池田浩さんの文芸誌時評『No.002江古田文学(第86号)』をアップしましたぁ。『江古田文学』は日大芸術学部が発行している大学雑誌ですが、江古田文学さんねぇ、う~んう~ん、まぢ困ったなぁ(爆)。
池田さんは『外向きなジャーナリズム性は、まず学外者のラインナップに現れるが、江古田文学のそれは外部者の雰囲気を欠いている。・・・その結果として、江古田文学カルチャーは、それに触れた人々の・・・インサイダーぶりを誇張してみせることになる。これについては意図したものと言うより、やはりハードルにつまずいたと思われる』と書いておられます。
む~ん、勇気を出してはっきり言いますと、江古田文学が文芸誌の体を成していないことは業界人が読めばわかります。ジャーナリズムごっこが行われています。池田さんが〝インサイダー〟雑誌だと書いておられる通り。しかしこのメディアごっこ、身銭を切る同人誌ではなく学校からお金が出る対外的な公的雑誌というお約束で行われているから厄介です。この雑誌を足がかりに、アウトサイドである一般読書界に打って出ることは、ちょー難しいでしょうね。「三田文学」や「早稲田文学」と同じ形で出版されているわけですが、同レベルで論じることはできないと思います。
池田さんはそれでも何かを学習するための糧として、『インサイダー的な雰囲気というものを一口に定義すれば、利権なき利権、ということになるだろうか。冷静に考えれば利権などなく、むしろそれに関わることによって時間の無駄という人生最大の損失が生まれる。が、そのように考える者を排除することで作り出される雰囲気は、幻の利得に接近する競争心理をあおる。つまり排除された者を敗者と考えることで、そのインサイダーのカルチャーに属する者の全員が勝者の錯覚に陥ることができる。それが島国日本の文化を示す部分があるという意味では、大変興味深い』と書いておられます。
この文章を読んで、不肖・石川、大爆笑してしまひました。こういふ抽象的教訓にしか、できないでせうねぇ。江古田文学さんになんらかのインサイダー的利権が存在することは簡単に感受できますが、それはよーく考えれば『利権なき利権』でせうね。余計なお世話のてんこ盛りですが、立て直すなら中立的立場のプロの編集者を雇うのが一番早道だと思います。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.002江古田文学(第86号)』 ■