鶴山裕司さんの新連載文芸評論『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論-日本文学の原像』『Ⅰ 子規文学の射程(パースペクティブ)(前編)』をアップしましたぁ。鶴山さんの『日本近代文学の言語像Ⅱ 夏目漱石論-現代文学の創出』は近刊予定ですが、Ⅰの子規論を先行アップします。『日本近代文学の言語像』の基本構成は同じです。序論と小伝があり、次いで具体的作家論が始まります。これは現代文芸批評では必須だと石川は考えます。
子規、漱石、鷗外は日本近代文学の巨匠ですが、彼らの作品になじみがある読者は年々少なくなっています。『漱石の『明暗』における○○は・・・』で始まるような文芸批評ではもうダメなのです。〝なぜ子規、漱石、鷗外を読まなければならないのか〟〝彼らがどういう人生を辿ったのか〟という動機付けと小伝がなければ読者を惹き付けられない。ある意味ゼロ地点から批評を構成していかなければならない時代です。
石川は子規論を半分くらい読みましたが、漱石論より鶴山さんの力量がはっきりわかる評論になっていると思います。鶴山さんは『子規文学が今一つ明確な像を結ばない原因は、簡単に言えばわたしたちの文学ジャンル別思考方法にある。創作者が専門歌人、俳人、小説家になっていっただけでなく、批評家も一つのジャンルを専門とするようになった。しかしそれでは文学の本質をつかめない。文学は哲学や心理学とは異なる方法で〝人間とはなにか〟を探求する人文学の一つである。文学ジャンルを総合的に捉えなければ文学の存在理由や目的は認識できない』と書いておられますが、その通りです。文学金魚的総合文学を体現する批評になっています。
なお今週の5月24日(木曜日)に東京池袋の立教大学で鶴山さんの講演『池袋モンパルナスの画家たちの苦しみと喜びをともに』が開催されます。モンパルナスの画家はもちろん、詩人・小熊秀雄についてもお話されるようです。ご興味のある方はぜひご参加ください。
■ 鶴山裕司 新連載文芸評論『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論-日本文学の原像』『Ⅰ 子規文学の射程(パースペクティブ)(前編)』縦書版 ■
■ 鶴山裕司 新連載文芸評論『日本近代文学の言語像Ⅰ 正岡子規論-日本文学の原像』『Ⅰ 子規文学の射程(パースペクティブ)(前編)』横書版 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■