能『巴』と初めて出合ったのは中学生の時だった。ルーマニア語に翻訳された謡曲20曲が収録されている本に『巴』も入っていた(1982年出版。翻訳家はドイツとノルウェーで能楽研究家として活躍されているスタンカ・ショルツ・チョンカ教授。幸運にも私が大学院生になった時にこの方が指導教授になってくださった)。
『Teatru Nō』という不思議なタイトルのその本を、11、12歳の時に地元スチャバ市の小さな図書館で見つけた。序文には「日本」という遠い国の伝説と物語がこの戯曲の題材になっていると書いてあったので、好奇心に駆られ、本を借りて読んでみた。
子どもの目に謡曲がどのように映ったのかは今では細かく覚えてはいない。が、詩のような言葉で自分たちの物語を明かす魅力的な人物が登場することと、「〝戯曲〟にしては文章がは短いなぁ」といったことを考えたのは覚えている。もちろん能は歌舞劇で、セリフのない「舞」だけの部分があるという解説は載せてあった。しかしどのような舞なのかは想像できなかった。インターネットが普及する前の時代だったから調べるすべがなかったのである。ただ一行一行に複数のイメージが凝縮された暗号のような文章だと思った。想像力を刺激され、物語の世界に心を奪われてしまった。少し時間を置いて読み直すと最初に読んだ時には気づかなかった物語の意外な側面も露わになり、何度読んでも味わい深い本だった。
その20曲の中で特に気に入ったのは、女性の幽霊が登場する『井筒』と『巴』だった。両方とも女性が主人公だが『巴』は「修羅物」という種類の能で、『井筒』は「女性の幽霊が出てくる能」として分類されていた。この分類の意味は当時よく分からなかった。『巴』を読んで、その主人公について「なんてカッコいい女性なんだろう!! 大人になったらこんな女性になりたい!」とばかり思っていた記憶がある。
そんな読書体験もあって、日本に来てから『巴』が上演される公演を観るのをとても楽しみにしていた。しかしこの演目は稀にしか上演されないのだった。その大きな理由に演じ方が難しい曲だということがある。
「武士」の霊が登場する能では戦場の様子が再現され、また永遠に終わらない戦に苦しめられている修羅の地獄の描写があったりと力強く演じなければならない。これに対して女性の幽霊が登場する能は極めて静かに優雅に、柔らかく演じなければならない。巴という人物は女性でありながら武者である。役柄として根本的に異なる二つの性質も持ちあわせているのだ。この役を演じる時は、力の入れ方にずいぶん気を付けなければならないわけである。
横浜能楽堂で『巴』を含む公演が予定されているのを知ったのは今年の3月頃だった。緊急事態宣言が長引いている中で公演はどうなるだろうと心配しつつもすぐにチケットを予約した。掃部山公園のアジサイが咲き誇る時期に、無事に開演される能楽堂へ足を運べた喜びで胸が踊った。昔から夢見ていた『巴』の上演をようやく観られるのだ!
私と同様に、久しぶりに大好きな能を観に来ていた観客の、多少の緊張感を帯びたざわめきの中、公演は野村萬による狂言『見物左衛門』で始まった。深草祭を観に出かけた見物左衛門と名乗る男が登場する。古御所の立派な建築や、甲冑を着た武者たちの行列、見物に来ていた多くの人々の込み具合などの深草祭の情景は、全て男のセリフと仕草だけで観客の想像力の中に思い浮かぶ。見物左衛門は気さくな男だが、見ているものについて辛口の批判をこぼしたりする。正直な性格をなかなか抑えられず、見物に来ていただけのはずが、結局は自分も相撲の土俵で勝負することになる。
何に対しても文句をつけ、それによって痛い目に合っても決して諦めない性格の見物左衛門。コロナ禍によって日常が覆されてしまった今の時期だからこの狂言が選ばれ上演されたのだろうか? 見物左衛門が「勝負は終わってないよ! 待って」と言いながら舞台裏に消えた後もずいぶん考えさせられた。狂言の最後で観客席では爆笑が起こらなった。しかしちょっとした文句をつけたことで勝負を挑まれ、喧嘩にも巻き込まれてしまった人物に対する「共感」のような気持ちを含んだ苦笑いが、左衛門が退場してからもしばらく観客の表情に浮かんでいた。
待ちに待った能『巴』は静かに始まった。都へ向かう木曽の僧たちが琵琶湖のほとりにある粟津ヶ原まで来ると、祭神の元に参拝に来ていた里女が涙を流している。僧たちに涙の理由を聞かれ、女は粟津ヶ原は木曽義仲が命を落とした場所であり、その霊がこの祭神となったのだと語る。自分も亡者だとほのめかしながら僧たちに供養を頼み、女は夕暮れとともに姿を消す。
里女に化身した巴はとても美しくてしなやかで、まるで目に見えない磁気に引っ張られ、宙に浮かんでいるように舞台に現れていた。その姿を観て、「前場でこんなに優雅で落ち着いている女性が、後場で本当に武者になるのだろうか?」と思った。生前の姿で登場する巴御前に対する期待がますます高まった。
僧たちは、里人(アイ)から昔粟津ヶ原で自害せざるを得なかった木曽義仲と、彼に使えていた女武者で愛人だった巴御前の悲しい死に別れの様子を聞き、先ほどの里女が巴の化身だったと悟る。
能「巴」(喜多流) 中村邦生
約束通り夜中に僧たちがお経を唱えていると、戦装束の巴御前の幽霊が登場する。烏帽子をかぶって鉢巻をして、手に長刀を持って現れるその姿は静かだ。が、心に激しいざわめきを抱えているかのようだ。僧たちに勧められるまま巴は椅子に腰かけ、木曽義仲と一緒に戦った日々の話をする。どこか遠くを見ている巴の視線には静かな火が燃えているようだった。観客は彼女の回想から、粟津ヶ原で何が起きたのかを知る。義仲は敵に囲まれ自害すると決めた。一緒に死のうと決心していた巴に、義仲は「お前は女だ。ここから逃げて生き延びればいい」と言った。
能で取り上げられている義仲の言葉はこれだけだが、『平家物語』にある「義仲が最後の戦に女を連れて行ったと言われるのは恥だ」という言葉を思い出す方もいるだろう。それでも巴は逃げようとしなかったので、義仲はさらに厳しい言葉を浴びせかけて巴を決戦の場から去らせた。どんな言葉を投げかけられたのかは『平家物語』にも細かく記載されていない。
最愛の人と一緒に死ぬのを許されなかった巴の心には、虚しさと恨めしさが燃え上がる。義仲の前から立ち去った後、巴は長刀で身体を支えながら、弱々しくあてどもなくさまよう。
「何か違う! 巴は強い女性だ! どんなに傷ついても長刀で身体を支えるなんてあり得ない!」
そんなことを思っていると、巴は唐突に長刀を振り、目には見えない敵たちをなぎ倒し始めた。
「ああ、弱いふりをしていたんだ!」
心の中で叫んだ。巴は敵をおびき寄せるために弱々しくふるまうが、いきなり長刀を構えて戦闘モードになる。ある説によるとここで巴が戦うのは、義仲が武士として立派に自害するための時間稼ぎのためだという。
巴の動きはしなやかで、武士のような足踏みはせず、舞うように長刀さばきを行う。その激しい立ち振る舞いが止むのは義仲にもらった形見の白い小袖が目に入った時だ。震えながら跪いて長刀を手から離し、巴は泣きながら形見の小袖を抱きしめる。地謡が巴の心情を謡っている間に巴は舞台の一角で戦装束を脱ぎ、小袖に着替える。それから義仲の形見の小太刀と旅人がかぶる信楽笠を持って、義仲の地元である木曽を目指して出発してゆく。私は僧たちの目の前から消えてゆく巴の姿を、息を殺して見送った。
私は何を目撃したのだろうか?
戦いの激しさと静かな悲しみが交互に現れ複雑なテンポを作り上げる数分の間に、子どもの頃から持っていた巴の像が変わってしまった。女だから共に死ぬことを許されず、その無念で敵を討ち続ける巴が幻のように消えてしまった。それに代わって最愛の人に「ここから逃げよ」と命じられた女武者の、悲しみで張り裂けそうな心をはっきりと感受した。巴は義仲の形見を持って国を旅する巫女に生まれ変わる。巴が受け取ったのは拒絶ではなく、義仲がその言葉とは裏腹に形見に込めた、「生き延びよ」という言葉にならない愛だったのだと思う。
小太刀一本だけだが武器には違いないので、巴はいつでも武者に戻れる。しかし本質的に何より命を大切にする巫女に生まれ変わっている。無限の可能性を宿す巫女姿の「巴」の方が、私がそれまで持っていた武者の巴の幻想よりもずっと強く、ずっと魅力的だと思った。
中村邦生さんが見せてくださった素晴らしい『巴』のおかげで、私の「巴」像が更新されたような感覚を覚えた。鑑賞後にゆっくり紅葉坂を下りながら、さっきまで観ていた『巴』で心がいっぱいだった。しかし子どもの頃に読んだ謡曲と同じように、何度観ても新しい発見があるかもしれない。いつか再び『巴』を観て、この女主人公のさらなる深みに気づかされるのを楽しみにしている。
ラモーナ ツァラヌ
【公演情報】
公演名:第68回 横浜能
会場:横浜能楽堂
日程:2021年6月5日
狂言『見物左衛門』
シテ:野村 萬
後見:能村 晶人
能『巴』(喜多流)
シテ(里女・巴):中村 邦生
ワキ(旅僧): 舘田 善博
ワキツレ(従僧):梅村 昌功
ワキツレ(従僧):則久 英志
アイ(里人): 野村万之丞
笛 :一噌 幸弘
小鼓:観世新九郎
大鼓:柿原 弘和
後見:長島 茂
友枝 真也
地謡:出雲 康雅
大村 定
粟谷 明生
友枝 雄人
粟谷 浩之
■ コンテンツ関連の本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■