鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第022回 古伊万里の文房具』をアップしましたぁ。今回は古伊万里の文房具三点を取り上げておられます。気軽な骨董という意図で紹介しておられるのですが、そうかなぁ。花唐草文の筆架や籠型水滴は、ちょ~珍しいと思います。不肖・石川は骨董初心者ですが、骨董屋を走り回っても、そう簡単に見つけられないことは絶賛請け合いまふ。鶴山さんの目筋は独特だなぁ・・・。
今回鶴山さんは、骨董の真贋についても触れておられます。『骨董の世界では、ある物や作家が好きであっても〝どこまで好きなのか〟が自ずから問われる。・・・ある画家の作品が大好きだと公言している人が、骨董屋で作品を見せられ、手頃な値段を提示されたとする。しかしなかなかその場で購入を決められないだろう。時代が古くなればなるほど精巧な贋作が増えるのは常識だから、誰もが知っている有名作家になるほど猜疑心は強まる。自分は何をもってその画家・・・が好きだと言っていたのかが試されるのである』と書いておられます。
確かにその通りですね。石川の経験から言っても、美術館で作品を鑑賞しているのはある意味安全で気楽です。でもお金を出して〝買う〟となると、ぜんぜん心理状態が違ってくる。物を見る視線を変えなくてはならないんですね。骨董・古美術の世界は贋作があるのは当たり前ですから、すべて自己責任で決断しなくちゃならない。小林秀雄は贋作だと指摘されて、『この物がダメなら俺がダメなんだ』とまで思い詰めたと書いていますが、気持ちはわかります。わかったような顔をしていて、何もわかってなかったことになっちゃうからです(爆)。
鶴山さんはまた、『ワープロを使えば良い作品が書けると考えるほど僕は呑気ではないが、ワープロを文房具として使う僕たちは、字と書の違いをより鮮明に意識できるようになっていると思う。昨今の習字ブームはそういった人々の意識の表れでもあるだろう』と、〝字〟と〝書〟の違いについても書いておられます。石川がワープロを本格的に使い始めたのは1980年代の終わり頃からです。考えてみればほんの最近のことで、確かにワープロで〝字〟を書くようになってから、〝書〟の意味がぼんやりとわかり始めたかもですぅ。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第022回 古伊万里の文房具』 ■