鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『第050回 貨布(かふ)の塼(せん)』をアップしましたぁ。『言葉と骨董』第50回目の区切りは中国は漢時代の発掘品です。こういう骨董がネタなのは力が抜けていてよござんす。また50回も続けると文章がこなれて読みやすくなっていきますね。勝手にインプルーブしてくれる著者は大助かりです。
鶴山さんは石川の骨董の師匠ですが、師匠が買う前にとにかく図録や本を読め、そっから情報は90パーセント取れるとのたもうたので骨董関係の本を集めました。その手の本はかなり出てるんですね。そうしているうちにあることに気づきました。
ちょい前まで骨董はなんやかんや言って一部の人の特殊な趣味でした。しかし2000年前後からカラー本の印刷費が安くなったこともあって、いろんな人が骨董本を出すようになりました。文学者、デザイナー、心理学者、美術学芸員、コレクターなど様々です。で、はっきり言うと骨董本のレベルが下がった。多くの人が骨董本を出すようになってから、白州正子さんら一昔前の骨董好きのレベルの高さがあらわになった面があります。
白州さんや土門拳はパイオニアです。現代的感覚で初めて骨董の鑑賞方法を定着させた方たちです。それ以降の人たちはなんやかんや言って彼らが作った道をなぞっている。なぞりながら思考が規格化して凡庸になっています。また白州さんについて言えば、彼女は子爵樺山家の箱入り娘で吉田茂の懐刀、白州次郎の奥さんです。つまり貴種。そのお嬢様的傍若無人さを意図的に最大限に活用して〝韋駄天お正〟とあだ名された思い切りの良さと頭の良さが白州さんの特徴でもあります。そうとう頑張って骨董に関する新たな切り口を提示しないと、骨董パイオニア作家たちが書いたエセーには比肩できません。
鶴山さんは名品の骨董を持っているのとそれについて書くのは別だと言っていました。ここ数回、新聞の切れ端、襤褸、発掘品の残闕と値段がつくようなつかないような骨董を題材にエセーを書いておられますが、これは意図的だと思います。目に自信がなければできない。また物を見せるだけのエセーではなく『言葉と骨董』というタイトルが際立っています。鶴山さんの骨董エセーは文化論ですね。
時代状況はどんどん変わっています。骨董エセーについても、ちょっといい骨董を見せて文章を添えるくらいでは読者はもう納得してくれない。そういう時代潮流の変化をいち早く読み取るのも作家の実力の内です。物自慢、思い入れ自慢の骨董エセーの時代は終わったと思います。
で、師匠は正確には本から骨董情報の90パーセントは取れるが残り10パーセントは簡単じゃない、だけど90パーセントわかっていないとあと10パーセントが難しいということすらわからない、とのたまいました。石川、残り10パーセント、よくわかりません。うんうんうなっているのでありますぅ。
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第050回 貨布(かふ)の塼(せん)(前編)』 ■
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第050回 貨布(かふ)の塼(せん)(後編)』 ■
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