました。もちそれは社会状況の大きな変化の影響であるわけです。小説でも詩でもギョーカイに首までどっぷり漬かっているとわからないですが、あまりよく知らないギョーカイを覗いてみると「あ、まだ書いていたのね」という作家がけっこういらっしゃいます。口が裂けてもそんなこと言えない大物作家が多いわけですが、んーんー言いにくいですがその作品は古色蒼然としている。現役ではないなぁ、もう可能性が尽きているなと思ってしまう。
では2000年以降の文学が活発で華々しいのかといえば、そうとは言えない。試行錯誤真っ最中といったところです。ただ若い作家には可能性があるわけで、そちらの方に目がゆくのは当然のことだと思います。荒削りでも現代の閉塞した文学状況を打ち破るような作品を読みたいですよね。
ただ石川は個人的には徒手空拳タイプの作家から、真に現代的な作品が生まれる可能性は低いだろうなと思っています。人は変化の方に目を向けがちですが、芭蕉的に言えば不易があって流行がある。流行にとらわれるのは危険でもあります。特に文学の世界はそうですね。そうそう簡単に太古の昔からある文字表現が変わるわけではありません。不易を踏まえて流行を捉えなければいっときの新し味で終わってしまう。
漱石は40代になって文壇デビューしましたが、今の感覚だと50代から60代でのデビューでした。現代でもそういったタイプの作家が真に現代的作品を生み出す可能性が高いかもしれません。一昔前の作風に凝り固まった作家に将来はないですが、新しさにはしゃいだ作家に将来があるわけでもないからです。そのあたりが文学の難しいところ。不易を捉えるのも流行を捉えるのも簡単ではないのです。
■ 大篠夏彦『文芸誌時評 文芸5誌』平田健太郎「兎」(文學界 2019年04)月号』 ■
■ 大篠夏彦『文芸誌時評 文芸5誌』奥野紗世子「逃げ水は街の血潮」/田村広済「レンファント」(文學界 2019年05)月号』 ■
■ 大篠夏彦『文芸誌時評 文芸5誌』李琴峰「五つ数えれば三日月が」(文學界 2019年06)月号』 ■
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