高嶋秋穂さんの『詩誌時評・歌誌』『角川短歌』の2連投です。『第64回 角川短歌賞発表』と『総力特集 春日井健』を取り上げておられます。情報化時代になってジャンルの垣根が崩れているというよりも、あるジャンルの成果が思わぬところで別ジャンルの成果とリンクしていることが明らかになったりしています。世界は人間が創り出した巨大な認識体系なわけですが、それが底の方で複雑にリンクしていることが明らかになっているわけです。
しっかし文学の世界では各ジャンルが孤立を深めています。小説家と小説家志望の人は小説文芸誌しか読まず、俳句、短歌、自由詩も然りといった状況です。小説を書いているけど俳句、短歌、自由詩も読んでみようかなとは、なかなかならないのですね。理由は簡単で、爲になりそうにないから。読んでも得るものが少なそうだということです。じゃあたとえば小説書きが文芸誌ばかり読んで、視野がそこに釘付けになるのがいいことかと言えば、当然う~んです。
どの文学ジャンルでも、知的刺激になるような斬新な試みが難しくなったのは確かだと思います。20世紀文学は前衛の時代であり、書き方であれ題材であれ、次々に新しい試みを為すことがいわゆる文学的成果でした。しかしまだ試されたことのない未踏の表現が少なくなっています。新しさという面では、ほとんどすべての表現が一通り試されたという閉塞感がある。その閉塞状態から抜け出せないでいるのが現在の文学だと思います。
この閉塞状況をどうやって抜け出すのかは大きな問題です。一つの方法として、もはや未踏の前衛が文学を牽引するわけではないと見切りをつけるやり方があります。前衛には違いないかもしれませんが、各文学ジャンルの原理探求の方にベクトルを変えるわけですね。小説はなぜ滅びて消えてしまわないのか、あるいは短歌俳句はなぜ五七五七七や五七五なのかを解明するとかですね。それはいっけん無駄なようですが、大きな知的刺激になると思います。
で、現在の状況ではなおさらそうなのですが、歌誌はその他の文芸誌と同様、いわゆる業界誌です。でも読んでいて一番面白い。また歌誌で展開されている試みは刺激的です。短歌は日本で一番古い文学ですが、文学低迷期に歌誌だけが元気なのは示唆的かもしれません。原理から、日本文学の一番古い層から、次の時代の新たな文学の方向性が出るかもしれません。
東京の無限の光も照らさないアイスホッケーへの道をえらぶ
体育系に詩歌は無理と揶揄されてジャージで短歌講座に臨む
半歩だけ反応鈍り老いを知る趣味テーピング、二十九歳
常日頃は会話すらないプロたちと阿吽の呼吸でパス回し合う
ドーピングにならぬ眠剤処方する医師だけが知るぼくの不眠を
「このままでは廃部だ」という恒例の檄は本社の業績問わず
今という時を砕けよ 振り抜いた一年ぶりの決勝ゴール
将来はプロ転向か問いたがる同期の記者の年収を聞く
「ホッケーも新聞もじき滅ぶから」記者はきっぱりサワーを掲げ
わたしにもホッケー捨てる日があるか朝霧夜霧濃い北の街
(小野田光「ホッケーと和紙」)
第64回 角川短歌賞佳作に入選した小野田光さんの歌です。小野田さんは北海道でホッケー選手として活動なさっていることがわかります。こういった方が新たに参入してくる短歌、そして生活に密着し、つい読んでしまう面白さ、無理のない書き方など、いろいろな面から評価できる連作です。そしてこのレベルの作品が佳作です。短歌が元気で刺激に溢れていることがよくわかります。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.057 第64回 角川短歌賞発表』(角川短歌 2018年11月号)■
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.058 「総力特集 春日井健」』(2018年12月号)■
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