第17回 青葉乃会-還暦記念公演-『卒都婆小町』
公演日:2017年9月18日
於:宝生能楽堂
舞囃子 賀茂 素動(かも しらばたらき)
観世銕之丞
狂言 荻大名(はぎだいみょう)
シテ 野村万作
仕舞 雨月 中入前(うげつ なかいりまえ)
野村四郎
能 卒都婆小町(そとわこまち)
シテ 柴田稔
青葉乃会は柴田稔氏主催の能楽の会である。柴田氏は観世流シテ方で師は八世観世銕之丞と榮夫氏になる。今回は柴田氏の還暦記念公演で、まず宗家の九世観世銕之丞氏が『賀茂 素動』を舞われ、次いで野村万作と野村四郎氏のお二人の人間国宝が登場する豪華なものとなった。柴田氏はご挨拶で「老女物は演者の年齢と芸力が伴わなければ公演が許されない重い作品ですが、今回観世銕之丞師のお許しを頂き今回の公演となりました」と書いておられる。『卒都婆小町』はその名の通り年老いた小野小町が主人公(シテ)である。観阿弥作。
とわかったようなことを書いたが、僕はぜんぜん能に詳しくない。以前当代観世銕之丞氏にインタビューし、馬場あき子論を書くときに古典文学全集で主な能の謡本を読んだくらいで実際に見た舞台は十指に満たない。観劇が終わって廊下に出たら、能の研究者で文学金魚で演劇評を書いているラモーナ・ツァラヌさんが見に来ておられた。「今回の舞台の劇評を書きますか?」と尋ねたら「忙しくて書けないです」というお返事だったので、門外漢だけど書くことにしたのだった。単純に舞台に感激したのである。
演劇には脚本を読めばだいたい内容が理解できる作品がある。一昔前に新劇が好んで上演したチェーホフなど典型的で、筋はわかっていて舞台装置も想像がつくけど、俳優がどう演じるかが見ものだった。栗原小巻さんの名前がすぐ思い浮かぶ。寺山修司や唐十郎の戯曲になると台本を読んでもなんのことやらという作品が多い。むしろ舞台を見る方がなんとなく理解できるところがある。じゃあ能楽はどうかというと、新劇やアングラ演劇よりややこしい。
能の筋ははっきりしている。単純すぎるくらい単純だ。しかし台本(謡本)を読んで予想通りに舞台が展開するかというと、ぜんぜんそんなことはない。文字で書かれた謡本は、実際の舞台と比較すればマジっすかと言うくらい短い。一時間半の舞台に、四〇〇字詰め原稿用紙で三十枚程度の台本など普通はあり得ない。謡本は能楽の骨組みに過ぎないのだ。目の前で展開されるのは囃子と地謡に合わせた舞いである。この舞踏がまたくせ者だ。動かないことまで含めて舞踊である。物語と舞踊が合体した演劇だとは言えるが、両者は不可分である。また舞踊は言葉で説明しにくいのでその魅力を伝達するのが難しい。
『卒都婆小町』では、例によってまず高僧とその従僧(ワキとワキツレ)が現れて、物語の舞台背景を説明する。彼らは高野山で修行を積んだ僧侶たちで、父母未生以前本来の面目を悟った(と思っている)。二人はこれから都に上ろうとしているが、津の国阿倍野の松原で一休みする。そこに老残のみすぼらしい小野小町が登場するのである。能らしい閉ざされた森の中の物語だ。
鏡の間から橋がかりに柴田稔氏演じる小野小町(シテ)が歩み出るわけだが、とにかくその動きが遅い。舞台正面左奥の常座にたどり着くまでに、ゆうに二十分くらいかかったのではなかろうか。地謡の声と笛と鼓の音が響く中、ワキとワキツレは脇座に座って微動だにしない。どうしても視線が正面舞台と橋がかりの間を行ったり来たりするのだが、ふと気がつくと小町の位置が少し違っている。まるでこの世のものではない幽鬼を見ているようだ。
能はシテが亡霊の夢幻能と、生きている場合の現在能に大別される。『卒都婆小町』は現在能に分類されるが、実際の舞台は夢幻能と同じだ。小町は齢百とあるがもはやこの世の人ではない。現れ動くことそのものが事件である。退屈と言えば退屈な舞踊だが、極度に緊張した〝出現〟の光景でもある。普通の演劇ではまずないが、微動だにしないワキとワキツレの存在感も大きい。最も動き音を出しているのは地謡方と囃子方だが彼らは感覚的には舞台から遠ざかっている。ゆったりとしたシテの踊り、動かないワキとワキツレは能では定番だがひどく感心してしまった。見事な舞台だったからではないかと思う。
謡も仕舞も習ったことのない僕などは、あらかじめ謡本を読んでいても舞台の声をはっきり聞き取れない。読むと七五調で語呂がいいのだが、実際には十二音を八ツ拍子で謡うからだ。また冒頭のワキとワキツレの掛け合いを除くと、能では以降は地謡とワキとワキツレ、そにれシテの謡が入り交じるのが普通だ。それがなぜなのか、直観としてなんとなく理解できた舞台だった。
小町はワキ僧に「おことはいかなる人ぞ名を御名のり候へ」と促され、「恥ずかしながら名を名のり候ふべし。これは出羽の郡司小野の良実が女、小野の小町がなれる果にてさぶらふなり」と言う。この箇所はシテの柴田氏が謡っているのがはっきり聞こえた(シテは能面をかぶったままの苦しい姿勢で謡う)。それまでも柴田氏は謡っていたはずなのだが、要所要所で地謡と囃子が小さくなり、シテの声が明瞭に聞こえてくる。能は全体としてシテの心の内面描写なのだ。その心の葛藤がシテとワキの問答となり、心の動きが地謡になる。だから誰が謡ってもいい。しかしある極点でシテの声の響きが舞台に一本の筋を通す。
『卒都婆小町』のような老女物は舞うのが難しいと言われるが、そうだと思う。事件が起きるようで起きない。小町は休むために卒塔婆に腰掛けたのを僧たちに見咎められ、「おことの腰かけたるは、かたじけなくも仏体色相の卒塔婆にてはなきか。そこ立ち退きて余の所に休み候へ」と説教される。しかし形式的に卒塔婆を敬う僧たちを小町は見事に論破してしまう。「げに本来一物なき時は、仏も衆生も隔てなし。もとより愚痴の凡夫を、救はんための方便の、深き誓ひの願なれば、逆縁なりとも浮かぶべし」と、卒塔婆や仏像を有り難がるより心の中の仏性を見つめる方が遙かに大事だと説くのである。
もちろん小町は悟ってなどいない。「なう物賜べ。なう、お僧なう」と僧侶たちに物乞いを始め、「あら人恋しやあら人恋しや」と狂乱を深めてゆく。「さておことにはいかなる者の憑き添ひてあるぞ」と不審がる僧侶に、「小町に心をかけし人は多き中にも、ことに思ひ深草の四位の少将の」と謡う。深草少将が憑いたのだ。少将は小町に恋して百日通うことで恋の成就を願ったが、九十九日目に死んでしまった伝説上の人物である。古い謡曲に『通小町』があり、観阿弥が改作したと言われるが、それが合体したかのような展開だ。
僧侶たちよりも悟っていると言える小町が、それでも現世の妄執に囚われているのは作家・観阿弥の思想の反映である。しかし『卒都婆小町』は仏教説話物ではない。深草少将の憑いた小町は後見座で観客に背中を向け、後見に手伝われながらゆっくりと、また堂々とした所作で烏帽子と長絹をつける。老婆から若き日の少将に変わる。
江戸時代までの日本では名前が変われば人格も変わる。元服して改名すれば人格も変わるのだ。雅号を使って風流に遊べば殿様や貴族から一介の文人としての異なる生が始まる。能面はそれをつけることで人格と生が変わる最も原初的な舞台道具であり、呪術道具である。人は面をつけることで神にもおぞましい幽鬼にもなれる。『卒都婆小町』ではその変容が着物を代えることで表現される。しかも衆人環視の元である。隠すべき謎はない。だけど露わになっても謎は残る。
烏帽子と長絹をつけた小町は深草少将として若返る。ハッとするほど美しい舞いが始まる。地謡はどこまでも厭世的で仏教臭い。「深草の少将の、その怨念が憑き添ひて、かやうに物を狂はするぞ」と謡う。しかし少将の舞いの若さと美しさは、この謡曲がかつての胸焦がすような恋や一途な想い、それを取り巻く煌びやかな生活の思い出に支えられていることを示している。
誰もがいずれは仏教的諦念によって、この世の無常を受け入れなければならない。しかしこの世の花は若き日の恋狂いと妄執にある。その説明しようとしても説明できない、統合しようとしてもできない矛盾が謡本のストーリーとは裏腹の美しい舞いとして表現される。能は確かに〝舞う〟芸術である。
たいていの芸術・文化は人間の世代で三代で完成する。ギリシャ哲学で言えばソクラテス、プラトン、プロティノスである。茶道では利休、織部、遠州(または紹鷗、利休、織部)ということになる。能楽では観阿弥、世阿弥、禅竹ということになろうか。地下水のように流れていた文化の芽が創始者によって掬い上げられ、大成者によって理論づけられ、継承者が後の世にまで続く筋道を作る。
世阿弥は『風姿花伝』で稚児の容姿を「なにとしたるも幽玄なり」と評した。五十歳以降は「せぬならでは手立あるまじ」(舞わぬにこしたことはない)と書いている。それは父であり師でもあった観阿弥の教えでもあったろう。ただ世阿弥は観阿弥について、「老木になるまで、花は散らで」残ったと書いている。その芸能者としての妄執が『卒都婆小町』のような謡曲に表現されている。花盛りの若者は老女を舞えない。老残をさらすのはもちろん醜悪である。ただ老女が舞台で若返ったらどうだろう。冷えたる花が咲くのである。
それにしても『卒都婆小町』は長い。約一時間半の舞台である。ラモーナさんに聞いたら室町時代の上演時間はもっと短かったそうだ。四十分くらいだったらしい。江戸時代を通じて現在の上演時間になった。ただそれが能楽の成熟であり洗練である。
歌舞伎などの大衆演劇に押され、能楽は武家貴族の趣味的芸能として衰退していったというのが通説だが、それは正しくないと思う。むしろ大衆芸能の隆盛を知りながら、力持ち同士ががっぷり四つに組み、動くに動けない――つまりは解消し得ない妄執を、舞台上で総合的に解消・昇華する芸術へと洗練されていったように思う。それを的確に表現するにはうんざりするくらいの上演時間が必要だ。死者も妄執も簡単に動かせない。それを無理矢理動かす。舞う方も大変である。強い精神力が必要とされる、としか言いようがない。しかもそれを優美に表現しようとする。能独自の美意識だ。
馬場あき子さんは夢幻能は夢現の境をさまよいながら、陶然として見るものだとおっしゃった。いきなり俗な話になるが、僕は柴田氏の見事な舞いを見ながら時折コックリコックリした。まあ正直に言えば、眠くならない方がおかしいような舞台である。ただせっかくお金を払ったのだから、しゃっきり神経を集中させて舞台を見なければ損という近現代の鑑賞法は、どうも能楽にふさわしくない。強弁と言われればまったくその通りだが、陶然と眠くなりながら、いにしえの王侯貴族の気持ちをちょっとだけ味わった舞台だった。
鶴山裕司
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