鶴山裕司さんの連載エッセイ『言葉と骨董』『ロベール・クートラス、赤のカルト』(第59回)、美術展時評 No.104『人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションが語る古代世界』展、No.105『御即位記念特別展 正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美-』、BOOKレビュー・詩書 折笠美秋句集『北里仰臥滴々/呼辭記』をアップしましたぁ。鶴山さんのコンテンツ4連投です。先月から持ち越しの正倉院展観覧がようやく実現しましたね(笑)。で、今回はロベール・クートラス論が秀逸です。
ではクートラスの現代画家としての要件とは何か。端的に言えばそれは、〝無意識の現代性〟ということになると思う。(中略)
クートラスの絵には聖母子像や法皇のような宗教者が登場する。悪魔もいるし、中世の宮廷にいた道化の姿もある。空き缶をちょっといじれば鳥になる。カツラをかぶった十七世紀シェイクスピア時代の男性や、古風なレースのドレスに身を包んだ女性もいる。しかしクートラスは敬虔なキリスト者ではなかった。歴史好きの懐古趣味の人でもない。だいたいクートラスという人は、あまり本を読まない人だった。現実を見て写すデッサンは得意だったが、クートラスがクートラスになった一九六七年以降、作品はリアリズムと無縁になる。
宗教者を含む昔の人々の姿は、フランス人としてのクートラスの民族・文化共同体から生まれている。彼の自我意識は自らの集合的無意識領域に降り、そこから無限にイマージュを汲み上げている。クートラス作品は十分に独創的だが、その独創性は自我意識を民族・文化共同体の集合的無意識に溶解させることで生じている。
(鶴山裕司『ロベール・クートラス、赤のカルト』)
鶴山さんは何度かロベール・クートラスについて書いておられますが、今回のエッセイが一つの頂点かな。鶴山さんはまた、「クートラスのように自我意識を深層心理にまで下降させ、根源的存在イマージュを表現した二十世紀の芸術家に、ジャコメッティやバルテュス、ベーコンらがいる。(中略)彼らの評価は、二〇〇〇年頃から二十世紀前衛芸術を代表するピカソを凌ぐ勢いで高まっている。人々が彼らの芸術に、二十一世紀芸術を先取りする要素を感じ取り始めたからである。クートラスの仕事は彼らと同質である。クートラスは二十一世紀芸術を先取りした前衛作家の一人として、正しく評価される必要がある」とも書いておられます。その通りだと思います。
■ 鶴山裕司 連載エッセイ『言葉と骨董』『ロベール・クートラス、赤のカルト』(第59回) ■
■ 鶴山裕司 美術展時評 No.104『人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションが語る古代世界』展 ■
■ 鶴山裕司 美術展時評 No.105『御即位記念特別展 正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美-』 ■
■ 鶴山裕司 BOOKレビュー・詩書 折笠美秋句集『北里仰臥滴々/呼辭記』(No.028) ■
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