日本が誇る世界的特殊作家、三浦俊彦さんの連載小説『偏態パズル』(第66回)をアップしましたぁ。『今昔物語』第30巻「平定文仮借本院侍従語第一」は、平中(平定文)が侍従の君の筥を奪い、中のんちらしきものを食べてしまった話として古来有名です。谷崎潤一郎や芥川龍之介もこの話を元に小説を書いています。三浦先生も当然、『のぞき学原論』(三五館)でこのお話を取り上げておられます。
ところで、芥川龍之介の『好色』のアレンジでは、平中は、侍従の君の筐を持った女童が通りかかるのを見て・・・即座に奪い取ったことになっている。・・・つまり、そこでは平中が口にしたモノは侍従の君のホンモノであった可能性が大なのである。・・・命がけの恋にいまや感覚麻痺に陥っている平中は、いかなる幻滅的現実よりも強固な神秘の霧にがんじがらめにされているものだから、麗人の大便に「吉祥天女」の芳香を嗅いでしまったに違いない。胆汁の苦みを瑞草の甘みと、粘液と繊維の味気ない腐塊を蜜乳滴る美肉と感じ、心が強引に抱いたその幻覚の無理ゆえ、物理的事実とのズレに引き裂かれて平中の生命は崩壊した。
ここから三浦センセ、いやおろち学会の議論は、侍従の君の筐の中にあった物体が本物であったのかといふ「実弾説」と、平中はそれに悩殺されて死んだのかという「悩殺説」の検証に進んでゆくのでありまふ。おろちの生産者に対しても、おろちの受容者にたいしても、またおろちそのものに対しても、三浦センセは無限の愛を注いでおられるのだなぁ(爆)。
ところで元ネタになった『今昔物語』は、白川・鳥羽法王院政期の平安末に成立したと考えられています。んちの話って平安短歌にはまずないので、『今昔』の話しは例外中の例外よねぇ。正岡子規は糞尿の和歌はなく、俳句時代になって初めて糞尿を詠むようになったとどこかで書いておりました。蕪村の「大徳の糞ひりおわす枯野かな」などが有名ですね。大徳の読みは「だいとこ」で偉いお坊さんのことです。もしかして蕪村さんは芭蕉さんをパロっていたのかな。三浦センセ好みの句かもしれませぬぅ(爆)。
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■ 三浦俊彦 連載小説 『偏態パズル』(第66回) テキスト版 ■