北村匡平さんの映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.006 コミュニケーションの不可能性と距離の映画学―フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』』をアップしましたぁ。『No.004 コミュニケーションの不可能性と距離の映画学―フェデリコ・フェリーニ『道』』に続いて、フェリーニ映画について論じておられます。
『道』の批評で北村さんは、『登場人物の間に「距離」を導入することによって、不可能なコミュニケーションを達成してしまうこと、というフェリーニ作品を貫通する主題』を明らかにされました。ただフェリーニ中期作品の『甘い生活』では、この主題表現が複雑になります。『甘い生活』は退廃的なブルジョア世界を描いた作品で、『「甘い生活」に生きるブルジョアジーたちを形成しているのが、記号化社会である』(北村さん)であるからです。
北村さんは『甘い生活』のラストシーンについて、『記号化されていない純度の高いコミュニケーションが伝わらなかったこと・・・、これこそ「失敗する伝達の認識」と言えるだろう。フェリーニは、「聞こえない」「伝わらない」ことによって残る「何か」を論理的に言語化するのではなく、非論理的に映像化しようとしている』、『そのコミュニケーションは表面上「失敗」することで、別の次元の伝達を可能にしていた。記号に絡み取られないほんの一瞬を映し出そうとするフェリーニにとって「人間」を記号化から救う方法こそ「映画」であったように思う』と批評しておられます。卓見ですね。じっくり読んでお楽しみください。
■ 北村匡平 映画批評『創造的映画のポイエティーク』『No.006 コミュニケーションの不可能性と距離の映画学―フェデリコ・フェリーニ『甘い生活』』 ■