池田浩さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.102 小説新潮2017年02月号』をアップしましたぁ。大衆文芸誌はまだまだ元気です。文学の世界も人間が運営しているわけですから、セクショナリズムと言わないまでも、ある区切りが生まれてくるのはしょーがない。大衆作家は売れているという強みもあり、またトップの大衆作家は純文学的要素も十分持っていますから、純文学誌に書いたりすることがあります。でも純文学作家が大衆文芸誌に書くことはやっぱ少ないなぁ。
それって多分に作家の意識の問題でもあると思ふんですね。ちょいと前までいわゆる純文学と大衆文学がくっきり別れていたのは、自由詩の世界だったと思います。現代詩派と抒情詩派が純文学と大衆文学の区切りだったやうな。はっきし言えば、抒情詩派は現代詩派より下に見られておりました。でも今は谷川俊太郎先生が、自由詩でほぼ唯一無二の安定した読者を抱える作家で、メディアも俊太郎先生に頼りっきりです。もちろん先生はそんなこと知ったこっちゃねぇという鷹揚な姿勢ですが、作家が自分は××系だと信じ込むのはあんまりよろしくないかもしれません。
時代はどんどん変わっていきます。文学の世界の変化は比較的緩やかですが、少なくとも10年スパンくらいで将来を見すえて、変化の方向に知性と感受性を合わせていかなければなりません。池田さんは『小説新潮』さんの『7つの謎』という特集について、『今回の特集では「こじれる」、「謎」という二つの要素がいずれも言語的な物語、メタフィクション的な結構をもたらしがちであることを示している』と書いておられます。メタフィクション――つまり虚構であることを露わにした上でのリアリティでないと、読者はもう惹きつけられてくれないといふことです。
■ 池田浩 文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.102 小説新潮2017年02月号』 ■
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