鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『目出鯛―江戸ガラスの鯛之福玉など』(第63回)をアップしましたぁ。金魚屋から『夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の鶴山さんの骨董エッセイです。今回は鶴山さんの机の上に乗っている骨董です。筆立てなどの文房具が多いですね。
鶴山さんは『僕は二〇世紀半ば過ぎの生まれだから、学生時代にはパソコンはもちろんワープロもなかった。手で書くのでそれなりに文房具に凝った。いい万年筆や原稿用紙を使えば素晴らしい作品が書けるのではないかと思って分不相応なペンを買ったこともある。しかし今はパソコンでほぼすべての原稿を書く時代である。文房具に凝るのは骨董と同じような趣味の時代になりましたな』と書いておられます。
鶴山さんは今子規論を仕上げておられますが、子規はほぼすべての原稿を墨と筆で書き、大正時代頃から万年筆が普及し始めました。万年筆、鉛筆の時代が半世紀以上続いたわけですが、今はパソコン(ワープロ)の時代です。そのうち口述筆記アプリが主流になるかもしれません。もち高いペンと原稿用紙を使えばいい作品が書けるわけではないのと同様に、高いパソコンを使えば傑作が書けるわけではありません(笑)。
手で原稿を書いていた時代は、活字になると作品を客観的に見ることができるという神話(幻想?)がありました。ワープロ時代は最初からいわゆる活字ですが、だからと言って自分の作品を客観化できるわけではありません。つまりパソコン以前の時代の「手書き→活字が作品の客体化を引き起こす」という考えは正確ではなくて、活字にするのはそれなりに大変で雑誌等も少なかったですから、「活字にして社会に発表することである程度の作品の客体化(社会の反応による)が得られた」と言い直した方がいいと思います。
今はSNSなどで簡単に作品を発表できます。ではそれによって「作品の客体化(社会の反応による)が得られ」るのかと言うと、そうは言えません。プラットホームが問題になります。「いいね」し合っていると、恐ろしく批評に弱くなる弊害も出ています。批評を悪意ある罵倒、ディスったと捉えてしまう傾向もある。文学金魚はそういった児戯は相手にしませんが、衆人環視の社会のプラットホームでありたいと思います。まずは掲載する作品の質です。そのクオリファイができないプラットホームは仲良しが肩寄せ合うぬるい集団になりがちです。
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『目出鯛―江戸ガラスの鯛之福玉など』(第63回) ■
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