寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第20回)をアップしましたぁ。コケモモの役割がハッキリしましたね。小説の冒頭から人を殺すことは罪なのか、あるいは子どもを堕胎させることは罪なのかという問いが発せられていましたが、思わぬ形で主人公に我が子の死が訪れたことになりました。
小説にとっての一番の贅沢は人の死です。当たり前ですが殺してしまうともうその駒(登場人物)は使えなくなるからです。ですから古井由吉さんは「小説は死にそうで死なない人間を描くものだ」という意味のことを言っています。ただ死なせてしまってから活きる登場人物もいます。人間心理は複雑で、生きていた時より死んでしまった時の方が恐いということがあるんですね。
もち幽霊とかを怖がっているわけではありません。生きていれば、たとえ自分に悩みや苦しみを与える存在であっても話はできる。屈服したり反発することもできる。しかし死んでしまうとそれができない。もうどうしようもなく取り返しがつかないわけで、その空虚の方が恐ろしいということです。強い愛憎で結ばれた家族関係でありがちです。さて、『オトコは遅々として』の子どもの死はどんなふうに小説に深みを与えてくれるのでしょうか。楽しみです。
■寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第20回)【V】縦書版■
■寅間心閑 連載小説『オトコは遅々として』(第20回)【H】横書版■
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