No007『女性スペースはあきらめる⁉︎ 女湯・女子トイレ・女子大&女子校』小原眞紀子×三浦俊彦をアップしましたぁ。「女湯侵入で男逮捕 心は女性と主張 三重県警」を入り口に今回も活発な対話になっています。こういった事件は今までもあったわけですが、三浦先生がおっしゃっているように、理解増進法があり最高裁判断が出たので「かりに起訴されても無罪になる可能性が高い」。もちろん今後このような事件が激増するとは言えないですが。
ちょっと話が飛躍しますが、親の介護などで福祉事務所にお世話になった方は多いと思います。で、老人福祉は実に細かく分類されています。細かく段階があって受けられるサービスが違います。その判定は医療機関と福祉スタッフが協力して行う。家族が「うちの親はこんなに弱っているのに」と訴えても手心を加えてもらえることはほとんどない。それが理不尽かと言うと、話を聞いてみると「なるほど」と納得するケースがほとんどです。介護スタッフの給料が安いなど様々な問題はありますが、かなり洗練されたシステムになっていると言っていいと思います。
で、何が言いたいかというと、介護は数十年前までは家庭の問題、プライバシーに関わる問題でした。多くの家庭が親の痴呆症状などを隠そうとした。それを公(パブリック)の問題として捉えることから今の福祉制度がじょじょに整備されていったわけです。
LGBTはプライベートな問題がパブリックな審級に引き上げられたという面で老人福祉と似た面があります。パブリックな問題となったから理解増進法案などが出来て性自認をご本人の自己申告で認めようという動きも出ているわけです。プライベートな大きな問題をパブリックの次元にした時点で法などと結びつくのは当然ですね。ただパブリックな問題になった以上、プライバシーがなくなる面があるのは致し方がない面があります(公が秘守義務を負うのは当然ですが)。
しかしLGBTと頭文字が並んでいるように、その内実は個々に違います。理解を増進する法案が出来たのはとても良いことだと思いますが、そこからさらに進んで新たな男女の定義といった公的区分を定めるのではあれば、もっと厳密な許認可制度が必要になると思います。昨今のプライバシー侵害不可の風潮とパブリックな保証を両立させることはできないんじゃないでしょうか。個の宣言と申告のみで性別を決めていいとなりかねない現状の動きはザルと言わざるを得ません。
石川、この問題に対するフェミニストやゲイタレントの方の発言があまり聞こえて来ないのがちょっと気になります。フェミニズムが生物学的女性は抑圧されており性差は後天的社会規範(ジェンダー)で形作られるという理論を中心にしていたのは確かです。理解増進法が男女性差を生物学的区分に置かない方向に進んでいるのをどう考えておられるのか。またプライベートな苦しい闘いと自助努力で社会に居場所を見つけたゲイタレントの方たちは、この法案をどう見ておられるのか。法整備を為す前にまだまだやることはあるんじゃないかなぁ。
■No007『女性スペースはあきらめる⁉︎ 女湯・女子トイレ・女子大&女子校』小原眞紀子×三浦俊彦 縦書版■
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