性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
三浦 ええと、「女湯侵入で男逮捕 心は女性と主張 三重県警」。で、しょっちゅうこの種の記事はあったから、なんで今この事件が騒がれているかということについてですけどね。この女湯に入った本人が「心は女性なのに、なぜ女子風呂に入ってはいけないのか理解できない」とはっきり言ってるからです。これがやっぱり問題なんですね。今までは、単に犯罪者だ、トランスジェンダーではない、なりすましだ、という扱いでスルーしてきたわけですよ。報道もさほど深刻に受け止めてなかった。ところがこれは本人がもう、自分は女性だと言い張っているという事例なんですね。これが心配だったんですね。
小原 それですよ。ついに起こった。
三浦 しかもちゃんと女性用の更衣室の鍵をもらっていたと。
小原 うーん……
三浦 だからおそらく女性に見えたんですよ。だけども、やはり裸になっておかしいということで、客が通報して退去ということになったんだよね。だから、これがまずい。理解増進法で、あと今回の最高裁判でも、性自認を尊重すること、理解増進法はまあ性自認という言葉は使ってないんだけれども、最高裁は先走って性自認という言葉をたくさん使ってるんですねえ。
小原 ふんふん……
三浦 性自認の通りに社会生活を送ることは基本的人権であるというようなことを何回も書いてる。もうそれに沿ってるってことですよね。
小原 そうですね。
三浦 逮捕されたからいいじゃないかっていう人がいるんだけど、起訴されるという保証がない。ああいう裁判官だから今、裁判所もああいう状態なので、かりに起訴されても無罪になる可能性が高い。
小原 うーん。
三浦 心は女性なんだ、と言えば、これからは自由に入って、万一逮捕されても起訴されない。起訴されても無罪になる。そういったことがわかれば、皆どんどん入るようになる。そういう時代が来る予感なんですよね。
小原 そうですね。よくぞ言うたという感じですね。
三浦 うん。よく言ってくれたよね。これは、今は逮捕されてますよ、もちろんね。今は社会常識で、いくらトランスジェンダーであってもダメと言う声があるけど……この記事に「立石弁護士に聞く」ってありますよね。で、あー、この人か。あの経産省のトイレの、あの人の弁護士じゃない。この人は何言ってるの?
LGBT(性的少数者)理解増進法案の扱いが今国会の焦点の一つだ。成立すれば「『心は女だ』と言うだけで男性も女湯に入れるようになる」といった根拠不明の発言がネット上で飛び交うが、立石結夏弁護士は「明確な誤りだ」と否定する。
「明確な誤り」、でもそんなことなんで言えるのって話ですけどね。この記事の段階ではそう思っていたかもしれないけれども、今はもうそれ通用しないということですね。
小原 以前の記事ですもんね。4月の段階では、LGBT法を根拠に「心が女」だけでは女湯に入れないと論じているわけですが、結局、ああいう最高裁判断が出て、やっぱりニュアンスが変わっていくわけですよね。
三浦 そうそう、だから「心は女だ」と、非常に同情を引くような弁護方法で展開したときに、今の雰囲気だとこれはやっぱり基本的な権利であるということで許される可能性っていうのは十分ありますね。
小原 だから、この犯人というか、この人はやっぱり最高裁判決を読み込んだ上でやってるんだと思うんですよね。これはもう許される雰囲気だっていうのを読んでやってる感じなんで。4月の段階でなんかLGBT法を根拠にロジックを展開したものをここに貼り付けちゃっても、何にもなんないと思うんですけどね。
三浦 そうそう、法律のおかげでどんどん変わってきてるからね。裁判所も影響されてるぐらいだから。だから罪に問われるとしても、最高裁がこう言っていたとか、理解増進法はこうだとかってことを理由にすれば、必ず罪は軽くなるからね。
小原 そうですね。
三浦 非常にこれは、恐ろしい話であってね。まあそのうち、なし崩しに認められるようになるね。
小原 この調子ですと、ね。敏感なもので、そこのところを読んで隙をつくのが犯罪者というもので、どんどんこれから増えていくと思いますね。
三浦 犯罪者だろうが犯罪者であるまいが、身体が男性である人に入ってこられるっていうのは、女性にとっては同じことですからね。
小原 そうですよ。どんなつもりだろうが、関係ないですよ。
三浦 だから犯罪者の問題であって、トランジェンダーの問題ではない、っていうのは崩れてしまったと。
小原 物を盗っても、盗ったつもりがなければ犯罪ではない、っていうのと一緒ですからね、それは。
三浦 それもそうだし、性自認女性で、かつ犯罪者っていうのは、それはまたいるわけだしね。だからまあ、これからどうなるかですよ。特例法を変えなきゃいけないわけじゃないですか。手術要件って今のところ四号だけが違憲とされたけれども、五号が違憲とされるのはもう必然なんですね。生殖腺を除去しなくていいってことは、少なくとも玉がついていていいってことですよ。これはもう外観上ペニスだけ切ったって玉はありますからね。そうすると外観要件も違憲だと言ってるに等しいよね。
小原 もう、なし崩しですよね。要するにね。
三浦 だからもう手術要件はなくなった。じゃあどうするんですかって話なんですね。特例法で怖いのは、四号と五号だけが削除されて続くと、どんどん性別を変更して入れるようになることです。
小原 そういうことですね。
三浦 今は性別変更した人は女湯に入っていますよね。手術もしてあるし。生物学的な男性であっても、公的な女性になった人は今、女湯に入っているわけですよ。で、法的女性、今まで女湯に入れた法的女性の中に、これからは男性器をつけた人が混ざるわけです。
小原 同じ法的女性の中に、女湯に入れる人と入れない人ができてしまうとまずいですもんね。
三浦 今、楽観的なことを言っている人たちは、女性スペースなんとか法というのを作って、手術してない人は入れない、外観要件を満たした人だけ女湯に入れる、女性スペースを使えるっていう法律を作ればいいじゃないかって言ってるんだよね。それは甘い。法的女性の中で差別をする法律が認められるわけがないでしょう。かりに施行しても、そんな法律は当然、すぐに違憲って言われるに決まってるんですよ。
小原 そうなるでしょう。
三浦 法的女性なのになんで入れない、今回のこの人みたいに、なんで私は女子風呂に入れないんだと言って、もし逮捕されたら普通に裁判になるし、逮捕されなくたって民事裁判を起こすことができるわけですよね。そうすると、そこで裁判所で判決を下すときに、必ずその女性スペースなんとか法、つまり同じ法的女性なのに男性器のあるなしで区別するのは違憲だっていうふうに必ずなるよね。
小原 外観っていうのは、アナログなわけじゃないですか。それなら生来の女性だって、胸がAカップの人はちょっと、とか、Cカップ以上だったら女性っぽいから入っていいとかって。つまり外見が女性っぽいかどうかなんていうのは非常にアナログな話であって、その性器の部分をじーっと見て、なんとなく膨らみが大きい人は普通の女性であっても疑われるとか、なんとか言い出したらきりがない。
三浦 そうそう。
小原 そのアナログな画像的な部分っていうのはどんどん拡大解釈されたり、なし崩しになったりしていくことは、もう自明なので。
三浦 自明なんですよ。だから特例法を改正するときに、女性スペース利用に関する法律、というものができたとしても、時間稼ぎなんだよね。それへの違憲判決が必ず出るので、だからもっと根本的なことを考えなきゃいけないんですよね。
小原 そうですね。
三浦 しかし難しいわけですよ。どうなるんですかね? これね。
小原 どうなるんでしょうね? 女性スペースというもの自体が崩壊する、江戸時代みたいに公共のお風呂はもう男女一緒で。ヨーロッパとかでも、温泉は混浴で、裸で平気っていう感じがあるみたいじゃないですか。
三浦 まあ局部露出させたら騒ぎになりますが。
小原 だからもう、そうなっていって。それに耐えられる、それが開放的で素敵な文化だと思う人が行けばいいっていうふうになっていくんじゃないですかね。
三浦 初めから男女共用であれば、そこに男がいてもそんなに怖くないけど、女子専用ってなってるにもかかわらず男がいることが怖いんだよね。
小原 女性に対して考え方を変えろって、経産省の裁判からずっと言われているわけだから、女性スペースなんてものはこの世にあるとは思うな、ってことでしょ。それはそれでいいんじゃないですか?
三浦 そういうことなんですよ。
小原 もう立派なレディは、そんなとこ行かないんですよ。
三浦 社会階層による差別がどんどん拡大する結果になるというね。まあ、そういうことなんだよね。
小原 嫌なら頑張って稼いで、海外のリゾートホテルとか高級旅館にしか行かないようにしよう。ただ、かまびすしい混浴文化に価値を見出した女性は、楽しく行ったらいいじゃないですか。
三浦 市民運動なんかをしている人たちはこれからどのような法律にしてもらうように議員にお願いするかっていうのは大変で。そもそも意見の統一がないと思うんだよ。一番穏健な立場では、女性スペース利用法みたいなのでお茶を濁す。それに対して、特例法全体が違憲なんで、丸ごと廃止せよって立場もある。まあ、これが一番いい方法だと私は思いますけどね。ただ、これは性別変更ができなくなるから現実味がないと。だから絶対に反対が多くて。
小原 だからさ、性別の定義っていうのに遡ると、性器をちょん切ろうと何しようと染色体は変わんないんだから。染色体で性別を決めるって考えると、性別変更なんかそもそもできないですよ、そんなの。
三浦 そうそう。だから性別変更はそもそもできなかったんだっていうことに。今回の最高裁判決はそれを逆説的に述べた、というふうに捉えるべきだと思うんだよね。だってそうとしか考えられない。あの少数意見なんか見ると、ホルモン療法ですら身体侵襲性があるので、それを条件にすることすら良くないって言ってるわけね。
だから性別変更を認めるんだったら、手術はもちろんのこと、ホルモン療法も必要ないようにしろと。そういう少数意見があるわけであって、そうすると性別変更を認めるんだったら、もう本当に無条件で認めなさいって、セルフIDになることがもう目に見えてるわけですよ。
小原 そこまでいけばもう、性別というもの自体がナンセンスじゃないですか。
三浦 そうそう。
小原 性別はない、ということでしょ。自己申告で決まるなら。
三浦 性別という属性は何も示さず、自分がどっちの性別なのかという意識だけで決まるという循環論法になるね。だから結局、何を言ってるかっていうと、唯一身体の性別は生涯変わらないので、しかも万国共通なので、それのみが基盤であると。それのみが性別である、というところに最終的には戻ってくるんじゃないですかね。だから、それをこそ今回の最高裁判断は示していると解釈するべきだと思うんですよ。
小原 そりゃ想定外の大岡裁きですなあ。なんかマイナーカードには性別を記載しないとか、性別を無化しようという動きがあります。健康保険証として使うなら性別の記載はした方がいいと思うんですが。
三浦 社会的になるべく男女の区別をなくすっていうのは、私は賛成なんですね。身体に基づいた何らかの配慮が必要となる場面以外は、もう男女は全部一緒にするべきだと私は思うんですよ。服装とか制服なんかね。制服の区別を設けるのは特殊な事情のある職場に限るっていうふうにジェンダーフリーで、基本。企業も学校も男女の不必要な区別を設けてはいけない、と法律で決めるべきだと思う。
小原 JTBって、特に女子大生に就職で一番人気じゃないですか。わたしの先輩がJTBの広報にいて、ちょっと会いに行ったら、いわゆる女子社員の制服を着て出てきたんです。中高の頃から非常に優秀でセンス抜群で、外語大出て、独身でたぶん定年まで勤めるでしょう。もう辞めたいとかブツブツ言ってましたけど、そりゃそうだろう、この人はなんでこんなデパートの売り子みたいな服を着せられてるんだろうって、ちょっと思ったんですよね。昔で言うスチュワーデスさんとかだったらミニスカートも素敵だけれど、JTBの内勤それも花形の広報で、女子の制服は禁止すべきだと思いました。皆の憧れの的の先輩だったし。
三浦 企業の裁量じゃなくてね、個人の自由を性別で制約するようなことは法律で禁止して、男女の違いというものが強制されないようにする。そしたら性別変更というものに意味がなくなる。
小原 そりゃそうです。変更する必要がないわけだから。
三浦 ですよね。唯一、結婚だけですね。同性婚ができるかできないかは残るかもしれないけれど、出産とか妊娠に関係する場面のみで女性と男性を分けて。そうすると、出産や妊娠に関係のない男が女性に性別変更するっていう意味がなくなるんだ。
小原 そうなりますね。
三浦 私服は強制されないので、私的な生活において、女性はスカートを履く人が多くて、男性はズボン履く人が多くて、ってことはあっていいと思います。統計的なジェンダーっていうものはあっていいんだけど、上から男女で分けるということはしてはいけないというふうにするべきだと思う。そういう性別規範が今、多すぎるから性別変更をしたがる人がいるわけですよ。性別変更になるべく意味を持たせないような社会にするべきだと思いますね。
小原 そうですね。社会的にそういうのがあるから、性別変更への願望が生まれる。
三浦 統計的な差は残るはずなんだよ。選ぶ職業の偏りとか、服装に関しても。お化粧も女性がし続けて、男性はしないとか、そういう差は残る。そういう自然な差は全然、構わないんですよ。そんな個人の嗜好はほっとけばいい。ただ、職場でどういう服を着ろ、とかは全国的に禁止する。それで性別変更をしたい衝動に理由がなくなる。
小原 たしかに、ちょっとおかしいなと思うのは、その人が子どもを産む能力があるかとか、子供を妊娠させる能力あるかとかっていうのは、その人の人生の中でごく部分的な事柄じゃないですか。またそういう能力があっても実行しない人だっていっぱいいる。なぜそれが社会のあらゆる場面で、つまり女だとか男だとか、ついて回るんだろうか。
三浦 そうそう、非常におかしいんだよ。生殖能力が直接関係する部分では、もちろん分けなきゃいけないんで、例えば国民全部に子宮がんの検診票を送ったってしょうがない。だからそういう身体が関わるところでは男女を分けて扱う、と。それ以外はもう一緒です。
小原 合理的ですね。
三浦 制服も二通り用意しておいて、どっち着てもいいですよ、って。そしたら、おそらくこれは大半の女性はこっち着て、大半の男性はこっち着てっていうふうに分かれることもあるだろう。それは別に放置していい。自動的に生ずる男女差は認めつつ、しかし規制するっていうのは一切禁止。
小原 てきとーに混ぜて着るファッションが生まれそう。すっごくおしゃれ。
三浦 今回、違憲判断が出たので、特例法を変えるにあたっては、女性スペースなんとか法ではなくて、職場における男女の不必要な区別をしてはならない、という法律を出せばいいと思うね。それがまさに社会改革の方向性を示しているんだから。社会改革はいわゆるトランスジェンダリズムとは相容れない、ってことをだんだん我々は、わきまえていくべきだと思う。トランスジェンダリズムが進歩的な考えであるかのように勘違いしている人が多すぎるわけ。逆なんだよね。男女の不必要な違いが維持されるという前提のもとでトランスジェンダリズムが成り立つわけで、この勘違いがもう、いつも私は苛立たしくてね。根本的に間違ってる。
小原 性差へのこだわりがすごく強いわけですからね。
三浦 そう。だから男女の身体に基づかない違いが一切廃止されたら、トランスジェンダーは困るわけですよ。困るというか、そもそもトランスジェンダーである意味がなくなる。
小原 ここにも、問題が解決すると困る人たちがいるんですね。
三浦 今は、性別変更のための言い訳が多すぎる。そういう言い訳が一切ない社会、これがジェンダーフリーの世界であって。で、これがね、また困るのはね、トランスジェンダリズムに反対している保守派の大半が、ジェンダーフリーも嫌いなんだよ。やっぱり男らしさ・女らしさを認めろって言うんだよ。
小原 ふーん。それは何でなんでしょうね? 不思議ですよね。
三浦 トランスジェンダリズムっていうのが男女の境界を超えるという運動だから、それをもって短絡的に男女の違いを認めない運動だって勘違いしているんだよね。
小原 トランスジェンダーには「女らしい」っていう理想があって、そこに近づく権利を認めろって言ってるわけだから、そんなものは最初からないって言われると困っちゃうんじゃないですか。
三浦 そうなんだよ。単に子供を産むか産まないかの違いだけだよ、って法律で決めちゃったら、もうトランスジェンダリズムは成り立たない。だから保守派もね。ちゃんとそこを認識してほしいんだよね。男らしさ・女らしさを大切にしろって、もうだいたい保守派のトランスジェンダリズム批判の文言はそれですよね。逆ですよ。
小原 「男らしさ・女らしさ」なんて残飯をちゃんと捨てておけば、虫も出ないのに、みたいな。あーっ考えただけで…。まきちゃん、ゴ〇〇〇大っ嫌い。
三浦 そういう徹底したジェンダーフリーの法律を、私は今回、特例法の改正とともに成立させるのが得策だと思いますね。そうすると、誰も性別変更しようとしなくなるってことですよね。唯一、身体を変えた人がお風呂に行ったときに困らないよう、特例法もごく限られたところで残す必要はあるかもしれないですけどね。身体違和はトランスジェンダーとは違って、例えば人工ペニスをつけた場合に女湯に入れっていうのは酷かもしれないけど、それはトランスへの「理解」ということでクリアできると思う。生物学的女性=法的女性だけが女湯に入ってくるのであれば、性器の形は気にしなくていいので。法的性別は一生変えられないよっていうのが健全でしょうね。
小原 そこまでいくと男女の差に関しても幻想はなくなって、身体の違いでなぜ分けるかって言ったら、生殖行為が犯罪的に行われる可能性があるからという以上のものじゃなくなるわけですよね。
三浦 まあ、それと生殖行為に付随する羞恥心とか恐怖心とかに対する配慮ですよね。
小原 羞恥心なんかもそんな社会になったらもう、あんまりなくなっちゃうのかもしれないけど、いずれにしても生殖行為が違法に行われるとやっぱり実害が伴うので犯罪を未然に防ぐために男女で分かれるわけだけど、何か秘密の花園みたいな幻想もやっぱりなくしていってもらいたいとは思いますけどね。鬱陶しいから。
三浦 特例法を変えなきゃいけないことはもう決まったので、じゃあどう変えるべきなのか、ってことは、片山さつき議員が国会で演説して、ただあれもまだ抽象的なんだよね。女性スペースを守るだけに専念するのか、それとももっと根本的に性別変更のハードルを別の形で上げるのか、それとも他のやり方があるのか。意見の一致がまったくないんですよね。
小原 浴場と女子トイレっていうのは、やっぱちょっと性質が違うのかな、というふうにどんどん具体的に詰めていくと、女子大はどうなんだ、と。具体的にその三つに分けて整理していくといいのかなっていう気はしてますね。
三浦 そもそも女性スペースだけ守るっていうところから、特例法自体を廃止しろっていうところまで、いろんなグラデーションがあるわけなんです。それで特例法自体の問題っていうのを違う側面から、最高裁が言ってくれたのをプラスに受け止めるっていう考え方もある。つまり性別適合手術というものが本来、いけないものであると最高裁は言ってるわけですね。自傷行為であると。ホルモン摂取ですら良くないと言ってくれたのは、その意味では良かった。それでAbemaで針間医師が言うところでは*1、特例法ができてから性別適合手術の件数が急増したと。なぜかというともちろん、特例法ができたことによってスペース変更できますよって、誘いが来たわけですよね。
小原 はいはい、はい。
三浦 その誘惑に駆られて、本来手術なんか必要ない人も手術さえすれば性別変更できるのかっていうことで、したくもない手術をする人が激増した。その結果、それを後悔したり。つまり特例法っていうのは、人々を自傷行為に誘う悪法だったんです。
小原 と、いうことになりますね。
三浦 手術を見据えて、本当は取りたくもない異性化ホルモンを摂取している人もいるだろうし、つまり国民の健康を損なう法律なんですよ、特例法は。だから手術要件だけをなくすと、そういう健康上の弊害はなくなるかもしれない。自傷行為をしなくても性別だけを変えることができるわけだから。だけど、そうなると今度はいわゆる女性スペースの問題が生じてくる。今まで個人の健康の問題だったのが、社会的な、他者への性的危害になりますからね。
小原 今回のお風呂の侵入事件はショッキングですけれど、そういう場所だってわかってしまえば、もう行かなきゃいい。またオープンな場所だから、襲われるようなリスクは逆に少ないかもしれないけど、問題は女子トイレですよね。おそらく女子トイレでも事件が起きたときは、女湯に男がいたっていう騒ぎとは別の、もっと深刻な被害が起きる可能性が高い。それが女児だったりした場合、誰が責任を取るのか。
三浦 トイレはもう頻発してるんですよね、実際はね。お風呂と違って営業側の利益に関係ないので、その都度もみ消されてるんですよね、ニュースにもならずに。お風呂の場合だったら公然の事実になっちゃったりして、営業妨害になったりして逮捕とかになるけれども、トイレはなかなかそこね、闇に葬られてるんですよね。
小原 そりゃ、ただそこにいるだけだったら、お風呂と同じで、ああいるな、っていうことなんですけど。しかも服は着てるし。だけど深刻な危害があって、そのきっかけが今回のような、最高裁判断が助長したってことになると、どうなんだろう、と。羞恥心ぐらいのことは、もう諦めろってことだそうなので、それはそれとして、やっぱり非常に深刻な被害が起きる頻度が上がって、それは防ぎようがないってことになるのが一番、どうなのかなって。
三浦 だから、それはその場だけの問題じゃないんだよね。そういう性犯罪には常に備えましょう、警戒心を保っておいてもらうという、全体的な問題なので、温泉と女子トイレだけでそういう警戒姿勢を解除しましょうなんていうのは無理な話だよね。だから全般的に警戒心を常備しておくってことが必要で。
小原 なるほど。それはそれでいいですよね。羞恥心すなわち警戒心をなくす再教育とやらをしないでくれるなら。じゃあもう最高裁がなんと言おうが、どっちみちそういう事件は起きてるんだから、いっそう警戒心を高めることが正解なんでしょうね。そしたら馬鹿でっかい音の防犯ブザーをポチろう、っと。
三浦 ただまあ、言い訳をどんどん作らせてしまって、手術要件なしの特例法というのはやはり、なんとかしなきゃいけないんですよ。もともとが悪法だったものだから手術要件が必要だった。だから、手術要件が否定されるならばっさり全部廃止して、という選択肢がもちろん一つある。もう一つは、性別変更は容易になるんだけれども、性別変更した生物学的男性が容易に女性スペースに入ってこられないような法律をアドホックに付け加えるっていうやり方が反対側の極端にある。でも、そっちは絶対にうまくいかない。法的女性の中での差別を合法化するという法律ですから、これはあり得ない。単なる延命策に過ぎないわけですね。
小原 そうなりますよね。
三浦 その中間に何か名案はないかってことなんですよ。その一つは、さっき私が言った社会改革、とにかく一気にジェンダーフリーにして、あえて性別を変更するメリットをなくしてしまう。
もう一つの案は、繁内幸治さんってLGBT理解増進会の代表理事で、自民党で仕事してた方の案として伺ったんですが、ちょっと面白いと思ったのね。ホルモン値で決めたらどうかって言ってるんだよね。女性ホルモンを平均女性並みに下げる。今のスポーツ選手とか、平均女性の30倍ぐらい許容されているわけだから。
小原 なるほどね。ちょっと見かけの性器がどうのこうのより、よっぽどその方が筋が通っていると思いますね。
三浦 で一生、資格制にするわけですよ。性欲が女性並みになっていれば、多くの問題は生じない。
小原 女子スポーツでもね、男性ホルモンが高く出たらドーピングですよね。
三浦 女性免許を持ってる間は女性だから。男性ホルモンが上がっちゃったら資格剥奪されてね。運転免許の停止みたいなもんですよ。女性免許停止。
小原 そんなにまでしてなりたいもんか、って思いますけど。
三浦 でも女性になるっていうのは、そういうことですよ。性別変更っていうのはそんな生易しいもんじゃありません。だから女性免許をずっと更新し続けられるように、定期的にホルモン検査を受ける。ちょっとSFみたいな世界ではあるけれども、それは一つの手だと思うんですね。そうすると性別変更なんかしたがる人はあまりいなくなる。面倒だしね。定期的な届出が必要であると。それほどまでして、あなたは女性になりたいの、やっぱり法的男性でいいでしょ、ってなると思うんだよね。
小原 グリーンカードみたいなもんですかね。生来のものじゃないんだから、しょうがない。
三浦 ただ、じゃあ、ホルモンが下がってるからいいかっていうと、やはりその人は男性器があるわけですね。そうすると、私は免許を持った法的女性ですと言って、普通の男性が女湯に入るってことがあり得るわけですよ。だって見分けつかないから。いつも免許を持ってるわけじゃないだろうからね。そういうものをやっぱり排除したい場合は、やはりまあ男性器があったら女性っていうのは、まずいです。
小原 まあ、あの、その上からというか、今の三浦さんみたいに法が、あるいは国がどうすべきかっていう視点だと、そういうふうに実情に合わせて調整していくってことになるんだと思いますけど。女性の立場からすると、襲うこともできないなら、ペニスがついてようと何だろうと、自由に女湯に入ってきたら、と思いますね。それが嫌な女性は、温泉や公衆浴場を捨てたらいい。もう文化が変わったんです。それを楽しむ女性もいるでしょ。まあ、わたしは行かない。他の楽しみを見つけますよ。
三浦 そういうのは、まあ無理だと思いますよ。温泉とか観光地とか、それで生計が立ってる人も多いし。
小原 だから、それは温泉で生計を立てている経営者、まあ、だいたい男ですよね、男が気をつければいいんでは? わたしたち女性としては、余暇や余剰資金を温泉に費やさない自由ぐらいあるし。それで売上が下がった事業者が国に抗議したらいい。そもそも女性が権利を訴えるよりも、事業者の訴えの方が響くでしょうよ。自民党政権には、さ。
三浦 ただ、そう言ってらんないのは、民間のお風呂だけじゃないんですよ。例えば女子大の合宿であるとか、皆で共有しなきゃいけない部屋とかもあるし。
小原 そうですよね。女子校・女子大っていうのは、どういうふうに考えたらいいのか。
三浦 仮にね、特例法の四号・五号だけが削除されて性別変更が容易になって、そういう最悪のシナリオを考えた場合、性同一性障害特例法ではなくなる。「性別不合特例法」になるはずなのよ。これはもう精神疾患ではないということになっているので、治療の必要ないですよ。診断書も出ないんですよ。最高裁判所が目指せと言っている世界、といっても世界の10%に満たないわけだけど、そのレベルではその性別不合になってるんですね。そうすると誰でも変われる。そういう非常にゆるい基準になったとき、女子大は今、トランジェンダーの男子を入れてるけれども、このときにどうするのか。もう容易に変われるんだから、法的に女性になっている人に限定するとするのか、それとも今みたいに法的には男性であっても性自認が女性ならいいですよとするのか、ちょっとこれ興味がありますね。
小原 いずれにしても、そもそも女子大・女子校の存在意義っていうのは、どうなっていくんでしょうね。
三浦 まあ女子大は、そういう社会になった場合には当然、身体でね、生殖的身体によって不利な状態になってるわけだから。だから、何かことがあれば妊娠したりするという、男性に比べれば自由度が低い、不利な存在を保護するというか。
小原 うーん。でも、わたしは中高女子校でしたけど、女子校の理念としては身体的に不自由な、身体障害者を集めました、ってつもりはないですよ。
三浦 いや、それは言わないかもしれないけれども。
小原 女子校っていうのは、女子にふさわしい女子教育というのがあるという理念のもとにやってるのであって、身体が不自由な子たちを集めて、障害者学級の一種であるって思っている女子大や女子高はないですよ。
三浦 建学のときはそうだったかもしれない。それはいわゆる家父長制的な古い道徳に基づいた女子大の理念であって、今の女子大っていうのは就職とか社会的な活躍を男性並みにできるようなところに引き上げようっていうのが理念であってね。いわゆる女性らしい良妻賢母教育っていうのは、むしろそれは例外です。
小原 大きな誤解があると思うんですけど、身体的な障害者としての女子教育も、それを男並みに引き上げようとする女子教育も、もちろん良妻賢母教育も、わたしは見たことないです。この世に存在しないと思います。
三浦 だから障害者だっていうことは言わないけれども、「女子にふさわしい」っていうのは、そういう意味です。男子にはないハンディを克服できるようにって、そういう意味ですから。
小原 違う。違います。ハンディを克服するための女子教育ではないです。理念としての「女子にふさわしい教育」というのは、もちろん、社会的にもあらゆる面で活躍できるような女子にぴったりの教育があるはずってことなんですが、「女で身体が不自由なのに」とか、「男並みに」といった補完的・相対的な概念は、そもそも理念とは言わないですから。
三浦 じゃあ、その「女子にふさわしい」っていうのは、どういう意味ですか?
小原 具体的に言えば、わたしの母校は桜蔭学園です。水道橋の宝生さんの坂の上の、桜の蔭って書くとこ。今はバカみたいに偏差値が高くなって、おたくの大学の、特に医学部にたくさんお世話になっているようです。だからもちろん、東大に大量に生息するアスペの一角を占めていると思いますよ。その意味ではたしかに障害者集団なんですけども、あの学校は生徒たちを「女という不自由な身体を持つ障害者」として入学させてはいないです。桜蔭にかぎらず、「女子校は男がいることで萎縮する部分をなくすためにある」って、校長先生が言ってました。
三浦 だからなぜ萎縮するんですか?それはやはり肉体的なハンディでしょ。
小原 桜蔭の子たちは、男の子が自分たちより身体的に有利だなんて思ってもいません。だって小学校以来、男を知らないんだから。女子校の中では、あくまで自分たちの身体がデフォルトなんです。目に入らない男の子に対して萎縮したりしませんって。彼女たちは学力がすべてで、塾でも電車の中でも怖いもの知らずですが、もし萎縮させる可能性があるとしたら、身体ではなくてジェンダーです。社会的になんとなく押し付けられるジェンダーでもって萎縮させられる可能性がある。
三浦 だから、そのジェンダーの源っていうのはセックスなんですよ。それ以外ないじゃないですか。セックスの基盤があるから、万国共通のそのような格差ができる。だからあくまで肉体的な格差なんですよ。それ以外ないんです。それを認めないっていうのが、今の流れなんだから、表立っては言わないよ。妊娠出産のハンデによるなんて言わないけれども、それはやはり身体への配慮でしかないですよ。
小原 話の審級が違うと思います。社会における性差の源は何か、という原理的な構造は、おっしゃる通りです。このトークの第一回から一貫して「ジェンダーは幻で、身体的な差しか実在しない」と、まったくその通りです。だけどその幻は、まだまだ社会の中に存在している。だからこそ、それをなくそうと運動されているんですよね。
原理論から離れて、十三歳から十八歳までの未熟な女の子たちの内面を考えると、その幻に萎縮する可能性が十分にある。東大に入って三浦先生の講義を聞く前に、それが単なる身体の差から派生した幻に過ぎないと知る前に、その幻に潰されてしまう可能性があるんです。
だからとりあえず多感な六年間、男の子たちの強い肉体からではなく、社会におけるジェンダーの幻から、彼女たちを避難させるんです。「それは幻に過ぎないのだから気にしなくていい」なんて原理を言って聞かせたってダメです。物理的に引き離すことで、はじめて一定の成果があるんです。
その成果として、彼女たちは自分が女の身体を持っているなんて、言われるまで忘れてますよ。もちろん学力はあるので、「あなたの性別は」と聞かれたら、間違いなく「女」と答えられます。「子供を産めるのはどっち」という問いにも正解できる。
ただ学園祭一つとったって、共学の子たちは気の利く女を演じようとしているのか、自ら補完的な役割に自分を押し込めたりするけど、女子校の子たちは空気なんか読みません。そんな気質だと、社会に出てからかえって生きづらくなるかもしれないけど、無為に可能性を狭めることはなくなります。その気になれば、自分たちだけで世界は完結する、という手ごたえを持っている。男なんて、いたっていなくったって、どっちでもいいんです。
実際、わたしが大学に入った年に、男の先輩から言われた言葉です。「あなたは男がいてもいなくても、どっちでもいいんだね」って。そりゃそうだろう、目の前の他人の、それもその性別のことなんか、どっちだっていいに決まってるじゃないですか。「桜蔭の子は皆そうだね」とも言われましたけど。
いや、わたしは今の今まで、桜蔭という学校があまり好きではなかったんですけどね。自分の性別については迷いもコンプレックスもないし、フェミニズムも不要だと思うのは、母校のおかげかもしれない。女子教育の理念に「男に伍して」、とか「男より体力が」とかいう視点はないはずです。世界の中心は自分なんですから。そういう困った女の子たちを量産するのが女子教育の目的ですよ(笑)。
三浦 でもさ、小原さんが言ったようなことであるならばトランスジェンダー入学肯定になりますよ。つまり男性の中にいると萎縮してしまう人が男性の中にもいる。そういう人は女子大に入れましょうってことになる。
小原 あはは、いる。いる。そうそう。それは困るね(笑)
三浦 んで、もうやっぱり身体で分けなきゃダメよ。身体こそがハンディの源になっているわけだから。理想的なジェンダーフリー社会においては、女子大というものが身体で分けられて残る。身体の不利っていうのは消せないので。身体で宿命的にも女性が男性よりも不利、それを男女格差の源泉と認めることには特にフェミニストは抵抗を示すけど、ジェンダーにいくら責任転嫁してもセックスの差を無いことには出来ないね。
小原 うーん。それ自体に異論はないけど、教育って一人ずつの成長過程でのフォローだから、理想の社会でどうあるべきか、って原理論とはやっぱり相容れない。だって理想の社会では女子校、女子大ってほぼ必要ないでしょ。
三浦 まあ、永久に男女格差がなくならないと思い込んで、つまりそういう自然主義の誤謬に陥っているのが一部のラディカルフェミニストなわけです。リベラルフェミストは逆に、身体の差というのを否定して平等幻想をでっちあげる。ただそこは身体の差のみだっていうふうに、やはりきっぱり割り切らないと、差別は解消できないと思いますね。
小原 そこまでたどり着く過程で、どんなに生まれつき優秀でも、未熟な人たちは守らないといけないフェーズがある。必要悪なんですよ、女子校とか女子大って。もしトランスジェンダーがいることで、ジェンダリズムが幻想であることがより見えやすくなるなら、女の子たちの教育のためにも入れてあげたらいい。どうせなくなるんですから。女子大も女子校も、いずれ。あ、ということはお茶大、正しいわ(笑)。
三浦 おそらく古い考えは、男女っていうのは身体の差に伴って知的能力も差があるという、そういう神話があった。そうじゃないんですよね。IQなんかの測定だと平均値は同じなんですね。それで男女の、例えば知的能力は同じであるけれども、生理とか肉体的ハンディの差によって例えば集中力が続かなかったりっていう期間が長かったりしてさ、例えば何かの試験をするとか、何か試合をするとかいうときには、筋力が関係しない部門であっても、身体の差によってどうしても集中的なトレーニングができなくなるとか。すべて身体に付随してるんだっていう意識を持つことで改善されるっていうのが、おそらく女子教育の肝だと思いますね。
小原 実感として、女子教育の現場では、その女子同士の間で熾烈な競争が行われている。全員、身体的には同等なんですよね。そこであそこまで優劣がつく。優秀な方はごくフツーに東大や医学部、慶応法学部、上智の外国語学部とかにごそっと入るとなると、劣っている方が身体で言い訳できなくなる。男の子同士だって体格がいい子が万事に優秀かというと、そんなことはないでしょう。
で、優秀な女の子はどんな子かというと、ジェンダーの幻想にやられてない子、つまり男女の差は身体に過ぎないとわかっている子ですね、たしかに。さらにその身体的な差について、いっさい言い訳しない。たいした差ではないと思っている。男の子を視野に入れてない、というのはそういうことで、学力の差は結局、その覚悟のあるなしだと思う。
かつてオリンピックでは共産圏の選手が強かったけど、彼らは追い詰められ方が違っていた。身体に関係のない活動一般でも、統計的に女の子の成果が男の子に劣っているのは、ようは社会的に追い詰められてない、そこまでの覚悟を固める必要性が低いからでしょう。
ただ「知性は究極的には性格だ」とも言います。自分に言い訳を許さないような、潔い性格は遺伝するので、身体的なものとも言えますが。
それで、脳もやっぱり身体の一部だから適性っていうのがあって、理系の中でも工学系っていうのは男の子の方が得意で、一方で同じ理系でも医学部とかだと女の子の方が圧倒的に成績がいいし、学生時代だけじゃなくて、女医さんが主治医の方が、男が主治医であるよりも平均余命が長くなるっていうデータがあります。
三浦 そう。これはもうね、はっきりしていて。いわゆる能力の遺伝子は父親と母親から受け継ぐので、数値で測れるようなものは違いがないんだけれど、その現れ方ですよね。興味の向き方、その動機付けですよ。女性の場合っていうのは、やっぱり長い期間赤ちゃんを身体の中で育てるライフスタイルに合った趣味嗜好を持った方が有利なんですよね。そういった有利な遺伝子カップリングで女性っていうのは進化してきたので、そうすると自然に人間を相手にする職業にたくさんつくようになるんですよね。男の場合には、そういったことは女に任せて、もっとマイペースでできるような数学であるとか、コンピュータサイエンスであるとか、あるいは孤独な長距離トラックの運転であるとか。身体によって規定される、人生の有利な営み方ってのがやっぱりあって、そっちに自然に向くんですよ、興味関心っていうのは。
小原 そうでしょうね。
三浦 文化で発生したんじゃなくて、身体で発生してるんですね。趣味・適性の男女差っていうのは。
小原 あのね、ここだけの話(笑)。女の子は身体の違いなんか無視して鍛えるべきだと思うけど、男の子はずーっと、女性をそれこそ身体障害者並みに労わる子に育ってほしい。女の子たちのためじゃなくて、男子教育として、さ。だから三浦さんが女子校を障害者学級の一種だと思っていることは、いいことなのよ。イデオロギーでなくて美意識として、男の子は強くて優しくないと、また少子化が進むし。
えーと、正気に返ると、まあ構造主義哲学から、意外と社会構造って世界で共通しているし、ジェンダー的な社会構造がどこの国でも一致する、社会構造として相似形を示すっていうのは、それも身体から生まれてるんでしょうかね。
三浦 似たような社会構造になるのは当たり前で、家族という単位があって、家族の中での分業がこうなって、とかね。社会構造も全世界的に、基本のプロトタイプは同じですからね。今、逆にセックスが社会的構成物だって言ってる。そんな逆張り的思考がいつまでも通用するはずはないんですが。
そしてジェンダーレスとジェンダーフリーは違うので。ジェンダーフリーはもう本当にフリー、ボトムアップに発生するジェンダーは放置するんですよ。依然としてたぶん数学科は男性ばっかりだろうし、でもそれはいいんですよ。個人の自由だから。でも制服を決めるとかね、そんなものはもうやめようと。
小原 まあ、数学なんかもやっぱ徐々に女の人は増えている。わたしも最初の学士はいわゆる数学ですが、身体レベルで向いているとは思わなかった。ただ学んでおいてよかったと思っています。選択の理由は自由であっていいですね。
三浦 子供はもう小さい頃から遊びの選択とか自由に任せたら男の子と女の子で偏りが当然出てくるわけで、そんなことまで規制したら、まずい。ただ、今はトップダウンの男女の区分けに不必要なものが多すぎるので、だからこそ性別変更の動機付けになっちゃってるわけですね。やっぱりジェンダーフリー社会を進めていくと、もう馬鹿馬鹿しくて性別変更する人はいなくなります。
小原 女性たちから見て、男の人って無駄に争うっていうか、そのストレスが一部の男の人たちの社会の中での生きにくさになっていると思いますけど、それも結局テストステロンが多すぎるという身体的なところからきてるんですかね。
三浦 そりゃそうですよ。だって争う衝動が強ければ強いほど有利だったわけだから、進化論的に、多くのメスをものにできるわけですね。
小原 男の医者の方が誤診が多いっていうのは、やっぱり医者という職業には、あんまりテストステロン高くない方がいいんでしょうね。男の人って、自分が得意じゃないことをさせられようとすると、これは必要じゃないんだって思い込んだり、患者さんの状態を自分のエゴで歪めたり、つまり思い上がらずに対象をフォローしていくことができない瞬間がありますね。
三浦 そうそう。だから本当に面と向かって話す、面談が必要な職業って、男はあまり向いてないんですよ。だって表情を読む能力は、明らかに女性より劣ってるというデータが出てますからね。逆に外科医とかは男性の方がいいんですよ。サイコパスが向いてる。心臓外科とかパイロットとか、ちょっと失敗すると大変なことになる。こういうのはね、感情に動かされない人がいい。
小原 手先が勢いないと困りますもんね。まず外科医はね。身内の手術はやっちゃいけないっていうぐらいだから、淡々とやる方が向いてるわけでしょ。
三浦 そうそう。共感しちゃダメなんですね。
小原 ただ共感力が低すぎて、男はやっぱり自分の体をベースに考えるから、女性の身体に過剰に力をかけるとボキッと折れちゃうけど、そのへんの力加減がわからないので、男性の医者だと女性の死亡率がすごく高くなるっていうのがあるんですよね。いやほんと、こればっかりは罵りたくなる。テストステロン出して集中して学べ、バカどもが。
三浦 あと、痛みに対する共感力も女性の方があるみたいなんで。
小原 痛みに弱いのは男だ、とも言いますけどね。どうなんでしょう。まあ女医さんも、頼りない人は本当に頼りないけど、優秀な女医さんはすごくいいですもんね。
三浦 部門によって違うと思うんだよね。内科とかね、皮膚科とか形成外科とか、そういったところに女性は多くなるけれど、外科は男性が多いんだよ。そういうばらつきは生ずるかもしれないけど、そんなのはどうでもいいんで。社会制度的に決められた男女の区分は、これはもう本当に禁止してほしいよね。身体に基づかない差というのは、意味がない。
小原 そりゃそうですよね。
三浦 さっき話に出た制服もね。男性のスーツを女性が着てもいいようにして、需要を男女平等にしちゃったら、経済的にはあんまり良くないのかな。
小原 ファッションは、時代の雰囲気を汲みとれる優れたデザイナーが、男も女も着たいと思うデザインを具体的に出してくると、感性そのものがぐっと進むだろうから、頭でこうあるべきっていうのとは違うかもしれないですね。自然発生的なアレンジも、ようするにお洒落だと思わせる説得力があれば、ぱっと広がる。
三浦 ジェンダーフリー社会にするためにはさ、デパートの服の売り場なんかでも、男性服とか女性服とかって表示すら禁止するくらいがいいと思うんだけど。体格の統計的な差ははっきりしてるから、経済的にはちょっと効率悪くなるかな。
小原 まあ、でもユニクロっぽい潮流ではあるでしょうね。洋服の原価なんてたかが知れているので、流行るかどうかですよ。インなデザインが生まれてきてはじめて動くと思います。何をお洒落と感じるか、その美意識が時代をリードしていく。これはいけない、とかっていうのでは動かないでしょう。強制されたら、その逆を行くのがファッションですから。
三浦 徐々に変わっていけばいいんで、男性服・女性服っていう表示さえやめればね。
小原 それがダサくなれば、なくなりますよ。
三浦 まあ、今回の最高裁判断が特例法改正を余儀なくさせたことで、女性専用の各スペースがどう影響を受けるかということについてですが、なかなか難しいってことですよ。一番穏健な団体は、なんとか女性スペースだけを守ろうとする。ところが、それに対して風当たりが強いんですね。もう特例法廃止という声を上げなきゃダメでしょうという人たちもいて。現実路線を取る人はその中間あたりで、もう期待値計算なんですよ。効用が一番大きいのは、やっぱり特例法廃止なんです。
実現可能性を考えた場合には、女性スペースだけをなんとか死守しようというアドホックな方策を付け加えるっていうのは容易なんですよね。この簡単だけども、あまり効用の高くないやり方を目指すのか、ハイリスクハイリターンというか、確率は低いかもしれないけれども原理主義的な立場を取るか。期待値計算をしたときに、どれが一番いいかっていう話なんですね。
私の考えは圧倒的に特例法廃止で、その理由もはっきりしていて、効用計算の中には女性の安全の他に、トランス当事者の利益も入れる必要があるんです。性別変更ができるという制度が、果たして性別違和を持った当事者にとって利益かというと、これが疑わしいんですよね。性別変更なんかできないっていう制度になっている方が、性別違和に関しての立ち向かい方が、心理療法なんかの方に行く。性別変更で対処するよりも、おそらく根本的な解決になるわけですね。生物学的本質と法律的な名目と、それから現象的な側面、この三つ全部揃うのは心理療法を受けた後じゃないですか。解決法が性別変更だと、生物の本質的性別と法的性別と外観的な部分が必ずバラバラになるんですね。
小原 はいはい。
三浦 手術を受けないで性別変更した場合には、外観と本質が一致したまま法的性別と食い違うわけだし、手術を受けた場合には法的性別とその外観が一致するけれど、生物学的本質とずれるわけですよね。だからズレが決して解決できないんですね、性別変更っていうのは。ズレを残したまま社会生活を送れっていう方がむしろ過酷であってね。心理療法を受けてすべてを一致させるべきところ、性別変更制度が間違った選択肢におびき寄せてしまうっていう悪しき効果がある。麻薬常用者に対して麻薬を与えるようなもんですからね。だからそういった間違った選択肢を当事者の目の前にぶら下げているのが特例法。そうすると、これは圧倒的に、やはり特例法廃止という選択肢の一択ですよ。心理療法に向かう当事者が増えて、当事者の利益になり、女性の利益にもなる。
小原 個別の事実、出来事によって、遅れ遅れでそれが証明されていくんでしょうね。非常に重大な事件も起きるかもしれないけれども。
三浦 個別に見たらもちろん、性別変更した方がいい人っているかもしれないけれど。そんなこと言ったら覚醒剤だってさ、使わせた方が豊かな人生を送れる人もいるわけじゃない。深夜トラックの運転手とかね。実際、覚醒剤うまく使って人生をコントロールできている人っていうのは実在するわけですよ。
小原 そうなんですかね。
三浦 他のドラッグまで広げれば、そのおかげで人生うまくいってる人なんていっぱいいるわけじゃないですか。だけど、そういうのは一律にやっぱり禁止するんですよ。
小原 そうなんだ。
三浦 そうしないと法律っていうのは働かないわけであってね。だから性別変更なんていう本来人間の福祉に反する選択肢はもう与えない。ローカルなルールとして性別変更する分にはいいけれども、国のレベルあるいは国際的なレベルで性別変更を認めるなんていうのは、まあ、これそろそろ目を覚ましてさ。この機会にもう最高裁がお墨付きをくれたわけだしね、違憲だと。そしたら特例法まるごともう違憲として。最高裁があんな判断出したこと自体がもう、テロなんだからさ。
小原 そうですね。今後が見ものですね。
三浦 もう一つ言っておきたいのが、性別変更した当事者の美山みどりさんが記者会見で言ってることなんだけど、性別変更した人は手術要件があることによって社会の信頼を得てきた。女性の中に入っても手術してあるから危険ではないという保証があるわけですよね。だから法的女性というのは人に迷惑かけないという信頼を得ていたんですよ。これからはその信頼がなくなる。男性器がついた人が混ざってくるわけだから、そうすると手術済みの法的女性の信頼性も落ちてしまうと。今まで平穏に女性の中に混ざっていられた法的女性がこれからは警戒の目で見られることになってしまって。
小原 そうなりますよね。
三浦 だから特例法の手術要件がなくなることによって、女性スペースを守る法律というものを付け加えたとしても、そもそも法的女性というカテゴリー全体の社会的信頼が失われるんですね。だとするならば、もうすでに性別変更した人は性別変更した人として、これからはもう男性器を持った女性が登場するようなことがないように、性別変更そのものを不可能にする選択肢しかないと思いますね。そうじゃないと、生物的男性である法的女性たちの福祉に反しますからね。
小原 次は、一ヶ月後には何が起きているんでしょうね。
三浦 まあ、それこそ見ものですよ。
注1
#アベプラ【平日よる9時~生放送】 | 企画 “性別変更に手術要件”違憲?最高裁が判断へ…術後の副作用&苦悩とは?
(第07回)
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*『トーク@セクシュアリティ』は毎月09日にアップされます。
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