鶴山裕司 美術展時評 『ロベール・クートラス展「火と水」』(No.132)をアップしましたぁ。金魚屋から詩集『おこりんぼうの王様』『聖遠耳』、評論集『正岡子規論―日本文学の原像』を刊行しておられる鶴山さんの美術展時評です。展覧会初日に見に行ったのをその日のうちに書いていただきました。
SNSがあるので現代では情報伝達が昔に比べて恐ろしく早いです。ただこれは石川の印象ですが、Xなどに溢れている文化情報はWikiなどで調べてわかったようなことを書いているものが多い。短い文章だからそれができる。アラも見えにくい。しかし原稿用紙9枚、3000字を超える文章を書くと作家の力量が試される。ネット上の情報をかき集めて3000字書けばすぐバレてしまいますしね。
鶴山さんはクートラスの聖母子像について『聖母子像だからと言ってクートラスが敬虔なキリスト者だったと思ってはいけない。僕らが仏像や浮世絵などに飽き飽きしているのと同様に、クートラスはキリスト教のイコンや貴族らの肖像画をうんざりするほど見ていた。彼はそういったありふれて見慣れた記憶の中からイマージュを呼び出してくる。写すのではなくほとんど無意識層まで下って原初的イマージュをつかみ出す。クートラスの聖母子像は新しくて古い。古いイマージュだが新しいのである』と書いておられます。正確な批評だと思います。
昔から〝文は人なり〟と言います。SNS時代になり誰でも簡単に自己発信できるようになり世の中に文字が溢れているわけですが、単なる情報ではなく見も知らぬ読者が〝人間性〟にまで興味を持つ発信者はほんの一握りです。情報の大津波の時代ですが、だからこそプロの物書きさんにはより〝文は人なり〟の魅力が求められていると思います。
■鶴山裕司 美術展時評 『ロベール・クートラス展「火と水」』(No.132)■
■ 鶴山裕司さんの本 ■
■ 金魚屋の評論集 ■
■ ロベール・クートラスの本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■