No.104『人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションが語る古代世界』展
於・東京国立博物館 東洋館
会期=2019/11/06~2020/02/09
入館料=620円(常設展の一般料金)
カタログ=2500円
そろそろ正倉院展は空いてるかなと思って東京国立博物館に行ったが、まだ一時間待ちだった。こりゃ入場するしかないなとチケットを買って入ると東洋館の『人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションが語る古代世界』展の幟が目に入った。
東洋館は平成二十五年(二〇一三年)にリニューアルオープンした東博敷地内の美術館で、中国、朝鮮、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術品が展示されている。一階の半分が企画展示室で、地下から五階まで常設展示である。常設展の展示があまり変わらないのは玉に瑕だが、バリ島やカンボジアなどの美術をいつでも見られるのは東洋館だけだろう。常設展の料金で観覧できる。
ザ・アール・サーニ・コレクションは初めて聞くコレクションだが、説明を読むとカタールの王族シェイク・ハマド・ビン・アブドラ・アール・サーニ殿下の個人コレクションである。コレクションの中から厳選された百十七点が展示された。中東の王族らしくペルシャ美術の優品を見ることができたが、ギリシャやローマ、エジプト、中南米、アジアまでその範囲は幅広い。
以前これも東博内の敷地にある表慶館で開催された『アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝』展を取り上げたが、アラビアの国(王族)のコレクション展が比較的短いスパンで開催されたことになる。これはとてもいいことだが、ちょっと考えさせられた。
東京国立博物館は日本のフラグシップ美術館だけあって、微妙に今の国際政治を反映している。台湾国立故宮博物院の秘宝中の秘宝が何度も日本で展示されたが、これは台湾との関係が良好な証左である。北京故宮博物院の優品も来日しているので、少なくとも文化に関しては中国との関係は良い。しかし僕が記憶している限り、東博で大規模な朝鮮美術展が開かれたのはかなり前だ。十年以上朝鮮関連の大展覧会は開催されていないと思う。ここしばらく続いている日韓関係の悪化が美術界にも暗い影を落としている。
それを考えると東博で立て続けにアラビアのコレクションが公開されるのは日本とアラブ諸国の関係が良いからだろう。また先陣を切って最も戒律の厳しいサウジの至宝が日本で公開されたことは、イスラーム世界が変わりつつあることを示唆している。イスラームは偶像崇拝を禁じているので、杓子定規に教えを守ればターリバーンやISISのような遺跡の破壊を責められない。ムハンマドがイスラームの勝利を宣言する際に、マッカのカアバ神殿の神像群(偶像群)を破壊した故事はよく知られている。イスラーム原理主義集団はムハンマド親政の正統カリフ時代の再現を目指しているわけだが、遺跡破壊はムハンマドの教えに沿っていると言えないことはない。しかしサウジは文化財ははっきり例外としてその蒐集と保護に乗り出した。
イスラーム世界で最も文化財の保護に熱心なのはエジプト、それにトルコとイランである。エジプトではピラミッドを始めとする文化遺産が完全に観光資源になっている。トルコはEU加盟を目指すほど西側自由主義が浸透している。イランはシーア派の国であり、預言者ムハンマドの子孫であるイマームを至高の指導者として仰ぐ(イマームの血筋はすでに絶えているので正確にはイマームの代理の宗教者が国を指導する)。そのためスンナ派国家ほど偶像崇拝禁止が厳しくない。またイランは古代中東で最も文化が栄えたペルシャが前身だ。民族の誇りとしても文化を大切にしている。今回そこにカタールが加わったわけだが、アルジャジーラテレビを擁する国なのだから文化財保護に熱心なのも当然かもしれない。
今回の展覧会は「人、神、自然」の三部構成である。なぜこの構成になっているかと言えば、蒐集品が特定の宗教や文化共同体に限定されておらず、世界各地に及んでいるからである。ただ金に飽かして集めたコレクションではない。統一感がある。その統一感が何かと言うと、中東の優れた目を持つ人の審美眼だろう。
女性像頭部
エジプト 新王国時代、アマルナ文化 前一三五一~一三三四年 珪岩 高一〇・八×幅一〇・四×奥行き一四・七センチ
王の頭部像
エジプト 第三中間期、第二二王朝 オソルコン二世治世 前八七五~八三七年 青銅、金箔ほか 高一〇×幅七・七×奥行き六・四センチ
古代エジプト文化は四千年にも渡るので、原始王朝時代から上下エジプトが統一された初期王朝時代、そしてマケドニア、次いでローマによって征服されたクレオパトラのプトレマイオス朝まで十期に分けるのが一般的である。図版掲載したのはいずれもエジプトの発掘品で、王の頭部像はすぐにエジプトと分かるが、女性頭部像の方は一瞬、「ん? アフリカのプリミティブ・アートかな。それにしては精緻な作りだな」と思ってしまった。
解説を読むと女性頭部像は多神教だった古代エジプトで、初めてアテン神を唯一神と宣言したアクエンアテン王の時代(アマルナ文化)の作品である。アマルナ文化は巨大建築が建てられたエジプト文化最盛期の第十八王朝(新王国時代)に属し、次々に斬新な表現が生まれた。アフリカやヨーロッパでは顔が小さくその代わりに後頭部が大きく張り出している人が多いが、女性像はリアリズムではなく、万物を生み出すアテン神の表象として新生児の頭の形を誇張表現したようだ。滅多にお目にかかれない作品である。
王の頭部像はエジプトが南北に分裂して、混乱を極めた文化衰退期の作品。儀礼用の杖か旗の先端に取り付けられていた装飾金具である。女性頭部像より五百年ほど後の作品だが、わたしたちがエジプト美術と聞いてすぐに思い出すような様式になっている。王はエジプト美術ではお馴染みの頭巾(ネメス)をかぶり額には蛇の飾りがある。スフィンクスと同じだ。ただ表現は繊細で、日本の平安時代の仏像と同様、よく見ると左右の目や耳の大きさが違う。人間の顔は完全に左右対称ということはないから、意図的に顔の左右の表現を変えて王の個性(人間性)を表現している。文化衰退期には表現がより繊細に爛熟することがわかる作品である。
こういった同じ文化圏、あるいは隣接する文化圏で微妙に違う差異を見極めて蒐集されているのがザ・アール・サーニ・コレクションの大きな特徴である。わたしたちは生まれ落ちた場所によって一定期間まで特定の文化圏の中で育つ。それが他の文化を見る際の基盤になるわけだが、ヨーロッパで生まれたか、あるいは中東、極東で生まれたかによって差異を見極める能力が違ってくる。自分が属する文化圏が最高だと思い込んでしまうと、当然のことだが異文化との微妙な差異は見えてこない。
古代世界では、一神教と多神教の双方の信条が存在していました。最も有名な唯一神の例はユダヤの神ヤハウェであり、信者たちに「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」と述べたことがよく知られています。この観点から派生した宗教がキリスト教とイスラームでした。
(ジャスパー・ガウント著 図録「序文」より)
ジャスパー・ガウントさんが今回の図録の序文を書いておられるが、ザ・アール・サーニ・コレクションのキュレーターのお一人なのだろう。その思考はリベラルである。ガウントさんはユダヤ教からキリスト教とイスラーム教が生じたと書いておられるが、イスラーム世界でそれを言うとなかなか厄介なことになる。
ムハンマドはアッラーが唯一絶対の神だと説いたが、ユダヤ教の唯一神ヤハウェやキリスト教の父を否定したわけではない。ユダヤ教徒やキリスト教徒が信じている唯一神の真姿がアッラーだということである。ムハンマドはモーセはもちろんキリストも神の言葉を預けられた預言者で人間である、もちろん自分も市場で飯を食い糞をする人間なのだから、死後自分を神格化することは許さないとも言った。ムハンマドはキリストが神だとすればそれは多神教だと批判もした。それは一理あって、最初のキリスト教公会議であるニカイア公会議ではキリストの神性を巡って激論が交わされ、父と子と精霊の三位一体が公式教義に採用された。
しかしやはり歴史的成立順序は無視できない。ユダヤ教は紀元前千年以上前には成立しており、イエス・キリストも紀元前後に布教していたと考えられている。ムハンマドははっきり歴史時代に入った西暦六三二年に亡くなっているわけだから、後発の利がある。一神教を巡る数々の問題を通覧できる位置にいた。
ムハンマドの教えはスッキリと力強いものである。それゆえイスラームは現在に至るまで世界最大の宗教の一つだ。ただ教義としてスッキリしていて信徒に安心感を与えるからといって、論理的整合性が取れていることが人間の活動に好影響を与えるとは限らない。
どの宗教でも原理主義集団はいるが、特にイスラームの場合は杓子定規に硬直化しやすい傾向がある。スンナ(戒律)を厳格に守れば日々の生活はもちろん、文化・経済領域でも悪影響を与えかねない。七世紀の『クルアーン』をそのまま実践するのは不可能だ。イスラームと比較すればユダヤ・キリスト教は古代宗教であり、非論理的で曖昧な部分をたくさん持っている。それが人間の思考を活発にしているのも確かである。つまり特定の文化・宗教共同体に属していても時代を遡って歴史を捉え、自己の立ち位置を揺さぶらなければ思考は硬直してしまう。信仰は別にして、ユダヤ、キリスト、イスラーム教の成立順序は無視できない。
ザ・アール・サーニ・コレクションは実に柔軟な思考でコレクションが集められている。サーニ殿下は図録などに文章を寄稿しておられないが、ガウントさんの序文が殿下の思想を代弁しているだろう。
日本の明治の大コレクターもそうだが、旦那衆は実業で忙しいので趣味の古美術蒐集に多くの時間を割いていられない。キュレーター役の人を立てるわけだが、誰を選ぶのかがコレクターの実力であり見識である。また高価な物が多いわけだから、購入を最終決断するのはコレクターである。中心となるコレクターの見識が低ければ当然コレクションの質は下がる。ザ・アール・サーニ・コレクションの質の高さはサーニ殿下の目の良さを表しているだろう。
皿
メソポタミア 新バビロニア ネブガドネツァル二世、前六〇四~五六二年頃 銀 高四・四×径二六センチ
皿
西アジア 前アケメネス朝ペルシャ 前五五〇年頃 銀 高四・八×径三五センチ
杯
ギリシャ北部 ヘレニズム 前三二五~三〇〇年頃 銀、鍍金 高九・一×径一〇・三センチ
バビロニアは今のイラク南部にあった古代王国である。新バビロニアの銀製の皿には外縁に銘文が刻まれていて、王国最盛期のネブガドネツァル二世の所有物だと刻まれている。銘文にはまた、王は知恵と知識の神ナブーと、バビロンの主神で嵐を司るマルドゥクの二神の庇護下にあると記されている。ライオンが見えるがこれは王家の守護獣で王の力の表象である。『旧約聖書』に登場するバベルの塔は、バビロニアの首都バビロンにあったと言われる。ちょうど新バビロニア時代に当たるわけで、バベルの塔の実在議論は別として、遠い目になってしまうような遺物である。
前アケメネス朝ペルシャ(ペルシャ)は今のイランを中心に、最盛期にはエジプトや地中海の一部にまで版図を広げた古代王国。新バビロニアはペルシャによって滅ぼされた。その際ペルシャ軍は新バビロニアの財宝を首都スーサとペルセポリスに持ち帰った。ペルシャがアレクサンドロス大王のマケドニアに滅ぼされると、財宝はマケドニア軍の将軍たちに分配されヘレニズム諸国に散逸した。この時代に一級品が散逸するということは、文化が伝播するということである。
新バビロニアの皿は比較的単純な葉文が打ち出されている。ペルシャの皿は同じ幾何学連続文とはいえ、ロータスの蕾や花弁があるなど複雑である。ただ新バビロニアの皿との共通点は一目瞭然だろう。皿の中央にライオンが浮き彫りになった丸い把手があるが、もちろん力と権威の象徴である。両者を見ていると文化がどのように伝わり変容してゆくのかがわかる。
ギリシャの杯は銀器に鍍金が施してあるという違いはあるが、ペルシャと言われればそうかなと思ってしまうような作品である。しかし見込みにメダイヨンがあり長い髪を両肩に垂らした女性が描かれている。これを見ればすぐにギリシャだとわかる。ただヘレニズム文化初期の作品であり、ペルシャ文化の影響が色濃い。
今回の展覧会では上記の三作品のように、ぱっと見ると似ているが、作られた時代や場所が違う物が数多く展示されていた。ペルシャかな、ギリシャ、ローマかなと予想しながら見て行ったが正解率は五十パーセントくらいだった。
極東の日本でヨーロッパを始めとする遠く離れた国々の美術品を気軽に見られないのは当然である。また現地の美術館から物が運ばれて展覧会が開かれる時は、できるだけティピカルな作品が選ばれるのが常である。だから海外旅行で現地の美術館を訪れると「こんなものがあったのか」と驚くことがしばしばだ。日本の美術館に展示されている海外の典型的作品に僕らの目は慣れているが、それは氷山の一角なのである。
中東の人は自国文化を基盤に隣接文化の文物との差異に慣れている。僕らが東アジアの文物を「日本、中国、朝鮮、ベトナムetc.」となんとなく見分けられるように、中東の人には同一性よりも微妙な差異の方が目につくのだろう。ザ・アール・サーニ・コレクションはちょっとひねりの利いたマニアックな印象である。
女性像「スターゲイザー」
アナトリア半島西部 前期青銅器時代 前三三〇〇~二五〇〇年頃 大理石ほか 高二〇×幅八・三×奥行七・一センチ
女性像「スターゲイザー」はザ・アール・サーニ・コレクションを代表する作品かもしれない。ギリシャのキクラデス諸島で、紀元前三〇〇〇年頃に作られた大理石の女性裸像(通称キクラデス)にとても雰囲気が似ている。現代彫刻を思わせる抽象的な像であり、ほとんどキクラデス諸島でしか出土せず数も少ない。また文字のない時代なので、なんのために作られたのか手がかりがない。そのため物が珍重されるのはもちろん、用途などを巡って様々な議論を呼んでいる。現代陶芸家だが抽象的作風で知られるハンス・コパーが、キクラデスの形を理想としたのはよく知られている。
スターゲイザーはなんとボスポラス海峡を挟んで、今のトルコの大部分を占めるアジア側の、アナトリア半島西部のジャン・ハサン遺跡で発掘された。同様の像が十二体見つかっている。数は少ないが作られ続けたことがわかる。頭を後ろに反らせて空を見上げるような姿勢をしているのでスターゲイザー(星を見る人)と名付けられた。当然、なぜこのような像が作られたのかはわかっていない。ただ二〇〇〇年近くに渡ってスターゲイザーのような形の像が作り続けられたようだ。
キクラデスは本来は彩色されていたことがわかっているが、スターゲイザーにも彩色の跡がある。形から言ってもギリシャキクラデス諸島からアナトリア半島に、なんらかの文化的伝播があったと考えるのが自然だろう。大型のキクラデス像でも滅多に見られない。この作品は超貴重で珍しい。
精霊像
中央アジア バクトリア・マルギアナ複合 前三二〇〇~二七〇〇年頃 銀、金 高一二・八×幅一〇・四×奥行六・六センチ
この精霊像もウルトラ珍しい。バクトリア・マルギアナ複合は紀元前三〇〇〇年頃に今のトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、アフガニスタン北部で栄えた青銅器時代の古代文明である。その存在が知られたのは比較的最近で、もっとたくさん遺物を見たいのだが、大規模な展覧会は記憶している限り開かれていないと思う。象牙のような色合いの、独特の鱗状の襞がある服を着た女性像が比較的よく知られているが精霊像は初めて見た。スターゲイザーが作られた時期とあまり変わらないのだが、バクトリア・マルギアナ複合文化の煌びやかな華麗さは独自であり、同時代でも突出している。青銅器時代に高度な石工、金工技術を持っていたのはバクトリア・マルギアナ複合だけかもしれない。
精霊像はスカートをはいているから女性で、大きな甕を持っている。脚は鳥の形で指は三本、手の指も同じく三本である。この精霊は鳥と人間の複合であり、もちろん飛翔できるので背中に羽がついている。
実物で紀元前三〇〇〇年頃にこのような像が作られていたことを知ると、精霊とはなんなのだろうと考えてしまう。わたしたちはキリスト教の背中に羽が生えた天使を精霊の代表とイメージしているが、その起源はほとんど文明の発祥と同じくらい古い。先史時代の人たちは神と地上の人間をつなぐ手段を求めていて、鳥人とでも呼ぶべき精霊が天高く飛んでいって神の言葉(教え)を人間に伝えていたようだ。宗教の起源がこういった像から読み取れる。精霊像が抱えている甕は、神への捧げ物を入れるためのものかもしれない。もちろん女性だということにも意味がある。
リュトン
中央アジア 前アケメネス朝ペルシャ 前九~八世紀 粘土 高二八・二×幅三八・一×奥行一二・五センチ
リュトン
中央アジア ササン朝ペルシャ 五~六世紀 金鍍金 高三一×幅一三・五×奥行二三・五センチ
最後はカタールの王族のコレクションに敬意を表して中東の名品を。この二点は「自然」のコーナーに展示されていた。最初のリュトンは陶器製で、制作時代は前アケメネス朝ペルシャと古いが、ペルシャ美術展では必ずと言っていいほど展示されるコブウシを象っている。水簸したきめ細かい土を使い表面を研磨した後に焼かれている。リュトンはワインを飲むための器であり、コブウシを持ち上げ人間の方が首を反らして飲む。回し飲みのための器なのでかなり大きい。
中東から中央アジア、ヘレニズム文化エリアで焼物作りが盛んだったのはペルシャとギリシャである。ギリシャ陶器は基本的には赤土と鉄釉(焼くと黒くなる)を使った単純な製法だがその技術は極めて高かった。しかしローマに併合されると急速に技術が失われていった。ギリシャ人は焼物を神に捧げる器とし美術品として扱っていたが、ローマ人は壁画や彫刻美術を重視したので焼物は実用品に格下げされてしまった。また貴族は金属器を好んだため焼物の重要性はさらに下がった。
これに対してペルシャでは現代に至るまで焼物作りが盛んである。磁器を焼く技術は持っていなかったが中国との交流も盛んで、中国陶を真似たペルシャ陶があり、中国でもペルシャ人好みの焼物を作って盛んに輸出した。磁器を焼くために必要なコバルトを中国はペルシャなどの中東から輸入してもいた。
二つ目のリュトンは歴史時代のササン朝ペルシャの作品である。今は絶滅してしまったヤギ亜科のサイガの頭部を象っている。サイガの口の部分にワインが噴き出す穴が見えるが、ここには本来メダイヨンが取り付けられていた。メダイヨンを外してのけぞり返ってワインを飲んだ。この作品もかなり大きい。まあこんなに大きくて重そうな酒器は宴会でなければ使わなかったでしょうな。
リュトンはサックスの音出し口のような、流線型の物がギリシャやローマで盛んに作られた。しかし中東、中央アジア、ヘレニズム世界などでじょじょに民族文化共同体独自の好みが生まれると、様々な形の物が作られるようになった。ギリシャやローマではワインが出る口だけを鹿などの動物の形にすることが多いが、ペルシャでは器全体を動物の形にしているものがかなりある。酒を飲むのにこんな面倒な器(一種の徳利)は必要ないわけで、宴会で回し飲みするために遊び心のある器を作ったのが始まりで、それが各文化圏で独自の形になっていったのだろう。
ザ・アール・サーニ・コレクションには南米や中国の名品も含まれているが、大多数は中東、中央アジア、ヘレニズム、エジプトなどの作品である。これらのエリアでは古くから文化が花開き、王朝の興亡や民族・宗教の入れ替わりも激しかった。ある文化共同体が異質の文化共同体に接触すれば必ずどちらかが影響を受ける。一つの共同体が別の共同体を滅ぼしたとしても、勝者側が滅ぼされた側の文化を受け継ぐのが普通である。ザ・アール・サーニ・コレクションには文化混交と、文化共同体独自の個性を体現する作品が数多くある。「ああこんなものがペルシャで作られていたのか」と二度見してしまうような作品に面白い物が多い。
もちろんコレクションを見ながら一つ一つの作品の背景をきっちり理解しようとすれば大変だ。ただ人間の目は見ているうちに慣れるものである。たくさん物を見ればそのうちのいくつかは目が記憶してくれる。深く考えても、深く考えなくても見て楽しい名品揃いなので、ザ・アール・サーニ・コレクションは複雑に絡み合った中東、中央アジア、ヘレニズム、エジプトの文物に目を慣らすのにうってつけである。
鶴山裕司
(2019 / 11 / 26 21枚)
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