山本俊則さんの美術展時評『No.035 生誕250周年 谷文晁展』をアップしましたぁ。ちょっと前になりますが、サントリー美術館で開催されていた谷文晁展のコンテンツです。バルチュスの次は文晁かぁ。山本さん、まぢ守備範囲が広い。ちょっと驚異的でありまふ。あ、山本さんの美術展時評は、単に美術展を巡るものでなく、作家論・文化論になっております。文晁に代表される江戸後期の画家にご興味のある方は、是非お読みください。
文晁は江戸後期で最も有名な画家の一人です。山本さんは、『簡単に言えば文晁は松平定信寵愛(お抱え)の絵師である。しかも武士であり家柄も申し分ない。この現世的威光(プレステージ)が、江戸後期の画壇における文晁の地位を特権的なものにした。・・・存命中から文晁作品は高価で入手するのが難しかった。人々は争って文晁作品を買い求めたのである。文晁のような人気画家は、同時代では京都円山四条派の祖・円山応挙くらいだろう』と文晁をレジュメしておられます。
ただ最近では江戸後期の画家といふと、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪の方が有名かもしれません。これについて山本さんは、『文晁や応挙は画壇のリーダーの自覚と責任感を持って仕事をした画家である。・・・彼らはなによりも、依頼者(クライアント)の要望を満足させる完璧な画を描くことを重視した。彼らは画で自我意識を表現する必要がなかったのだと言える。・・・文晁や応挙が当時の画壇そのものだったからである。激しく自己主張する自我意識の発露は、文晁や応挙を仰ぎ見る、当時の群小画家たちである若冲、蕭白、芦雪ら特有のものだったのである』と批評しておられます。う~ん、明快だな。
美術批評に限らず、すべての批評は新たな思考のための土台です。公表された批評を元に、さらに思考を深めるためのものだと言ってもいい。山本さんの美術批評はペダンティックな議論に陥らず、それぞれの画家の本質をできるだけ正確に捉えたものです。その平明さは、十分、万人のために開かれた批評の土台になると思います。
『江戸の封建時代には、人間の生は断続であると捉えられていた。幼名があり元服後の名があり、隠居すればまた名を変えた。雅号を使うのも当然だった。・・・武士の本業を行うかたわら狂歌や漢詩を詠むときには、・・・違う生が始まるのだという意識があったのである。比喩的に言えば、文晁の画業では作品一作ごとに違う生が表現されている。文晁や応挙は、最も江戸的な絵師なのである』という山本さんの批評は卓見だな。じっくりお楽しみあれ。
■ 山本俊則 美術展時評『No.035 生誕250周年 谷文晁展』 ■