小原眞紀子さんの連載エセー『詩人のための投資術』『第二十六回 オンラインカジノII――カフカの鳥居』をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの経済エッセイです。小原さんは投資業界の名士の方たちと、広島の宮島に出かけられたようですね。
文学者はお金に悩まされることが多いと思います。お金のために文学をやっているわけではない、お金が欲しいなら他のことをやった方がいい、でも文学活動を続けるためにはお金が必要、ということになりますね。多くは望まないけど、文学活動に必要なお金は文学で稼ぎたいというのが最低限の文学者の希望だと思います。ところがそれがどんどん難しくなっています。
文学はハッキリ斜陽産業です。作家については何度も書きましたが、1990年代くらいから、文学批評でデビューした批評家が、どんどん社会批評家に変わっていきましたね。批評家は機を見るに敏という意味も含めて頭がキレますから、文学批評でちょいと評価されても「なんだ、この程度か」とさっさと見切ってより広く活躍できる社会批評のシーンに移っていった。で、文学業界にはもちろん今もたくさん批評家がいるわけですが、まーはっきり言ってよくて二流です。文学しか縋るものがないので批評家やってますという感じになっている。他の世界でも十分活躍できるほど優秀なのが批評家というものだったんですけどね。
詩や小説全般に言えることですが、文学業界に優秀な人材が集まらなくなったのは厳然たる事実です。優秀な人材は創作といってもマンガやアニメ、ゲーム業界などに集まるようになっています。サブカルと呼ばれていますが、コンテンツの質でも市場規模でも世界的認知においてもメインカルチャーであるのは誰の目にも明らかです。
もちろん文字を使った文学が人間存在の根底にある知なのは今も変わりません。そこから新たな文化が生まれて来る可能性は当然あります。しかし大きく変わった社会情勢を見れば、もはや作家が文学の世界にだけ知と精神を集中させていればいい時代は終わっています。それはいくら文学者が鈍くても、ホントは気づいていると思います。しかしどうしていいかわからないので、ちょっと評価されたりすると、詩壇や文壇にしがみついて安心感を得ようとする。でもそれでは根本的問題は解決しませんね。
ポンと自分のホームグラウンドの文学ジャンルから出ること。文学は文学として、外の世界に飛び込んでみるのはホームグラウンドの文学に必ず寄与します。小原さんのように、投資の世界の真正面から興味を持つのもその一つです。それは必ず現代世界の理解に繋がります。小原さんが「誰のせいにもしないことで、起きたことのすべてが自分のものになるのである。本当の貪欲さというのは、そういうものではないだろうか」と書いておられるように、貪欲に現代に食らいつくわけです。
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