『ロベール・クートラス展「火と水」』(No.132)
於・Gallery SU
会期=2023/09/16~10/01
13:00~18:00PM
休廊日:9/19(火)、26(火)
〒106-0041東京都港区麻布台3-3-23和朗フラット4号館6号室
Tel:03-6277-6714
Gallery SU制作『ロベール・クートラス展「火と水」』展覧会案内ハガキ
今日(九月十六日)から十月一日まで東京麻布台の Gallery SU さんで『ロベール・クートラス展「火と水」』が開催されている。前回 Gallery SU でクートラス展が開かれたのは二〇一九年十月だから、約四年ぶりの展覧会である。この時は展覧会に合わせて『ロベール・クートラスの屋根裏展覧会』(エクリ)が刊行されたが今回は図録ナシ。さっそく見に行ったが質のいいカルトとグアッシュ四点(確か四点だと思います)、それに聖母子の版画が展示されていた。
クートラスについてはもう何回も書いたのであまり付け加えることがないのだが、とにかくこの作家の作品が好きなのである。まあ絵と音楽は人間の感性に強く訴えかける表現だから、ピンと来ない方にはピンと来ないだろう。僕はクートラスに魅了された一人だ。〝買ってもいい〟ではなく〝どうしても欲しい〟と思った作品はクートラスが初めてである。
話はちょっと飛躍するが夕方のバラエティ的ニュース番組で時々ゴミ屋敷が取り上げられることがある。ゴミ屋敷は当然はた迷惑で社会問題になったりするのだが、わたくし、なんとなくゴミ屋敷が好きなのです(自宅がゴミ屋敷になっているわけではないですよ)。放送されるとじーっとテレビの画面を見つめてしまう。当人は心地いいんだろうなぁと思ってしまうのである。
クートラスの作品を初めて見たのは二〇一五年に東京渋谷の松濤美術館で開かれた没後三十年記念の展覧会だった。あまり行かない美術館なのでどの展覧会でもそうしているのかもしれないが、この時のクートラス展は照明が抑えられていた記憶がある。薄明かりの中に作品が浮かび出ていたような。油絵やグアッシュの代表作だけでなくクートラスが手がけた細々としたデッサンやメモ書きのようなものまであった。作家の全貌を知ることができる良い展覧会であり、彼のアトリエの中がなんとなく想像できた。
ゴミ屋敷と言うと怒られそうだが、クートラスのアトリエは雑多というか大混乱していたはずだ。しかしそこには秩序がある。秩序といってもモダニズム的な幾何学的秩序ではない。有機的秩序である。画家だから板や紙に油彩やグアッシュで絵を描くわけだが、カルトが代表作になっているように絵の大きさにはこだわらない。画題も自在だが一貫している。クートラス作品の包括受遺者である岸真理子・モリアさんの著書『クートラスの思い出』に掲載されていた写真で知ったのだが、アトリエの引き出しには暖炉で焼いた細々としたテラコッタが詰まっていた。仕事机の上には拾ってきたブリキ缶で作ったオブジェが乗っかっている。この空間は絶対心地いい。
そりゃぁ作品を一つ一つバラバラにして鑑賞すれば、いい出来の作品とまあまあの作品がある。ただほんの小品が大きな有機的樹木のような世界に連なっている。大げさにいえばすべての作品がクートラスが作り出した宇宙の一部である。ほんの小品からクートラスの作品全体を感受できる。彼のアトリエはいわば胎内のような小宇宙だ。
岸さんの本(クートラス伝でもある)を読むと彼は相当な変人で、絵を売らなければならないプロ画家としてどういったタイプの作品を自信作と考えていたのかいまひとつ判然としない。ただタロットカードくらいの大きさのカルトだろうと手の平に乗るほどのテラコッタだろうと、出来がよければそれが代表作だと思っていたのではなかろうか。
またちょっと話が飛ぶが、二〇二一年に神奈川近代美術館と松濤美術館でフランシス・ベーコン展が開かれた(僕は神奈川近美で見た)。ベーコン、不気味な絵を描く画家である。そして美術館に収蔵されている作品は大作が多い。ということは生前から美術館か大金持ちのコレクターしか買えない値段の売れっ子画家だったということだ。ベーコン自身もエスタブリッシュされた画家として画廊などと付き合っていたはずである。
ところが二〇二一年の展覧会は、ベーコンがアトリエに溜め込んでいたメモ的習作や小品の展覧会だった。ベーコンの友人だったバリー・ジュールさんが晩年に譲り受けた作品群である。新聞のニュースでベーコンの死後、アトリエの荷物が全部美術館に運ばれて整理されているというニュースを読んだことがある。真偽定かではないがそうとうゴミ屋敷っぽいアトリエだという記事も読んだような。どーも大画家ベーコンのイメージにはそぐわない。それがバリー・ジュール・コレクションを見て〝ああそうだったのか〟と分かったのだった。
クートラスと同様にベーコンも細々とした作品を作り続けていた。雑誌の写真を切り抜いて色を塗り、コラージュにして線や色を加えていた。それらの作品の質は高い。小品でもいわば大文字の〝作品〟として世に出しても構わないレベルだ。が、ベーコンは生きている間はバリッとした大作以外は世に送り出さなかった。しかしクートラスとベーコンにそれほど違いはない。
クートラスは生きている間、地中深く根を張ったような有機的コスモス世界からほんの少しだけ作品を世に送り出した。ベーコンは堂々とした大作を美術館やコレクターに売りながらアトリエで細々とした作品を作り続けていた。僕は彼らのような〝徹底した手の画家〟が好きだ。
ベーコンはドゥルーズがベーコン論を書いたので小難しい画家と思われがちだ。が、哲学者としてはともかく、芸術オンチのドゥルーズのベーコン論をありがたがる必要はありませんな。ミック・ジャガー好きのホモセクシュアル画家の肉体的欲望からベーコンを論じた方がいいんじゃなかろか。わたくしはやりませんけどね。
【参考図版】ロベール・クートラス『影絵』
縦三一・五×横三七・五センチ 紙、墨、鉛筆 一九六一年制作
『Robert Coutelas 1930-1985』(レゾネ)より
今回は図録ナシの展覧会で、美術コンテンツとしてはヴィジュアル的にちょっとさみしいので好きな作品を紹介しておきます。どういう意図で作られたのかわからないが紙に墨と鉛筆で描いたクートラスの影絵作品である。うーんなんて魅力的なウサギさんなんだろう。このウサギが欲しいと思ってしまう。こういった作品は参考作となっているようで画廊で展示販売されているのを見たことがない。
【参考図版】『ブリキの缶で作ったオブジェ』
『ロベール・クートラスの屋根裏展覧会』(エクリ刊)
二〇一九年の Gallery SU 展覧会でも展示されていた、拾ってきたブリキ缶をハサミで切って作ったオブジェが今回も展示されていた。特に右端のフクロウのような鳥のオブジェが魅力的なんだな。欲しいなぁと思うのだが非売品でした。
ゴミを美術品に変えてしまう画家というとすぐにパウル・クレーが思い浮かぶ。もちろんクートラスも魔法使いである。手に触れた物を美術品に変えてしまう。画家として自分が描く色と線に絶対的自信がなければこういったオモチャは魅力を放たない。
【参考図版】ロベール・クートラス『聖母子像』
右 縦二五・七×横二〇センチ 紙、木版、クルミ汁 一九六〇年代後半制作
左 縦三〇×横二〇センチ 紙、木版、クルミ汁 一九六〇年代後半制作
『Robert Coutelas 1930-1985』(レゾネ)より
今回展示されていたカルトとグアッシュがクートラス画集に掲載されているかどうか定かでないが、版画の聖母子像はレゾネですぐ見つかった。版画だから何枚か刷ったようで Gallery SU で今まで三枚この版画を見た。クートラスのことだから一枚一枚微妙に違う。刷り方が違うだけでなく上から彩色したりしている。
ただ聖母子像だからと言ってクートラスが敬虔なキリスト者だったと思ってはいけない。僕らが仏像や浮世絵などに飽き飽きしているのと同様に、クートラスはキリスト教のイコンや貴族らの肖像画をうんざりするほど見ていた。彼はそういったありふれて見慣れた記憶の中からイマージュを呼び出してくる。写すのではなくほとんど無意識層まで下って原初的イマージュをつかみ出す。クートラスの聖母子像は新しくて古い。古いイマージュだが新しいのである。
【参考図版】ロベール・クートラス『無題』
紙にグアッシュ 制作年代不詳
そうそう、僕が詩集『聖遠耳』で表紙に使わせていただいた古文書を真似たミミズ文字作品も二点展示されていた。クートラスならではの作品である。文字のようなものが描かれている(書かれている)が読めない。要はコンセプチュアルアートではないということである。文字のような形をした絵画言語だ。文字に取り憑かれながら文字が大嫌いで、いつも文字以上の表現を求めている物書きさんならこういった作品が大好きなのではなかろうか。
ギャラリーでの展覧会なので作品は販売されている。まあストレートに言えばファインアートはそんなに安いものではない。ただまだクートラスは無理をすれば買える値段だ。これは素晴らしいことである。ギャラリーには開館時間前に行ったがあっという間に展示作品の半分くらいが売れていた。
じゃあクートラスがもし今も生きていて、自分の作品が人気だと知ったら喜ぶだろうか。岸さんの本を読むとどーもそうなりそうにない。〝俺の作品がこんなに人気なのは解せない、なんか間違ったんじゃなかろうか〟とか言い出しそうだ。
でもそれでいいのである。自分の作品に光が当たりチヤホヤされるのを嫌う作家はいる。評価されて嬉しくないはずはないのだがそれが創作の質を下げてしまうのではないかと恐れるのである。自分の弱さを恐れている。俗人でありながら結局は貧乏聖人画家で押し通したところも含めてクートラスは魅力的である。
鶴山裕司
(2023 / 09 /16 9枚)
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