大篠夏彦さんの文芸誌時評『No.023 文學界 2015年04月号』をアップしましたぁ。栗田有起さんの『抱卵期』を取り上げておられます。代理出産ならぬ代理〝抱卵〟を仕事にする女性主人公といふ、ちょっと変わった設定の作品です。SF的と言えばそうなのですが、医学業界のお話しではないので、主題はやっぱり女性性といふことになるでせうね。
大篠さんは、『自分自身の欲望を持た(中略)ない蔦子は社会的には存在しないも同然である。しかし「まるで自分が消えてしまったかのような感覚は抱卵の仕事をはじめてから覚えたもので、快楽にちがいなかった」とあるように、それが蔦子の望みなのだ。そういう意味で『抱卵期』は一種の絶望小説である。また蔦子が自殺などに走らないのは、抱卵者としてわずかに社会とつながっているからである。それは人助けのための仕事だが、次のステップでは子供を産むとはどういうことであるかが問われる』と書いておられます。絶望の中に光りが射すか、絶望が深まるか、方向性は2つに絞られる小説だといふことでありまふ。
大篠さんは、『女性作家が妊娠・出産を巡る特権的とも言えるコードを手放せば、それは漠然と存在する社会的・生物学的要請に過ぎなくなる。妊娠・出産は誰かの、あるいは社会のためにその役割を果たすだけの絶望的行為かもしれない。だが同時に蔦子を始めとする『抱卵期』の女性たちは、妊娠・出産を拠り所に絶望の底に達するのをこらえている。(中略)この先にさらなる「一歩」があるのかどうか、とても興味がある』と批評しておられます。絶望を深める方向に作品は進んだようですが、底にまでは達していないやうです。純文学はむちゅかしひのでありまふぅ。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.023 文學界 2015年04月号』 ■