星隆弘さんの連載演劇批評『現代演劇の見(せ)かた』『No.019 Kawai Project Vol.2 『まちがいの喜劇』』をアップしましたぁ。豊島区立の劇場・あうるすぽっとで9月7日から11日まで上演されたKawai Project演劇第二弾『間違いの喜劇』のレビューです。この舞台の背景やKawai Projectについては、星さんが『No.018 戯曲のうえに劇場を建てるために』で書いておられますのでそちらもあわせてお読みください。
Kawai Project版『間違いの喜劇』では、冒頭で役者たちが観客席から舞台に上がります。捕らわれの身のシラクサの老商人イジーオンの話を聞くためですが、この演出はとても重要です。
我々観客はフィクションをフィクションとして受容するとき、物語世界とは無関係でいられる。その無関係さを前提として物語世界の精巧さを追い求めたとき、芝居はよりリアルになり、観客席と舞台を隔てるいわゆる「第四の壁」が建てられる。舞台の四角い空間は別世界を覗き見るための窓枠となり、観客は舞台の人物に気づかれることのない無色透明な窃視者となる。そのような演劇の完成形の対極にあるのが本作である。俳優たちはリアリズムを離れて観客の存在を公然と認め、語りかける言葉をもって関係しようとする。我々も無色透明であることをやめ、観客席を立って舞台のほうに一歩足を踏み込むこととなる。エフェソスの住人になるというのではないが、時間も空間もかけ離れた現実界に留まるのでもない。そのとき我々はどこにいるのか。劇場にいるのだ。そこは登場人物の声と俳優の声が二つとも同じく聞こえる空間であり、現実世界の2時間と劇中世界の半日が同時に経過する宇宙でもある。
(星隆弘『まちがいの喜劇』)
Kawai Project版『間違いの喜劇』では、オリジナル脚本にあったライム(韻を踏む文章や歌)が日本語に訳され移植されています。単にオリジナル脚本に忠実な舞台を作るためではありません。これもまたシェイクスピア演劇の本質を〝舞台上で〟再現しようとするKawai Project独自の意図の表れであったようです。
シェイクスピア演劇の特徴が言葉にあるのは確かです。文字で読んでもシェイクスピアの演劇は楽しめる。しかしそれは、単純化すればチェーホフ戯曲を読む楽しみとは質が違います。チェーホフ戯曲は新劇でよく上演されますが、いわば小説的戯曲です。もちろんシェイクスピア戯曲にもプロットはあるわけですが、それは演劇の一部に過ぎません。シェイクスピア演劇では言葉がプロットを離れた審級にまで達し、それによってプロット自体を動かしてしまうから面白いわけです。だからライムの〝意義〟を正確に理解し舞台化する必要性が生まれてくる。
古典中の古典であるシェイクスピア演劇は、現在では崇高なものとして受け取られるのが常です。しかし上演当初はかなり猥雑なもので、観客の笑いや野次に包まれていたらしい。人間を一番笑わせるのは意表を衝く発想です。一定の時空間に沿った物語から飛躍する言葉が笑いを生みます。それは星さんが書いておられるように、観客を『無色透明な窃視者』から『舞台のほうに一歩足を踏み込む』存在へと変えます。意欲的舞台だったようです。
■ 星隆弘 連載演劇批評『現代演劇の見(せ)かた』『No.019 Kawai Project Vol.2 『まちがいの喜劇』』 ■
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