小林大介さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.011 自由詩と俳句の融合について-田沼泰彦詩集『断片・天国と地獄の結婚』』をアップしましたぁ。今月は安井浩司さんのインタビューから始まったといふこともあり、ちょいと溜まった詩書関連のBOOKレビューをアップしてゆきます。小林さんは谷輪洋一さんのご友人で、詩をずっと読んでこられたそうですが詩の批評をお書きになるのは学生時代以来だそうです。今回のコンテンツが小林さんのいわゆる詩壇復帰作といふことになるでせうか。
小林さんは、『鶴山裕司氏が・・・「詩は形式的にも内容的にもなんら制約のない自由詩である」と定義してから、詩の世界では急速に〝自由詩〟という呼称を使う詩人が増えている。・・・しかしそれだけでは済まないのが人間の世界というものである。・・・戦後詩はともかくとして、「現代詩」を相対化することに多くの詩人たちが抵抗感を抱いているようなのだ。・・・かつては時代の最先端を走っていたはずの現代詩にしがみつく以外、どうしていいかわからない詩人が多いのでそんな混乱が生じるのかもしれない』と書いておられます。
不肖・石川、外から自由詩の世界を眺めていますが、どう考えても現代詩の時代は終わっています。詩人さんたちは早く、でも原理的に戦後詩や現代詩を総括(相対化)して次の審級に進む努力をした方が良いです。戦後詩・現代詩の詩人たちは立派でありました。彼らはいわゆる近代詩-つまり国粋主義に飲みこまれていった戦前の詩を徹底して検証・批判することで新しい詩を生み出したのであります。
でも現代の詩人たちは、現代詩はもちろん戦後詩ですら充分に総括・相対化できていない。むしろ小林さんが指摘するように過去の栄華に〝しがみつく〟ような醜態が目立ちます。戦前に生まれていたら、現在活動しているほとんどの詩人が翼賛詩人になってるだらうなぁ。だって独立不羈の精神を持っておらず、どんなものであれ既存の権威に弱いのがバレバレですもの(爆)。
ほれに戦後詩・現代詩を総括・相対化するといふことは、過去の否定ではありません。それが近代詩と現代詩の間に横たわる溝との大きな違いです。たとえば詩を〝自由詩〟といふ原理にまで引き戻して考えている鶴山さんは、石川が見るところ最も戦後詩的な詩人だと思いまふ。思想を表現の核にした今どき珍しい詩人だといふことであります。
詩の世界に限りませんが、驚きのない表現には魅力がありません。過去の思想・技法、つまりもう新鮮味のないパラダイムにしがみついている作家の作品は、年齢を問わず魅力がないものです。小説のように現代を反映した現実事件を取材して作られる作品とは違い、詩のように短い言葉で叙述する表現の方がマンネリ化が激しく目立ちます。
乱暴な言い方をすると、読む前から中身が想像できてしまう詩人がすごく多い。実際読んでも予想通りです。不肖・石川、既存詩人さんたちの作品や散文に、正直うんざりしております。でもそれではいかんわけです。文学金魚のBOOKレビューでは面白い作品をできるだけ取り上げてゆこうと考えておりますですぅ。
■ 小林大介 『BOOKレビュー・詩書』『No.011 自由詩と俳句の融合について-田沼泰彦詩集『断片・天国と地獄の結婚』』 ■