大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.136 村田沙耶香「信仰」(文學界 2019年02月号)』をアップしましたぁ。大篠さんの文芸誌時評はどちゃっと届いていますが、今月は1本のみ。残りは来月掲載します。短歌・俳句誌の時評が多かったですからねぇ。そろそろ小説文芸誌の時評も掲載しなくっちゃだわ。
小説文芸誌にはプロと呼ばれる作家が作品を掲載します。小説文芸誌に作品が掲載されたからプロという認知になるとも言えます。しかし現実はそんなに甘くない。10年前でもいいですが、古い文芸誌を買って読んでみればわかりますが、もうほとんど文芸誌などに登場しなくなった作家はたくさんいます。どこに作品を発表しようとそれによって作家として盤石になるわけではありません。芥川賞などを受賞してもそうです。じょじょに文学の世界からフェードアウトしてゆく作家はとても多い。
このフェードアウト現象は大衆作家よりも純文学作家の方が多いです。大衆作家は、まあはっきり言えば、たいていは判で捺したようなエンタメ小説を書いています。能力の高い大衆作家がときおりそれを振り捨てて純文学的な要素の高い作品も書く。しかし純文学作家は違います。作家が表現したい強いテーマを抱えていたり、新たな文学を生み出そうという意図を持って作品を書く。それが時にフェードアウトにつながります。
簡単に言えば、テーマを表現し尽くせば純文学作家の作品から緊張感が失われます。テーマを見失った場合も同じ。これは歌人や俳人、自由詩の詩人に近い現象ですね。詩人は元々経済には縁遠いこともあって、最初はどうしても表現したいテーマを抱えています。たいてい自費出版で身銭を切って作品集を出す。しかし数作でそれが尽きることもある。処女作から数作は魅力的だったのに、10年、20年経つと素人よりも質の悪い作品を書いたりする。
つまり純文学作家はある瞬間に素人に逆戻りしやすい。純文学の大きな陥穽です。そういったことを考え、自らのテーマの強さ、深さを確認することの方が、どこどこに書きたいとかあの賞が欲しいといったことより遙かに重要です。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評『文芸5誌』『No.136 村田沙耶香「信仰」(文學界 2019年02月号)』 ■
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