『道』1954年(イタリア)
監督:フェデリコ・フェリーニ
脚本:フェデリコ・フェリーニ/エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ
出演者:アンソニー・クイン/ジュリエッタ・マシーナ/リチャード・ベイスハート
音楽:ニーノ・ロータ
上映時間:104分
《映画》よ、おまえのファースト・ネームは《フェデリコ》である
フェデリコ・フェリーニの弔辞で、ヴィム・ヴェンダースはこのような讃辞を贈っている。1993年10月31日、映画史に深くその名を刻んだリミニの偉大なマエストロがこの世を去った。フェデリコ・フェリーニの死は、イタリア映画界だけでなく、煥然とした道標を失ったかのように世界中の映画界に圧倒的喪失をもたらした。それは、映画の死という出来事がまるで存在するかのような異様な終焉の光景だった。トリュフォーの「作家主義宣言」(1954年)やゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)などによるヌーヴェル・ヴァーグの隆盛、さらには60年代のヨーロッパ・アート・シネマの世界的席巻とともに、フェリーニは時代の寵児となり、偉大な「作家」として認知されるようになっていく。しかし「作家」なる概念が懐疑され、ポスト構造主義映画理論の批判に晒されるようになるにつれ、フェリーニの自伝的でナルシスティックなロマンティシズムは衰退の一途を辿る。<自伝的映画>とはフェリーニ映画を形容するとき、しばしば用いられる言葉であり、その自省性や内向性は作家主義の懐疑とともに批判され、フェリーニ映画は、映画理論と時代の変遷により異なる評価を得てきた。
批評家によってフェリーニ映画史は3つか4つに区分されてきた。川本英明は『甘い生活』(1959年)以降のフェリーニ映画とそれ以前のフェリーニ前期映画を区別して以下のように論じている。
『甘い生活』を分岐点として、社会の底辺を支える人々から都会のブルジョア世界へと目を向けるようになる。それに伴って、彼の映画はオムニバス形式でエピソードが脈絡もなく次々と移り変わり、物語性が希薄になり、時間の流れも切断され、表現様式が“サーカス”の構造に似たもの、つまり即興性、混沌、グロテスク、道化、ハプニングなど、サーカスのメタファーを盛り込んだ詩情豊かな作風へと変化していく。*1
フェリーニ擁護派の代表格であるフランク・バークによれば『8 1/2』(1963年)以降の作品は、作家性を解体していくフィルムであるという持論を提示しているし、岩本憲児も『8 1/2』を契機に「フェリーニの世界は 人間の無意識や夢の領域へと足を踏み入れはじめる」*2と論じている。フェリーニ批評が一般的に論じてきたところによれば、『カビリアの夜』(1957年)までを初期、『甘い生活』(1959年)、『8 1/2』(1963年)、『魂のジュリエッタ』(1964年)、『サテリコン』(1969年)を中期、『フェリーニの道化師』(1970年)から『オーケストラ・リハーサル』(1979年)までを後期、『女の都』(1980年)から『ボイス・オブ・ムーン』(1990年)の遺作までを晩期とするものが多い*3。いずれにせよ、1960年代あたりに大きな断絶があるようだ。この前期と中期を切断する批評の言説はおそらく正しいのだと思う。しかしその一方で、このような分類をすることによって見過ごされてしまうものもあるように感じるのだ。だから僕はここで、物語構造やスタイルが全く異なっているように見えるフェリーニの作品群を貫通するものを捉えてみたい(それ故、数回にわたってフェリーニ論は展開されなければならない)。それはすでに葬り去られた「作家性」を見出す試みに近い、いや、まさしく僕は今フェリーニの「作家性」を見出したいという欲望に突き動かされているのだ。そしてその試みはフェリーニだからこそ許されるとも思うのである。フェリーニ映画の区分では、特に初期作品と中期作品に絶対的な断絶を見る批評家が圧倒的に多い。フェリーニという形式の独自性が、一時期を境に内向的に自伝的ファンタスムを語ることで、想像力の枯渇という批判に晒されたとき、それはフェリーニの映画が歴史の中における相対的な「記号」として彷徨っているにすぎない。だからこそ「記号」自体を形成している構成要素を再考し、リニアな歴史から解き放つこと、すなわち、非=歴史性の中で「記号」の顔そのものを整形することがフェリーニの観客に求められているのである。
フェリーニ独自のコミュニケーションの様態と「距離」の主題は、初期映画から晩期に至るまで貫通する重要な要素であるにもかかわらず、フェリーニが初期からずっと時空間の「距離」を意識的に導入し、繰り返し伝わらないコミュニケーションを反復していたことは、これまであまり注目されてきていないように思われる。フェリーニは忘却された過去と現在との乖離を顕在化させることで、フィルム内に時間的「距離」を布置し、それを受容させる。フェリーニの映画に流れる「距離」の表象から考察すれば、フェリーニ映画は特有のコミュニケーションの在り方が表象される映画である。結論を先取りするならば、フェリーニ映画に一貫して現れるのは遠ざかっていく時空間の「距離」の主題とコミュニケーションの不可能性の伝達である。ここでいう「距離」とは時間と空間のどちらにもあてはまるものであり、映画というメディアを巧みに操りながらフェリーニは「距離」の主題にコミュニケーションの不可能性を表象することによって、「コミュニケーションが不可能であることを伝達する」、すなわち、逆説的だが、登場人物の間に「距離」を導入することによって、不可能なコミュニケーションを達成してしまうことを描くのである。
今回は、初期作品を代表する映画である『道』の作品分析から、フェリーニの「距離」の主題とコミュニケーションの様態を考察してみたい。『道』は、野蛮な大道芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)と、頭の弱いジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)という乱暴な男と純粋な女の物語である。本作はヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞(1954年)、アカデミー賞外国語映画賞(1956年)、ニューヨーク映画批評家協会最優秀外国映画(1956年)、キネマ旬報外国映画でもベストテン第1位に輝き、世界中で大絶賛された映画である。ザンパノは、芸の手伝いのため貧しい暮らしをするジェルソミーナをはした金で買い取り、旅に同行させる。粗野で横暴なザンパノの態度に嫌気が差し、ジェルソミーナは街へと逃亡する。そこで、綱渡り芸人であるイル・マットに出会い、ラッパの吹き方を教わる。ジェルソミーナは哀切な調べを教えてくれた綱渡り芸人に心を寄せるが、ザンパノに見つかり連れ戻される。陽気なイル・マットはザンパノの古くからの知り合いであり、ザンパノを事あるごとに逆上させ、ついにザンパノはその男を撲殺してしまう。純真なジェルソミーナは、イル・マットの死に放心状態となり、ザンパノは自分の大道芸の役に立たなくなった彼女を見捨て海辺の町に置き去りにする。数年の時を経て、見知らぬ海辺の町でザンパノは、耳慣れた音楽を耳にする。その哀切な調べこそ、イル・マットがジェルソミーナに教え、よく彼女がラッパで吹いていた曲だったのである。ザンパノは、ジェルソミーナが誰にも省みられることなく死んでいったということを知り、夜の海岸で号泣する。
図1 ザンパノに買われるジェルソミーナ
フェリーニ映画におけるメディウムは、登場人物たちに物理的な距離や心的距離を与えたり、他の人物との距離を認識したりするための重要な要素として映画に利用される。ザンパノのオート三輪、イル・マットの「音楽」、そして夜空の星やイル・マットが自身の哲学を語るために用いる小石などがそうである。例えば、ザンパノのオート三輪は、二人の物質的な距離を近づけたり、遠ざけたりする重要なメディウム(空間的距離)であり、音楽もまた二人に時間という抽象的「距離」を導入する必要不可欠なメディウム(時間的距離)であった。このようにフェリーニ映画における「距離」とは、登場人物の物理的な「運動」やメディウムの空間的な「運動」により表象される。特に『道』では、登場人物のコミュニケーションの断絶が表象され、断絶した二人を繋ぐための媒介として時空を超えた「音楽」が重要な役割を果たしている。この物語を展開させ登場人物たちを結び付ける抽象的メディウムが「音楽」であり、主旋律のみの簡単に口ずさめるがどことなく悲しさを伴う音楽は、人から人へと伝わっていく。ジェルソミーナは死んでも、彼女の音楽が数年の時を超えて、物質的痕跡なしに抽象的メディウムだけが残り、ザンパノに届く。このように、抽象的なものであれ、具象的なものであれ、音楽、道化、映画、ローマなどが「時間」を超えてフェリーニ映画で「距離」を伴って表象されるとき、その映画は〈フェリーニの映画〉となる。これこそがフェリーニ映画を他の映画と区別する重要な要素の一つなのだ。
図2 ザンパノとジェルソミーナ 図3 イル・マット
『道』は、みすぼらしく貧しい人間未満のジェルソミーナと粗野で野蛮なザンパノが、綱渡り芸人であるイル・マットという媒介項を通過することで、人間愛に目覚める物語だと認識されている。確かにイル・マットは二人の触媒であり、触媒としての音楽である。ザンパノは、気に入らないことには怒り、欲望のままに性欲を満たす野獣のような男で、理性が本能を抑圧することはない。人間の持つ優しさや悲しみといった感情表現を持たないザンパノも、ジェルソミーナ同様、「人間」ではない。この動物同士の戯れを「人間」に昇華させるメディウムが、イル・マットが奏でていた、悲しくも美しいシンプルなメロディーであった。その「音楽」に魅かれるジェルソミーナは、ザンパノに一人沿岸の町に捨てられた後もその「音楽」を奏で、最後にザンパノに伝播し人間らしい感情を引き起こすのであった。「音楽」は、綱渡り芸人のイル・マットからジェルソミーナへ、そしてザンパノへと伝わったが、実際のジェルソミーナとザンパノのコミュニケーションは「失敗」し続けていた。フェリーニのコミュニケーションは、表面上「失敗」することによって、何か別の次元の伝達を可能にしているのである。この名状しがたい伝達の様態こそ、フェリーニ映画に貫通する重要な主題である。
図4 イル・マットに音楽を教わるジェルソミーナ 図5 ザンパノに置き去りにされるジェルソミーナ
『道』の物語構造における媒介性の機能を探ってみるならば、イル・マットの小石の話でも明らかなように、「小石」と「空の星」は多の中にある無益に見える同類なものとして語られていた。この二つは同様のメタファーがあてはめられているのだが、前者が簡単に手に触れることができるものなのに対して、後者は手の届かないものである。ジェルソミーナの死を知ったザンパノはラストシーンで、海に入ってから海辺に戻り座り込む。そして、空の星を見上げて何かに気付いたかのように泣く。それはまるで小石としての触れられるジェルソミーナを喪失し、空の星としての触れることのできないジェルソミーナの存在に気付いたかのようである。
図6 夜空の星を見上げるザンパノ
ゆっくりと、カメラは一人夜の海辺に小さくなるザンパノを置き去りにし、後退し、上昇する。フィルムは海の側で始まり終わる。映画の構造は一つの循環の中にあるが、オープニングと結びは鋭い対照をなしている。最初に観客がザンパノに会う時は、太陽の光のもとで、海を見ながら跪くジェルソミーナを見ながら横柄にいばって力強く立っているが、ザンパノと別れるラストシーンでは、海の前でひれ伏して、もはや力を誇ることもなく、自らの過ちに気付き、霊魂の暗き夜を耐えている。*4
図7 冒頭のシーンのザンパノ 図8 ラストシーンのザンパノ
引用したエドワード・マレーのラストシーンのカットの比較分析は正しく、おそらく誰もが共感するだろう。しかしこのカット分析から導かれるマレーの読みは、フェリーニ映画に潜む「距離」と特有のコミュニケーションの形態を捉え損ねているように思える。彼は、ザンパノとジェルソミーナの行き着いた心的関係を次のように論じている。「ついにザンパノは、ジェルソミーナが彼を愛し必要としていたのと同じように彼女を愛し必要としていたことを知るのである」*5。単純な恋愛の物語を書かないフェリーニが、そのような喪失した愛の物語を書くだろうか。マレーが言うように、ザンパノは本当にジェルソミーナを愛していたのだろうか。僕には何度この映画を観ても、野獣としてのザンパノが人間を愛することに気づいたり、人間愛に目覚めたりするようには見えないのだ。誤解を恐れずに言うならば、僕たちはむしろこの物語を、ずっと側で献身的に付き添ってくれたジェルソミーナを愛せなかったことに絶望するヒューマニズムの喪失の物語と受け取るべきではないだろうか。失って気付く愛などによる孤独ではなく、愛を持つことのできない「獣」による人間性の喪失である。そのように考えるならば、イル・マットの「音楽」は、獣を「人間」に昇華するためのメディウムではなく、どうしても変わることのできないありのままの自分を認識させる暴力的な装置であり、「音楽」こそが、この「恋愛物語」を、愛を持つことが出来ず変わることのできない自分にただ絶望するしかない孤独な男の物語にする。人間がそう簡単に変わることが出来ないことは誰もが経験的に知っているだろう。だからこそ、この物語のザンパノの涙は、僕の心を打つのだ。
おそらく、ザンパノは彼女のおかげで「人間」になる喪失の感情を手にすることはできたのかもしれない。それはあの空虚な図像がザンパノの心の図像と重なり、その圧倒的な孤独を表象していることからも読み取ることができるだろう。しかし、ザンパノはジェルソミーナが持ち得た純粋無垢な「星」のような輝きは永遠に手にすることができないことを知っているのだ。このように考えるなら、『甘い生活』における素晴らしい川を挟んだマルチェッロと純粋な少女のエンディングのシーンも、到達不可能な「距離」と少女との「断絶」を自覚するというコミュニケーションの不可能性の伝達が見出せるだろう(この初期映画と中期映画の同質の構造はまた改めて紹介する)。
絶対的に対極にあるものを通して、自分に欠落しているものを再認識し、過ぎ去った「時間」を取り戻したとしても、通じ合うことが不可能であることの孤独、それが、ザンパノがラストシーンで自己認識したものである。だから、彼の「時間」は反復する冒頭のシーンとラストシーンに類似する二つの図像の対比のなかで、モンタージュ的に過ぎ去っていくカットの運動と〈筋〉の展開のなかで、「時間」の奪還の欲望を表象しているわけではないのだ。「時間」を取り戻すことで解決するわけではない、つまりどうしようもない「時間」がただ眼の前で流れていること、この希望のない「時間」の出現が、ザンパノや観客や作家が直面する過ぎ行く「時間」なのである。ザンパノは決して海の中に入り、母なる母胎の羊水の中に回帰しようとはしない。ザンパノは過ぎた過去を後悔しているのではなく、フェリーニも決して過ぎ去った「時間」を取り戻そうとはしないのである。フェリーニがザンパノを海へ向かわせ、海辺に戻ってきて泣かせたのは、打ち寄せる波に対して、砂浜が圧倒的な空虚さや虚無感を表象する図像だからである。確かにフェリーニの『道』の素晴らしさは、取り返しのつかないジェルソミーナの喪失が、音楽を媒介として、ザンパノのもとに届くところで、音楽という形而上のものが、物質的な存在としての人間を越え、「獣」を「人間」にしようと働きかけるところである。しかしそれ以上に、ラストシーンで、動的な海の波と、空虚な砂浜をフレーム内で図像的に対照化しながら一人の男の喪失感を表象することで、決して交換し合うことのない眼差し、一方的にしか送られることのない眼差しによる「距離」が拡大し、ただ眼の前の時間に耽溺することしかできない一人の人間の圧倒的な救いようのなさを生みだしているところは、奇跡的な表現と言っても過言ではなく、カメラは蹲ったザンパノを一人海辺に取り残したままゆっくりと上昇し、一人の男のヒューマニズムの喪失を図像(視覚)と音楽(聴覚)と俳優のモーションが見事に協働しながら結晶化することで、観客である僕たちのエモーションを昂揚させるのである。
中期作品である『甘い生活』と初期作品である『道』には、失敗のコミュニケーションの伝達を、主人公自らが認識するという共通した構造がある。マルチェッロもザンパノも、その「失敗」を「成功」に変えようとはしない。ただ、目の前にある決定的な断絶を自覚するだけである。フェリーニは、幻想世界が生まれた場所チネチッタ、第二の故郷ローマ、生まれ故郷のリミニと三つの町の間で引き裂かれたディアスポラであった。彼はチネチッタでの映画製作にこだわったが、そこは彼にとって現実にはない架空の表象を創造するトポスであったに違いない。彼は生涯、芸術のローマと幼年期のリミニにこだわり続けた。だからこそ、フェリーニ映画では常にメディウムによる運動によって「距離」が拡がりを持ち、それを基盤にフェリーニの登場人物たちは、伝わらないコミュニケーションを伝えようとするのである。
【註】
*1 川本英明『フェデリコ・フェリーニ 夢と幻想の旅人』(鳥影社、2005年)、239頁。
*2 岩本憲児編『フェリーニを読む』(フィルムアート社、2005年)、40頁。
*3 古賀弘人「公平なゆえ酷薄な視線の先に」『ユリイカ』(青土社、1994年9月号)、126頁。
*4 Murray, Edward. “La Strada”, in Federico Fellini Essays in Criticism. Ed. Peter Bondanella. (Oxford: Oxford UP, 1978), p. 53.
*5 Murray, Ibid, p. 53.
北村匡平
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